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■宇宙の軍拡競争が始まる
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ロシアが宇宙空間を対象とした軍備拡充を急ピッチで進めているという。3年前に「航空宇宙軍」を編成したほか、軍事衛星の打ち上げや衛星攻撃兵器の開発などに力を入れ、アメリカや中国との競争はさらに激化しだしたと報じられている。
宇宙は空間であり、すべての地上を見渡せる。その空間から核兵器を投じれば、思うような戦果が得られよう。通常兵器では遅れをとるロシアは、核抑止力を国防政策の柱と位置づけ、最新鋭の核兵器のアピールに努めているそうだ。
何たる愚行であろうか! 空から思うところに核爆弾が投じられば、防ぐのも困難で、その被害は天文学的な被害を被ることになろう。
その前哨戦では、まず宇宙に打ち上げられた衛星の破壊戦争が始まることであろう。核による破壊は広島や長崎に投下された原爆で、世界が知っている。
それを抑止力として拡充することは自殺行為に等しい。なぜなら、人類が手にしたものは必ず使用される運命にあるからだ。それほど人類は未熟で、霊的進化が遅れていることを示している。
かっての大戦で日本では兵士や民間人など310万人の犠牲者を出した。その中には東南アジアで亡くなった人も多い。そこでわが教団では、今回ミャンマー(ビルマ)方面で亡くなった18万5千余名の戦没者を供養し、その御霊を日本にお連れする解脱供養が、11月11日(日)にミャンマー連邦共和国・マンダレー地方域バガンで行われる。
ビルマ方面軍では30万3500名の兵士が従軍し、そのうち帰還者が11万8千余名、戦死者は18万5千余名に達した。そのうち一番悲惨なのは前にも書いたインパール作戦であった。
今のバングラデッシュのインパールを目指し、深いジャングルを行軍し、その多くは戦病死した死の行軍であった。これらの犠牲者は今も深いジャングルで眠っている。
それらの御霊を仏陀の成仏法で供養し、「世界平和祈念・ミャンマー解脱護摩法要」により、その御霊を日本にお連れする魂の救済である。
これだけ文明が発達しても争いは無くならない。むしろ小さな紛争やテロは加速し、益々この世は不穏となりつつある。アメリカのトランプ大統領のように、われ良しの世が世界に万延すれば、その危機は一気に危うくなることであろう。
世界の平和は、まず非業の死を遂げた戦没者の供養から始まる。わが教団ではいままで外国の戦地を含め、日本各地での戦火で亡くなった人々の供養をしてきた。
この世の平和は、非業の死を遂げた戦死者の魂の救済から始まる。
2018/08/31(金)
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■人の名がでてこない
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家内が苦しんでいる。それは人の名が出てこないのだ。古い昔のことは驚くほど鮮明に覚えていて、私が忘れたことを詳しく話す。
齢、相応の記憶だと思うが、心配になったのだろう。認知症に関する本を数冊買ってきて心配しながら読んでいる。認知症の初期は人の名が出てこないことだそうで、私も家内の言動に違和感を覚えるときがある。
それは身近な出来事を話すとき、関係のないことや間違ったことを話し、つじつまが合わないことがたびたび起きるのである。
日常の家事一切を間違いなくこなす家内は、すぐに認知症と判断できないが、最近知人が物忘れが激しく医師の診断を受けたと話す。
私も物忘れが激しくなってきた。ことに親しい友達や知人の名が出てこない。しばらくして出ることもあるが、何日過ぎても出ない場合もある。
本を読んだ家内は認知症にならない秘訣を私に話す。認知症で一番悪いのは、何もすることがなく、一日中家でぼやっとテレビを見ながら過ごすことであろう。
活動的な家内はいくつものボランティアをこなし、夜はコーラス、歩こう会で町内の仲間と散歩して親交を深める。そんな活動的なのに、なぜこんなにまともな会話ができないのか?
私は少し心配になる。家内が認知症になれば私が世話をしなければならない。家内は20年以上にわたり全国組織の「認知症と家族の会」で活動してきた。
その家内が今、人の名が出ないと苦しんでいる。私は認知症だけはなりたくない。そのため毎日脳トレに励む。その脳トレとはこの日記「よもやま話」である。
写真のHPを開設して約20年、最初は写真だけだったが、次第に写真を説明したくなる。私は俳句や短歌が好きだったので、写真に短歌を添えた。そして日常の出来事を日記に書くことを思いつく。今、この日記「よもやま話」は18年が過ぎようとしている。
事のいきさつは、このHPのトップで「風景写真との出会い」とのタイトルでエッセイを書いているが、日常の出来事を毎日書くのは容易ではない。
だがこれが脳トレなのだ。なぜなら常に日常生活に注目しながら日記の話題を探し、また私が信条とするこの世での生き方、人はどこから来てどこへ往くのかの霊的世界の探索、自分の死生観を紹介することが励みとなるからだ。
そして最後は近くの河川敷での家庭菜園であろう。100uの畑2枚を耕し野菜を作る。野菜も生命体であり、私が工夫し愛情をかけた分おいしく育ってくれる。
人生100歳時代と呼ばれる長い人生をいかに過ごすか。それは認知症にならず元気で長生きすることだ。その励みとなるのが、この日記である。
2018/08/30(木)
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■菩提所の必要性
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昨日は「散骨について」と記して、自分の死生観を書いた。この死生観はわが師より何度も聞かされた話しであり、最高度の霊視能力を持たれる師の視たままを記されたものである。
その詳細は教団の小冊子にまとめられ、信者のみならず誰にでも読んでいただけるのだが、巻末に「「無断転載。複製を許さず」とある。
それを引用した私は、残念ながらこの死後の様を削除した。しかし、私はこれだけは言いたい。今の世は死生観も変わり、自分の死後の行く末をあまり気にしなくなった。
だが人の本体は魂の存在であり、その魂は転生して永遠に身体に宿り、進化を図る。死してその魂の安息の場所が菩提所であり、お墓である。
それなのに最近は散骨とか樹木葬といって、お墓を持たない人が増えつつある。また「お墓終い」といって先祖代々のお墓を処分し、その遺骨を合同の納骨堂に納める人も増えつつある。
それはお墓を建てて納めるより、自然に還す方が良いのではないかとの考えであるが、その霊は依りところがなく浮浪霊となる。また最近は少子化で後を継ぐ子孫が途絶える恐れから、供養をしてくれないことを恐れてお寺や霊園にお任せするのである。
ここで問題となるのが散骨は別として、お霊を納める菩提所の場所である。先祖伝来のお墓は長い歴史の上で、墓所が不成仏霊や浮浪霊であふれ、先祖が安らかに過ごせる場所でない場合が多い。
そこでは先祖の霊は安心して過ごすことができない。だから霊的に清められた場所が最高の菩提所となる。その場所を「冥徳福寿墓陵」という。
人が死ねば冥土へ直行できるように、「逆修宝生解脱法」と「召霊法」という秘法を修さねばならない。だがこの秘法を持つ教団は一つしかない。
