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認知症
 家内が認知症の症状を呈し、次第に重くなるので心配している。今日一通のハガキが届き、読んでみると7月に発注した認知症に効く食品の値段が入金されていないとの通知だった。

 新聞の広告を見て注文したのは覚えているが、その後はもらうだけで代金ははらっていなかった。小さな小包には請求書なるものがなく、商品と効能を書いた広告だけであった。

 2ケ月に1回、自動的に発送されるそうで、やめるときは電話しなければならない。そんなことはとっくに忘れて、家内は請求書を見ても自分が対応すると意に介さない。

 私はそれを押し切って先方に電話して、商品の発送中止を願い出た。そして2回いただいた代金1万円は前商品を返していただければそれでよいという。

 最初にもらった商品は総て飲んでビンは空だったが、9月の初めにもらった商品は手がついていなかった。明日の午前中に郵便局員を派遣するので、箱を渡してほしいという。

 この件を見ても、家内は自分で判断し、以後も続けて管理する能力が著しく欠如している。幸い私が電話し、相手の承諾を受けたので事なきを得たが、認知症には叶わない。

 家内の認知症は加速度をつけて進む。それは日中暇で、ほとんど寝て暮らすからである。今や800万人が認知症だという。私も記憶力が次第に減退するのが分かる。

 この先、老人の生きる道には大きな関門が出来沸くであろう。それは認知症の増加である。父も母も認知症だった。私もその傾向があり、できるだけ伸ばせるようこの日記に賭けているのである。

2022/09/29(木)


葬儀
 阿部元首相の葬儀が国葬として日本武道館で行われた。憲政史上最長の8年8ケ月にわたり政権を担当され、多大な功績を残された氏は2人目の国葬として冥土へ旅立たれた。

 しかし、この国葬では憲法上明確な定義がないとして、反対のデモが各地で行われ、中途半端な面も浮き彫りになった。この反対が賛成を上回るなか、私の思いは賛成である。

 人生の時間は短い。その平均寿命は男性が81.5歳、女性が87歳とされるが、この年月は過ぎてみればあっ!と言う間だと思う。それは私が今82歳の年を迎えているからだ。

 私は