最高の菩提所は大阪の柏原市にある「大阪柏原聖地霊園」であろう。ここは昔、天孫民族の神々が神集いをされた地であり、わが師は神仏両界の大柴燈護摩供を催されて、文字通りの神仏両界の聖地となった。
ここにお墓を建立すると、三つの徳が備わると説かれる。一つは建立者の延命長寿・財福無尽、家運繁栄であり、自分がお御霊になったときの最高の安息所となること、そして先祖の古い不成仏霊や浮浪霊をすべてこのお墓に収容し、家族や自分に悪影響を及ぼさないことである。
私はこの菩提所に3基のお墓を建立した。一つは自分のお墓、そして大阪に住む次男のお墓、それに娘婿のお墓である。
私も80歳近くなってあと数えるほどしか生きられないであろう。そのときは自分が立てたお墓に入り、心安らかに次の輪廻の来るのを待とうと思う。
2018/08/29(水)
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■暑い農作業
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日照りが続き、毎日が畑の水やりだ。今年の気候は異常で、気温が高く雨が降らない。そこで毎朝日の出とともに起きて、畑に行き野菜に水をやる。
特に水が必要なのはサトイモで、水がなければ葉が赤くなりしおれて枯れてしまう。豊富な水があるとサトイモは元気で大きく育つのだ。
隣の畑の耕作者が井戸を持っているので、その井戸を使わせてもらう。河川敷だから井戸は豊富な水が出て、すぐにじょうろが一杯になる。
このようにして毎日ふんだんに水をやるために、作物は思うように育つのである。今はトマトが収穫を終え、なすびがまだ収穫最盛期だ。
そして一番の仕事はイチゴの苗を育てることだ。親株からランナーと呼ぶ苗が出て、それが根を出し来年の苗となる。だからそのランナーを採ってポットに植え替えて育てるのである。
今年はイチゴをふんだんに食べた。それは10mの畝が2本、30cmごとに植えてカラスに食べられないように網で覆う。
大粒の赤いイチゴの粒は大きなざるに一杯採れて、孫たちのおやつとなる。店で買うと一粒100円はする大粒のイチゴが、ふんだんに食べられるのだ。
9月になれば気温も下がろう。そしてこれからたまねぎの苗を作る作業が始まる。今年はジャガイモとタマネギが安いが、その他の野菜はすごく高価である。
作った野菜は多くの人にあげ喜ばれる。私は野菜が大好物で、毎日の食卓に欠かせない。野菜と会話し、わが子のように愛するとき、元気でおいしく育ってくれるのである。
2018/08/25(土)
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■異音
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昨年の暮れにマイカーをトヨタのカローラから、10年落ちのスズキワゴンRに乗り換えた。老年になり、少しでも経費を少なくし、老後に備えたいとの考えからであった。
私は薄い青の車にしようと思っていたが、息子が黒の色を選んだ、それは青のフロントには小さなカーナビしか装備されていなかったからである。
黒の車体ではカーナビがなく、息子はネットで安い機種を買い、フロントに取り付ける。しかし、買って半年、5万km走行した車はいろんなところで異常が発生する。
冬用タイヤから夏用にしようとタイヤを見ると、フレームが大型でタイヤにヒビが入っていて不安になる。買う時に確認すればよかったが、あとの祭り。
しかたなく格安で、径の小さいフレームのタイヤに換えてもらった。軽四の車は初めて運転するので、その乗り心地の悪さに閉口する。その点で小さなフレームではクッションが少し良くなった、
4000kmほど走ると、今度はカーブを切るときに車体の下で大きな異音がしだした。なぜこんないやな音がするのかを販売店で確認すると、4駆の接続部の部品が磨耗してこんな音がするのだという。
結局この部品も再生品に交換することになった。そして今、エンジンを起動するとベルト部分で大きな異音がするようになる。それは5秒程度で止まるが、ギュ・ギュ・ギュ!という擦れ合うようないやな音だった。
今日、販売店へ行きこの異音の原因を調べてもらう。どうもエアコンに切り替えるクラッチに異常があるという。少し手入れしてもらったが、まだ異音がするようなら、この部品も取り替えねばならない。
カローラを下取りに出した金額で中古の軽四を買ったが、結局あちこちで磨耗した部品が見つかり、取り替える羽目になった。
だが不満は言うまい。この3月に免許を更新したが、あと3年で返上するかもしれない。車は便利だが判断力や注意力が減退し、運転の感覚が付いてゆかないのだ。
便利なところに住んでいるので、車がなくても生活には支障はない。最近高齢者の事故が大きな問題となってきた。そろそろ車から縁を切る年齢になろうとしている。
2018/08/24(金)
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■台風20号
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立て続けに台風が来て、テレビは大忙しだ。今、四国を暴風域にして北へ進む。わが富山県は風速20m足らずで、雨も少なく被害は軽微であろう。
今年の台風は過去に例のないような頻度で襲う。恐らくまた次の台風がやってくるだろう。ここで思い出すのがふるさとでの少年時代だ。
戦後の台風には名前がついていた。それはまだアメリカによる占領時代で、アメリカ式の名前がついていた。例えばジェーン台風であり、その威力は今も強烈に記憶に残る。
昭和20年代初期はまだ合掌造りの家が多く、私の家も100年以上も過ぎた合掌造りの家だった。この家は私が中学3年生のとき、父が昭和29年の暮れに解体処分し、普通の2階建てに建て替えたものであった。
今思い出すのは合掌造りの家で生活していた時代である。合掌造りの家はすべて自家製の木材で作り、両手を合わせた合掌形式の屋根には、山で育てた茅(かや)を敷き詰めて2mを越える雪から守ったのである。
その2階や3階は養蚕のために用いられ、山野に桑の木を植えてその葉を餌に繭を作らせる。蚕は寒いと食欲がなくなるため、1階の居間では囲炉裏に木をくべてその暖気を2階へ導いたのであった。
無数の繭が桑の葉を食べる音がして、大きく育つと白い繭を作りその中でさなぎとなる。その白い繭は冬になると生糸に加工される。4,5粒の繭から取り出した糸をより合わせ、生糸に加工するのであるが、これは祖母の仕事だった。
その合掌造りの家が大きく揺れる秋が来た。台風の襲来である。合掌の屋根を形成する大きな丸太を、ネソと呼ぶ木をねじって固定する。そして補足として荒縄で硬く縛るのである。
その屋根が大きく左右に揺れた。1階で寝ていた私は動くのが目で見え、今にも倒れそうである。しかし、この柔構造が家を守ってくれたのである。
しかし、残念ながら1軒の家が強風で倒壊した。それは今でも強烈に記憶に残る。柔構造でも瞬間最大風速が60m以上にも達すれば敵わない。
倒壊した家は大きな屋根がペチャンコになり横たわる。毎年何度も台風が来たが、倒壊した家はこの1軒だけだった。幸いにもけが人はいなかったが、家の場所が風の通り道で運が悪かったのであろう。
台風20号は四国に上陸した。雨が1000mmにも達するとの報道に、風だけでなく豪雨による災害も心配である。
これから益々災害は多発するであろう。それは人類自らが関与した自然の猛威である。被害の少ないことを祈り、これで今夜は寝ることにしよう。
2018/08/23(木)
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■39.5℃
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富山市の気温が39.5℃となった。観測史上最高で、その暑さは半端じゃない。朝から暖かい南風が吹き、気温も30℃近くあった。
この暑さで体調が悪い。午後1時に約束していたある貴金属店の女社長との面談はやめにした。このご婦人とは長い付き合いで、いろいろ世話になったお礼に、私が写した風景写真をあげようと思っていたのだがまたの機会にした。
外は熱風が吹き、冷房の効いた部屋で一日を過ごす。こんなに暑いのは経験がない。それは台風19号と20号のせいであろう。暖かい南風が立山連邦を通り抜け、フェーン現象となったものである。
くしくも今、ハワイではカテゴリー5の超大型台風「レーン」が接近しつつあり、中心気圧が925ヘクトパスカル、中心付近の最大風速が70mとある。
とにかく今年の夏は異常だ。部屋にいても気分が悪く、熱中症のような気配が続くが、我慢して何とか過ごした。
この異常気象は世界的なものである。それは温暖化ガスを大量に放出したつけであろうが、熱波は北極まで進み、台風の多発や極端な豪雨と旱魃など、大きな被害が多発している。
そんななか、今日のニュースでトランプ大統領が演説し、オバマ大統領が地球温暖化対策として進めたCO2削減対策「クリーンパワープラン」を撤廃し、各州に規制対策をゆだねる新たな対策を発表した。
これは火力発電業界などに配慮し、オバマ大統領が策定した32%削減を撤回し、事実上排出ガス規制を緩和するものであり、すでにパリ協定からの脱却を決め、自国第一の利益しか考えないわれ良しの政策を公言したものである。
この地球温暖化の原因は太陽の異変にあるとの説もあるが、人類が汚した地球の歴史は変えられない。
次にどんな地球の異変が起きるか、それはこれからの時代が示してくれる。
2018/08/22(水)
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■大阪桐蔭 春夏連覇
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大阪桐蔭校高が秋田県の金足農業を13対2で破り、二度目の春夏連覇を達成した。史上初めてのことである。
金足農業は全選手が秋田県出身で、これまで奇跡的に勝ち進みその活躍が注目された。しかし試合は熾烈で、叶わぬ夢が終わった。
桐蔭高校は私も関係がある。それは門真市に住む次男の息子の出身校で、今年卒業して希望の京都大学に合格したばかりであった。
桐蔭高校は一時不祥事があり、何かと揶揄されたが、全国から優秀な選手を獲得し、また全国有数の進学校であり、ブラスバンドなど芸術の面でも素晴らしい業績を残している。
103年ぶりの決勝戦になった金足農業には拍手を送ろう。それは県内だけの生徒で組織した野球部であり、そのひたむきな努力を賞賛したい。
全国を沸かせた高校野球は終わった。わが富山県の高岡商業もこの桐蔭高校に3回戦で破れ、球児たちの健闘が良き楽しみを与えてくれた。
私は中学時代に、学校にあったトランペットを自我流で吹いていた。生徒が17人しかいない山奥の分校では楽器を奏でる生徒もいなくて、先輩が残した楽器をいじりながら遊んでいたのである。
それが高校生となり、進学した工業高校ではブラスバンド部がなく、スキー部でノルデック種目を選択した。それは深い雪の山奥では冬のスポーツはスキーしかなかったからである。
そのスキー部も県の大会で突然中止になり、ほとんど競技することももなく卒業する。理由はスキー場の上流で、発電所の工事で雪崩が発生し、十数人が犠牲になった大事故が起きたからであった。
しかし、就職した電力会社ではスキー大会があり、私も選手として出場したがさしたる成績もなく競技を終える。以後、発電所の仲間と協議し小さな楽団を創設した。
バイオリンやクラリネットにトロンボーンなどを組み合わせた5人編成のいびつな楽団だったが、毎年行われた文化祭で簡単な曲を演奏し、場を盛り上げたものである。
私はトランペットの独奏を行い、大きな拍手を頂いた。そして楽団も次第に大きくなり、秋に行われた会社の運動会では行進曲を演奏して会を盛り上げた。そのトランペットもお蔵入りしていてが、知人の子供にあげて有効活用してもらう。
78年の人生でスポーツはスキーとマラソンだけだったが、才能のない私はいつもビリだった。それよりも音楽で清純時代を過ごしたのであった。
この桐蔭高校のメンバーはそれぞれどんな道を歩むであろうか。プロに進む人もいれば社会人野球で活躍する人もいよう。
優勝と言う記録を胸に、野球と言う競技で得た経験を基に、この混迷した社会に大きな貢献ができる人材になって欲しい。それが私の願いである。
2018/08/21(火)
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■大伴家持誕生1300年
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万葉集で有名な大伴家持が誕生1300年を迎えた。この歌人は今の高岡市伏木・勝興寺付近にあった国庁に、国守として5年間勤めていた。
それは天平18年(746)から天平勝宝3年(751)であり、富山県だけでなく、能登半島を含めた地域で、国守として国内を巡狩して要所要所で220首もの歌を詠んだ。
私は家持を奉る記念館を訪れ、「越の国から」と題した写真集を見る。その写真集は富山県を読んだ多くの歌を写真に添え、家持の気持ちを想うまたとない写真だった。
私も短歌が好きで、この機会を得て自分が写した写真に短歌や俳句を添えて、写真のホームページを作成する。嫁いだ娘がこの分野にめっぽう強く、このHPはすべて娘が作成してくれた。
私はただ写真を写すのみ、そのHPも23年が過ぎて、私も80歳近くの齢となる。当時はフイルムしかなかったが、この「越の国から」に刺激されて、県内各地の景勝地をくまなく歩く。
大伴家持を悼み、その家持の歌をいくつか載せてみよう。
★渋谷の 崎の荒磯に 寄する波 いやいやしくに 古思ほゆ(巻17−3986)
説明:雨晴・渋谷の荒磯に寄せ来る波のように、一層しきりに昔が想われるよ。
★淡雪は 千重に降り数け 恋しくの 日長きわれは 見つつ偲はむ(巻10−2334)
説明:淡雪よ、幾重にも降り積もれ、長い日々恋して来た私は、それを見ながらあなたを偲ぼう。
★立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし(巻17−4001)
説明:立山に降り積もった雪を、夏中見ても飽きない、神山の名にそむかないことよ。
★立山の 雪し消らしも 延槻の 川の渡瀬 鐙浸すも(巻17−4024)
説明:この川水は立山の雪解けらしい。だから早月川のあぶみを水に浸すことよ。
★片貝の 川の瀬清く 行く水の 絶ゆることなく あり通ひ見む(巻17−4002)
説明:片貝川の清流を流れる水のように、絶えることなく通って見ようこの立山を。
まだまだ続くがこのあたりで止めておこう。
2018/08/20(月)
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■不安の解消
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この世は不安だらけ。社会が進歩してわれ良しの世となれば、いろんな事件が起きて不安が増す。今のところ大きな戦争は起きていないが、大規模な災害は世界を席巻する。
私も今、季節の変わり目で体調が悪い。特に持病の不安神経症が出て、自分の未来や家族のことなど、小さな問題でも気分が悪く心が落ちこむ。そこでこの不安を解消する本を紹介しよう。
過去に何度か書いたが、スピルチュアルな医師である松久正氏である。自分をドクタードルフィン(愛と調和の医師)と名づけ、魂の成長と進化を力説される。
人生は不安だらけだが、身体と人生の困難は、魂が自分を進化・成長させるために選択した題材だと言われる。そして魂が進化・成長するためにやることは、実は苦悩ではなく、インターティメントだとされる。
それは自分が楽で愉しくなるためにやる過程なのだからだとする。苦悩をインターティメントと受け止めることで、自分にとって本当にいいことだと思うように認識を変えて欲しいと述べられる。
にわかに信じられない提案だが、病気や困難も自分が設定して、さらに楽で愉しくという魂の本質を生きるための材料だということを、どこかで少しでも感じられれば、苦しくてもこの苦しさはどう展開してゆくのだろうか? 自分をどう変えてくれるだろうかという感覚を持つことができるとする。これがインターティメントだという。
自分がこの苦により、どう進化し成長していくのだろうという感覚を持てることが、魂の喜びだとする。
大切なことはすべて、自分が選択したということで、魂は自分の進化と成長につながることしか選択しないという。つまりネガティブな経験ほど、自分が幸せに向かう良い材料だと喝破される。
この地球は「傷つく場、裏切られる場、病気で苦しむ場、泣きたくなる場」であり、我々の魂は、進化成長のために自らが選んできたのがこの地球であるとする。
自分のあらゆる悩みは、自らが選んでこの世に生を受けたのであると。魂にとっては一番よい題材しか選ばない。この人生で何を学び、何を得て次の生を迎えるか。
それは悩みがあればこそ体験できる貴重な贈り物である。そう力説されるドクタードルフィンこと、松久正氏の自著「高次元シリウスが伝えたい・水晶(珪素)化する地球人の秘密」(ヒカルランド刊)を読んで少しは納得した次第である。
2018/08/19(日)
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■写真贈呈
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長らくお世話になっている貴金属店の女社長に5年ぶりに会う。この店は繁盛し、特に高級時計のブランド物が多く売れるという。
この社長との縁は十数年前からだが、昔はゴールドが安かったから少し買った縁で、今も懇意に付き合っている。
そのとき、私が写真を趣味としていることを話したので、久しぶりに会ってもすぐに思い出してくれた。世間話をしながら私はふと、この社長に私が写した写真を一枚あげようと思う。
富山県は風光明媚な県で、写真の絶景ポイントは多い。写真歴20年の私は昔から山野を駆け回り、多くの写真を撮ってきた。
その多くは私のHPで紹介しているが、全紙に延ばした作品が40枚と半切が20枚ほどある。その記録写真の中から好みのものを上げようと話す。
喜んでいただき、3階の展示室に飾ろうと話された。どんな写真が好みか、それは私が選りすぐった作品を見せて、その中から1枚をあげようと思う。
春と夏、秋と冬の写真を合計10枚程度持ち寄り、選んでいただこうと思うが、私も80歳に近くなると、作品を溜めて保管していても価値はない。それは後の子供たちに興味がないからだ。
だからその写真を処分する意味でも、喜んでいただける方にあげたほうがためになると考えた次第である。
写真歴20年で撮りためた写真は、フイルム時代のフイルムが200本、デジカメになって2000枚を越える。この作品は私が死ねば紙くずとなろう。
そうなる前に有効利用として親しい人にあげようと思う。このように若い頃からの思い出は、次なる人々に引き継がれることを喜びとする次第である、
2018/08/17(金)
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■モノンハン事件
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お盆は先祖の御霊を供養し癒す大切な日だが、昨日は田舎の墓に参り、まだ少年だったころの思い出に浸る。そしてこの時期は幾多の戦争で亡くなられた英霊に対し、篤い哀悼の念をささげる時でもある。
昨夜のNHKスペシャルでは、旧満州国とソ連・モンゴル軍の間で起きたモノンハン事件を取り上げていた。日本が中国の満州を植民地とし、その広大な領土を維持するのは容易なことではなかった。
その境界線は5千kmにもおよび、どこで境界とするかで争ったのがモノンハン事件であった。日本の関東軍2万5千人とソ連・モンゴル軍5万5千人が戦い、2万人の戦死者がでた悲惨な戦争だった。
その真実が今、明らかとなる。膨大な軍上層部の証言記録が見つかり、その真相が暴露された。大東亜戦争が始まる2年前で、私はまだ生まれて間もない時であり、関係した親族もいなかったため初めてその真相を知る。
戦争とは人類に課せられた悪である。この世に人として生を受け、その魂を清め高めるための目的が、殺し合いの戦争になるとは何たる悲劇であろうか。
この番組を最後まで見た私は、今朝、得体のしれない夢を見た。すぐに忘れたが、その奇妙な夢は広大なモンゴルの平原で争われた戦争に関するものだった。
もう一つの戦争が昔のビルマにある。それはインパール作戦といい、ビルマから越境して今のバングラデッシュのインパールを攻略する戦争であった。日本軍は三方から深いジャングルを踏破し、インパールに向かうが、その悲惨な行軍で多くの病死者を出す。
「インパール死の行軍」と揶揄される戦争は、野砲を分解して担いでジャングルを運び、弾薬や食料の補給を無視した行軍であった。
この対戦でも多くの死者を出した。その多くは戦争よりも戦争に向かう途中や撤退するときの戦病死だったという。わが教団ではこの惨状を哀れみ、この11月には今のミャンマーで戦死者を悼む供養が成される予定である。
戦争は人と人の殺し合いであり、その理由は多々あろうが、すべては人間の欲望を満足させる業である。戦後73年を向かえ、あの悲惨な大戦の番組が多いが、それでもまだテロや戦争は後を断たない。
この愚かな人類はお互いが殺しあうことにより、魂の進化を目指す。その道程は苦しみと悲しみだけの世界であり、いつまで続くことであろうか。
人類は早くこの愚に気づき、「人の依って来た道・往く道を知る」霊性を獲得すべきである。
2018/08/16(木)
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■帰省
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今日は15日、約束どおり娘の車で田舎へお墓参りをする。家から約1時間半、下道や高速道路はそんなに混んでいない。もうお盆の帰省が終わったからであろうか。
砺波平野を抜けると峻険な山岳地帯へ入る。東海北陸道の約3kmと6kmのトンネルを抜けると懐かしいわがふるさとだ、今日は35℃になるとの予報が、ここでは30℃くらい。ここは岩手県と同じ平均気温なのだ。
約束の時間を越えていたので名古屋の3男から電話が入る。あと5分程度でお墓に着くと連絡し、集落の墓地に着いた。
13年前に立て替えたお墓に花を添え、ろうそくと線香を立てる。私の家族に娘夫婦がそろい、お経を唱えて先祖の威徳を偲ぶ。
正午にお参りが終わったので、それから近くの温泉で食事をすることにする。この温泉は国道156号線のそばにあり、昔ふるさと創生基金1億円で掘り当てたものだった。
ダム湖を見ながらみんなで楽しい食事を行う。楽しく歓談し三男が岩魚をつかみに行くという。ここからすぐの谷川で、昔、3兄弟が岩魚つかみをしたところだった。
今は渇水で水が少ないため、岩の下に手を入れれば手づかみできるかもしれない。昔の楽しかったことが忘れられないので、懐かしくなったものであろう。
懐かしきふるさとの自然に変化はなかった。だが人間社会は大きな変化に見舞われている。庄川に点在した集落では過疎化が進み、限界集落に達したところもある。
65歳以上の人が40%を越えれば限界となる。それは集落の運営がスムーズに行えなくなるからだ。昔加賀藩の流刑地だったわがふるさと。
世界遺産となった菅沼合掌集落と相倉集落は別として、過疎化は加速度をつけて進む。解体処分したわが家の跡地を見て、複雑な思いをしながら帰ってきた次第である。
2018/08/15(水)
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■弟を偲ぶ
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お盆に入り、先祖のお墓参りのときが来た。明日は名古屋に住む三男夫婦とともに、ふるさとのお墓に参ろう。
私は三人兄弟で越中五箇山で生を受け、中学時代を山で過ごした。次男と三男は地元の高校へ進学して親の手伝いをしながら過ごした。
私一人が町の工業高校へ進学し、運よく電力会社へ就職できた。その次男が2年前に大腸がんで他界し、その菩提を弔うお参りでもある。
炭焼きと出稼ぎしかできなかった父を助けたのが次男と三男だった。祖父が肉牛を飼い、子供を生ませて家計の足しにしていたが、その草刈や炭焼きの手伝いは次男と三男の仕事だった。
その次男が75歳の生涯を閉じ、愛知県の犬山に眠る。三男も名古屋に住み、久しぶりに彼の奥さんとも再会できる。
3人が健在なころ、必ずお盆には3人が田舎の空き家に集い、近況を話し昔話に時を忘れて語りあった。その次男が先に逝ってしまった。
次男は特に父の手伝いで苦労したそうである。私は町の高校にいたから知らなかったが、出稼ぎで東京の川崎にいた父を助けるために川崎に出向いて自ら父の仕事を手伝ったという。
特に技術を持たない父は単純労働の仕事しかできなかったが、その稼ぎも毎晩の酒代に消えて、家へ持ち帰る金銭はわずかなものだったという。
私も夏休みは父の炭焼き小屋に寝泊りして手伝いをした。標高700mもある山の斜面に掘った釜で、原木のナラの木を切り運んで釜に順序よく縦に入れる。
釜の大きさは16kgの炭俵で100表近い数を生産できたが、火をつけて炭化するまで約10日、毎晩徹夜で火の管理をするのである。
蒸し焼きになった炭は釜を密封して3日、さめたところで入り口を開け、炭を取り出すのである。そして規格通りの長さに切り、俵に詰める。
このときが一番楽しかった。俵は家で編んだカヤの袋で、四角の形をしている。その中に整然と入れて完成するのだが、その俵を3表担いで峻険な山道を下り、車が通る道まで運ぶのである。
仕事はきつかった。だがこの炭焼きの仕事しか山にはなかったのである。山は毎年場所を変えて炭を焼いた。遠くは20kmを越える高い山で焼いたこともある。
家系を助けるために一番協力したのが次男であった。その次男も名古屋に出て自立するも、ついに生涯を閉じた。あとは残った長男と妻の生活が心配される。
釜を密封し、火が消える夜の時間を今も思い出す。静寂で満天の星空にふくろうの声が響き、異郷の寂しさが身にしみた。木の伐採や運搬、どれも重労働であったが、これが当たり前と苦にもならなかった。
あれから65年、その父母の亡くなり、住み慣れた家も解体した。今は先祖の墓が眠るのみ。帰郷は年に一度のお墓参りとなった。
2018/08/14(火)
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■苦しみと悲しみの星地球
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9人が乗った群馬県の防災ヘリが登山道視察で墜落し、全員が亡くなった。優秀な隊員を一度に9人も亡くし、この世の悲惨さにただ悲しむだけである。
この地球人類は、どこまで苦しみ悲しまねばならないのであろうか。それは「珪素化する地球人の秘密」の著者、松久正氏も言われるように、自己の魂があらかじめ決めてきたことだといえば、納得されるであろうか。
その理由は自己の本体が「魂」であるからである。身体は仮りのもので、魂を入れる入れ物に過ぎない。魂は進化発展を基本とする。そのため、進化するためには何が必要か、そしてどんな体験をすれば進化につながるかを決めてこの世に生をうける。
人生100年程度の期間では学びきれないので、人は無数の転生を繰り返しこの世に生を受ける。そのたびに進化に寄与する出来事を選択するのである。
私は長いわが師との学びで、この理論を理解し、その学びから人生を生きる術を学んできた。釈迦は何を説いたか。それは「因縁(カルマ)を解脱して仏陀となる」その手法を説いたのであった。
人生で起きるすべての出来事は因縁(カルマ)の成せる術である。そのカルマは長い輪廻の上で積み上げ、また消去しながらこの苦しみと悲しみの地球で学びを深める。
釈迦は最終的に「因縁の解脱」を説いた。それはすべてのカルマを消滅させ、無垢の常態となり二度とこの世に輪廻しない究極の魂の昇華である。
ドクタードルフィンと呼ばれる松久正氏も著書でその手法を説かれる。宗教家でない松久氏であるから、人間の本質を分析し、科学的に魂の進化を説かれるが、基本的には釈迦と同じ理論である。
釈迦は徳を積みながら深い瞑想により、カルマからの脱却を成された。その術を体験されたわが師も同じ。師の言によれば、異次元への道は間脳の視床下部に存在する松果腺に、ある特殊なホルモンを与えることで、次元を超えた世界へ到達できるとされる。
これは松久氏の理論と一致する。ここまで進んだ人類の進化は、次なる段階に到達する瀬戸際である。どんな手法であれ、この苦しみと悲しみの世からいかに脱却するか、その手法を私はわが師から学んでいるのである。
自分が自分の人生を選んでこの世に生を受けた存在だとすれば、この苦も悲しみも少しは癒されるかもしれない。
2018/08/12(日)
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■帰省ラッシュ
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今日からお盆の休み、各地で帰省ラッシュが始まり、高速道路や新幹線、飛行機が満員のようだ。私もこの15日に田舎のお墓参りをしようと思う。
越中五箇山は加賀藩の流刑地で、周囲を1000mの山に囲まれ庄川の両岸に点在した集落は格好の流刑地だった。私の生まれた集落から近い小原集落には、おさよ節で有名なおさよと吉間の碑が建っている。
五箇山へ流刑された犯罪人は元禄3年から嘉永初年(1848)ころまでに159人が流された。流刑人が入る小屋(今の刑務所)は重犯罪人が入る”おしまり小屋”と呼ばれた独房と”平小屋”と呼ぶ多人数が入る小屋に分かれていた。
流刑人は男女を問わず、小さな子供を連れた女もいたという。庄川に点在した集落には、いろんな犯罪を犯した人たちがいて、57年間も流刑されていた者や舌を噛み切って自殺した者、また脱牢して町まで逃れたものの、捕まって打ち首になった者などさまざまであった。(田向集落には独房がそのまま保存されている)
その中で目を引いたのが”おさよ”である。おさよは平小屋と呼ぶ開放された牢屋に住み、出入りが自由であったため牢番の吉間と恋におちいる。
おさよの流刑は、ならず者のいずみや長右エ門が、加賀藩士高崎半九朗らとぐるになって遊女を酷使してあくどい稼ぎをしていたのがばれて、同犯として五箇山へ流罪となったものである。
おさよは能登の輪島の出で、親の口減らしのため13歳で輪島の素麺屋に年季奉公していたのだが、18歳のとき人買いの甘い口車に乗って金沢のいずみや長右エ門という曖昧屋へ身売りされる。
おさよは最初能登へ流されたが、出身が輪島だったため改めて五箇山へ流刑となったものであった。
さて、出入りが自由な平小屋では牢番の吉間がおさよに一目惚れする。おさよは美人で歌がうまく、その歌は”おさよ節”として今も愛唱される。
人気者だったおさよは、いつしか吉間の子を身ごもるも、流刑人としてあるまじき行為に、将来を悲観して庄川に身を投げて自殺したのであった。
悲観した吉間も住みなれた集落を離れて、おさよの菩提を弔うために全国行脚に出たが、その後の消息は分からない。
私は写真を撮り初めて数年後に、おさよが身投げした近くの滝を写真に撮った、すると何と! おさよと吉間が写真に現れたのである。それは完全な霊写真であった。
この秘話を知っていた私は、わが師にお願いして毎月二人の供養をしようと思う。その方法は「お塔婆供養」といって、本人の名前を書いた塔婆を仏陀の成仏法で癒すのである。
そして4年の歳月が過ぎ、不思議な出会いが起きた。それは私の家から近い富山市に住む彼女(私の初恋の人)とあるスーパーで偶然会ったのである。
彼女は私が中学1年生の時、横浜から転向してきた少女で、小原部落の親戚にお世話になったかわいい生徒だった。私は一目見て好きになり3年を過ごすも、高校生となって分かれた。以来同級会にも姿を見せず案じていたが、私の住まいと近い富山市に住んでいることは知っていた。
近くに住んでいながら始めての出会いであった。彼女は成人の息子と二人でいて、数分間話をして分かれたが、それ以来再会はしていない。
これは何を暗示するか。そう、あのおさよが成仏したという知らせではないかと感じたのである。その写真は私のHPで、写真(滝2)のbPを見ていただこう。
そんな縁で私は、今年も生まれた懐かしいふるさとへ行く。今回は三男夫婦と娘婿も参加するので、おさよにも挨拶してこよう。
お盆とは先祖の慰霊の日である。死して安らかに過ごせるよう、心からの供養をしてこようと思う。
2018/08/11(土)
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■お盆の由来
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早いもので、もうすぐお盆となる。明日から土日で帰省される方も多いであろう。今年は名古屋に住む三男夫婦が田舎へ来て民宿に泊まり、お墓参りをすると便りがあった。
26年間空き家だったわが田舎の家も4年前に解体し、今は屋敷が草で覆われているであろう。だがお墓はそのままで、私も15日に家族で三男夫婦と共にお墓参りをしようと思う。
さて、お盆とは先祖を供養する日であるが、その由来をご存知であろうか。お盆とは正しくは「盂蘭盆」と言い、梵語の「ウランバーナ」から来て音訳されて盂蘭盆となったものである。
ウランバーナとは倒懸すなわち「逆さ吊り」という意味で、生前の悪業により霊障のホトケとなり、逆さ吊りにされるような、ひどい苦しみを味わっている状態を示す言葉である。
そのお盆の元となった由来は、お釈迦様の十大弟子の一人、神通力に優れた目連尊者(マハーモッガラーナ)のエピソードにちなんでいる。
あるとき、目連尊者は、成仏法の修行で得た神通力で亡き母の姿を探した。すると、あの自分に優しく慈悲深かった母親が、生前のむさぼりの罪で餓鬼界で苦しんでいる。
餓鬼となった母の有様は浅ましく、飢えと乾きにさいなまれ、お供えの食物を口に入れようとすると、目前で火になって燃えてしまう。
母は目連には優しかったが、わが子を一人前の僧侶にするため、あくどい商売をして多くの人から搾取して泣かせたのであった。
母の飢えを視た目連尊者は悲嘆して、お釈迦様に亡き母の窮状を訴えた。それが旧暦の7月15日に国中の高徳の僧侶に供養し、母の成仏を祈願していただくことだった。
その功徳により母は、たちまちのうちに成仏したという。以来、お盆にお寺に供養し、坊さんに拝んでいただければ、7代までの先祖、そして自分を中心に多くの親戚縁者たちが、この功徳によって成仏できると言い伝えられている。
いかがであろうか。人は成仏するためには三毒といって、このむさぼりと怒り、因縁因果の理法にうといという悪因を切らねばならない。
私もわが師に師事し、まずはこの三毒を切る修行を重ねて、自分の魂を清め高める修行をしているのである。
人は輪廻転生しながら魂の進化を目指す。その節目の一つがこのお盆である。
2018/08/10(金)
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■神の通り道
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前に記した松久正氏の著書、「高次元シリウスが伝えたい水晶(珪素)化する地球人の秘密」(ヒカルランド刊)を何度も読んで実行に移す。
人間の脳に松果体という特殊な部位があり、それはソウル・ウェイブ(神の通り道)とされ、その松果体を珪素化することにより宇宙の叡智が得られるという。
この理論を読んで私はすぐに納得する。それはわが師が難行苦行の末に獲得された霊的能力である。わが師は間脳の視床下部にある松果体に、ある特殊なホルモンを与えることで、次元を超えた人の前世を霊視することができる能力を得られた。
その能力をフルに発揮され、その人に関わる先祖の無念や他人の怨念を仏陀の成仏法により解脱させる偉業を開発された。
人は輪廻転生しながら無限の人生を過ごす。その間に犯すのが悪念や愚行の数々である。そして無念の死を遂げると、霊的障害を起こし、あの世で苦しむのである。
その苦しみや悲しみは現世に持ち込まれ、自分の人生を形成する。なぜならその喜怒哀楽が自分の魂を高める糧となるからである。
著者の松久正氏は随所にこう述べられる。「自分の健康と寿命、仕事と生活、成功と失敗、どのような人生を送るかは、すべて高次元DNA遺伝子に組み込まれている。
その仕組みは魂にある。魂は成長と進化を目的とする。そのためあらゆる苦難を自ら背負い、魂の成長に資するよう計画して生まれてくる」のだという。
人が成長するには宇宙の叡智が必要である。その宇宙の叡智を受信するのが松果体であり、松果体を珪素化することによりごく自然に自分が宇宙の叡智を得られるように変身するのだそうだ。
氏の魂は高度に進化したシリウスを起源とするといわれる。松果体を珪素化することですべてが変わる。その手法も記されており、私は毎日その練習を欠かさない。
簡単な手法で松果体を珪素化できればすべてが変わる。最近思うのだが、頭に浮かぶ案が鮮明となり、行動に移せばごく自然に叶うようになった。
これも何がしかの力が出てきたからであろうか。松果体を珪素化するには珪素そのものを摂る方法が一番だそうである。私は以前より次男が経営するホノカ社から、「ウモプラス」という商品名で発売されている「水溶性珪素」をドリンクに混ぜて飲んでいる。
この珪素がどんな自分にしてくれるか、その成果はこれから始まる。まずはこの著書を読んでいただき、人が高度に進化するシステムを理解されることを望むばかりである。
2018/08/09(木)
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■500年の時を越えた恩返しA
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見知らぬ老婆がこんなことを言う。
「あんな、メイウトウさん、あんたに飯を食わしてもうろたのは50年前かな? やっぱり100年前かな。いやいや500年前にな、あんたに飯を食わしてもろうて、世話になったんや!」
「メイトウさん、わてな、クシダのキュウマツだす。メイトウさん、わてな、あんたにちゃんと借りを返したからな。」と言ってトイレか反対側のプラットフォームに歩いて行ったという。
Aさんは訳が分からず憮然としていたが、急にわれに返り早く電車に乗らないとダメだと思い、急いでプラットフォームの方に急いだが、ちょうどドアが閉まり出発したところだった。
そしてあの尼崎脱線事故が起きた。Aさんはいつも先頭の車両に乗っていたというから、恐らく命はなかったことであろう。
人は輪廻転生してこの世で魂の進化を遂げる。Aさんの先祖が500年も前に成した善行が長い歴史を経て今、この大事故を避けるという不思議な出会いで助けられたのである。
この実話はわが師の著書「輪廻転生瞑想法T」(平河出版)に詳しく書かれている。そして生前に成した善行により、子孫がその徳を頂くのである。
私も不徳の身。前世で成した不徳によりいろんな苦が私を襲う。だから、この因縁因果の法側を信じてわが師に師事し、自分の悪しき因縁を切る修行をしているのである。
私の一生も最終段階に入った。あと何年生きられるか分からないが、釈迦の真の教えをわが師より教わり、悔いのない人生を送ろうとこの日記を書いている。
私のたわごとを毎日、読んでいただいてありがとう。私は少しでも魂を清め、自分の来世に良い縁ができるようにと、自分の悪しきカルマの断絶に命を懸ける。
2018/08/08(水)
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■500年の時を越えた恩返し@
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熱い毎日が去り、今日は30℃に満たない。これが例年の気温なのだが今年の夏は異常な暑さで、毎日がクーラーの効いた部屋で昼寝だ。
家内が今晩の食事のメニューが何がいいかと聞く。私は即座に肉じゃがにしようと言った。その材料は畑で作ったジャガイモとたまねぎをふんだんに使い、安くて大量のおかずができるからである。
沢山作って、隣の人にあげよう。その隣人は息子と二人暮らしで、定年を契機に引きこもり、毎日がテレビと友達で外出しないため、ついに足腰が弱くなり60代にして介護が必要となった男性である。
食事は息子が毎日買ってくるおかずでまかなうが、そのほとんどは弁当である。週に2日ほど施設に通う姿を見て、まだ若いのにと家内が哀れに思う。
そこで同情した家内が、時々おかずをあげることにした。大変喜んでいただき、感謝される。そんな関係が約1年ほど続いているが、今回は肉ジャガを上げようと言う。
ここでわが師の著書から奇跡的な体験談を紹介しよう。それは2005年4月25日に起きたJR福知山線の脱線事故である。快速電車が伊丹駅を定刻より少し遅れて出発し、午前9時18分ころ尼崎駅の手前で脱線し、死者107名という大惨事を起こした事故である。
そのとき、わが師の会員であるAさんが夜勤の仕事が終わり、帰宅するため歩いてJR伊丹駅へ向かう。電車はすでに駅に停まっており、オーバーランが原因だと気づく。
ひよっとすればげ乗れるかもしれないと思い、切符を買いあせりながら改札口の方へ走って行く。ところがそのとき、「あんた! ちょっと! あんた!」と声がかかり、振り向くと杖を持って百貨店の紙袋を提げたおばあさんだったという。
こちらへ来なさいと手招きしているので、そばへ行くと、「あんた、メイトウさんやろう」というので、一瞬たじろぐも、「やっぱりメイトウさんゃ、あんたメイトウさんやろう!」と繰り返す。
「おばあさん、申し訳ないが私はメイトウという名前じゃないし、人違いですよ。」
このおばあさんは私の返事を全く聞かず、次のように話したという。さて、このおばあさんは一体何を話して、Aさんがどんな運命を遂げようとしたかを明日、記すことにしよう。
2018/08/07(火)
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■町内納涼祭
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毎年恒例の町内納涼祭が今始まった。毎年のことで、ごく近い公園に仮設されたテントと机や椅子で、冷たいビールを飲む。
おつまみとして焼き鳥や焼きそばなど豊富で、310軒の町民が集う。だが集まる人は毎年決まっていて、私の班では誰にも会わなかった。
昔は町内の親睦が盛んで、行事があるたびにみんなが集まり語り合ったものである。そして早くからムード音楽を流し、カラオケが始まる。
しかし、公演のそばのある人から苦情が出て、スピーカーの音量を下げ、カラオケしか流さない簡素な集まりになった。そして歓談する人よりも、おつまみやビールを買って家へ帰り、家族で楽しむ人が増えた。
団地ができて37年、みんなが70代後半や80代となる。それに連れて人々の意識も変わり、お互いが親しく話し合う人も少なくなる。
団地は空き家が増え、一人暮らしや夫婦2人だけの家も増えた。その影響は町内の運営にも支障をきたす。原則75歳以上では班長を辞退できるし、たまにしか家へ帰らない人もいて、班長の役がすぐに回ってくる。
昔はカラオケが盛んで、町内にオンチの声が響いていた。だがその歌う人も減り、さびしい納涼祭となる。
唯一の楽しみは、最後に行われる景品のくじ引きだ。家内がこのくじにめっぽう強く、毎年のように景品を当てる。昔は自転車などの高級な品が出たが、今はせいぜい3000円程度の日用品である。
さて、もう納涼祭は終わる時間だ。今年の家内のくじ運やいかに!
(追記) 今、8時半だ。玄関に家内の声がして「父さん、当たったよ!」と言う。景品は上等の品で、広げてみるとラーメンの詰め合わせだった。
この熱い日にラーメンはいただけないが、日持ちがするので楽しみに待つとしよう。
2018/08/04(土)
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■人手不足
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ひげが伸びたので剃ろうと思うが、ついでに床屋へ行き散髪をすることにした。格安の床屋は散髪と髭剃りで1400円で済む。
お昼は空いていると思い、12時40分ころにいつもの床屋に着いて部屋に入る。ところが待機待ちのお客が10人で、見ると理髪師は3人しかいない。いつも顔を見る人が2人、あとの1人は新人だった。
これでは待機待ちのお客がいて当たり前だ。私は約2ケ月ごとに床屋に出かけるが、以前まで5人いたのに2人も減っている。
どうやら繁盛しても職人がいなく、人手不足のようだ。それを暗示するように、店には張り紙がしてある。中・高校生の理髪師養成の内容だった。
初任給18万円、理容専門学校の授業料は全額負担とある。だが働く理容師は40代から50代の男性と女性で、若い人は見当たらない。
一人仕上げるのに約20分、そのうちの一人が用事で外出した。お客は次々来るが、順番が来ない。お客はほとんどが私のような老人だった。
私の順番が来たのが1時間30分を過ぎた時刻で、やっと席に座る。そして終わったのが2時だった。こんなことは初めてで、この業界も人手不足が厳しいことを知る。
富山県の求人情報では、企業側の求人待ちが1.9倍だという。主に介護や建設分野が多いそうだが、求める働き手が集まらない人手不足はまだまだ続きそうだ。
しかし今、IT分野の発展が目覚しく、人手不足をITで補う世が来るという。ITを駆使したり、機械に任せる分野は人を要しない。知的な分野がどれだけ進むか、その鍵は技術革新にかかっている。
2018/08/03(金)
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■血の小便
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昨年の秋だった。暑い夏が過ぎた朝早く、河川敷の畑へ出かけて野菜を収穫する。小便がしたくなり、岸辺の藪に向けて放水する。
ところが大変なことが起きた。出たのは小便ではなく、血液だった。少量だったが、私は驚いて何が起きたのか判断がつかない。それは違和感もなく、極自然にいつものようにもよおしたからである。
この異常事態を気にして、家へ帰り時間が来たので病院へ直行する。内科の医師は私の病状に、まず膀胱の検査をしましょうという。それはエコーで確認するのだった。
エコーの映像は横になった私も確認する。医師はまったく異常はありませんという。この現象については私も同感で、痛いとか苦しいとか身体に違和感はまったくなかったからである。
安心して家に帰り、今まで過ごしてきたが、先日またこの現象が起きた。午前5時に畑へ行き、トマトやナスを収穫して、時間があったので伸びた草を刈る。
朝の気温は約25℃、それほど熱いとは感じなかった。家へ帰り小便がしたくなる。するとまた血の小便が出た。この現象も全く違和感がなく、放尿するときもいつもと同じであった。
また昨年と同じと思い、しばらく様子を見て医院へ行くかどうかを決める。再度尿意を催したのでトイレへ行き放尿する。結果はわずかの血が出たが、普通の小便に替わった。
この血は一体どこから出たものであろうか。私は医師ではないので皆目分からない。だが病気ではないようだ。
昔から「血の小便」といい、過労で身体が極限の疲労を重ねたときに、血が混じる場合があると言う。恐らくこの現象だと思うが、突然の出血にびっくりする。
今年の夏は異常だ。連日35℃を越える暑さで疲労困憊。日中はエアコンの効いた部屋で過ごすので助かるが、何もする気がないので気分が悪い。
この暑さはいつまで続くであろうか。熱中症になる人はすでに昨年を越えたとある。私も熱中症の症状らしき気分になるが、老化は否めない。
この異常気象は世界中だという。それは今から始まる人類のカルマを見ることになろう。
2018/08/02(木)
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■酷暑がつらい
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連日35℃を越える気温が続き、体調が極端に悪くなりだした。それは持病の不安神経症が強くなり、不安感で気分が悪い。
そもそもこの不安神経症は今から30年ほど前の現役時代に、職場のストレスから発したものだが、直ることもなく今も続いている。
当時、私は石川県七尾市で出力50万kwの石炭火力発電所を建設していた。湾の一部を浚渫し、背後の山から土砂を取って海面を埋め立て、膨大な敷地を造成するのである。
私は機械屋だったが、土地造成が仕上がった次点で、ボイラーや発電機など主要な機械類をすえつける現場全体の安全を守る課長をしていた。職場は一日2000人の労働者が働き、約3年の歳月をかけて完成される。
安全は工事の要で、怪我や死者を出すことは大変な出来事である。しかし完成まで総数120万人の労働者が働くから、事故は防げいない。
高さ70mに達するボイラー棟や200mの煙突工事など、高所作業や数十トンもの機械類をクレーンで正確に据え付ける作業は、最新の技術と安全が求められる。
建設が始まる前から、完成までの安全管理の方針を作り、あらゆる事態を想定して準備を行う。私はそれまで過去の建設現場で墜落事故で2人の死を見てきた。
仕事は地味だが、事故や災害を防ぐ要としての責務は重い。その安全作業を策定する計画から上司との意見の相違があり、また部下からは注文を付けられる。
間に挟まった私は不安感が出て困窮するが、工事が始まり多数の労働者が働き出すと毎月災害が発生し、不安で神経が麻痺する。いわゆる不安神経症だが、私は耐えた。約2年半の期間を勤めたが、休んだのは一度だけで、あとは薬を飲んで耐えた。
おかげで重篤な災害は発生せず、難を逃れたが、ある建屋の建設で、天井に釣り足場を作成中、8mの高所から若い作業員が墜落した。この作業員が18歳未満であり、当然労働基準法に違反する。
18歳未満の労働者は、2m以上の足場作業はできないことになっている。労働基準監督署の所長は私に法違反であるから送検すると脅された。
私は必死に神仏に祈る。墜落した作業員が重症を負ったが。幸い命には別状なかった。そして幸運なことに送検されなかった。
毎月のように墜落やはさまれ、打撲などの災害が発生し、私の心は極限の状態となる。しかし、埋め立て工事で死亡事故が起きているのに、最悪の死亡事故は1件も起きなかった。
あの緊張した現場の記憶が時々よみがえるのである。無事目的を果たした私は完成を待たずに関連会社へ出向し、そこで定年を迎える。
在りし日の緊張した毎日がいまだに頭をかすめる。もう老齢になり過去の出来事は忘れたいが、この暑い日に時々私を不安にさせるのである。
2018/08/01(水)
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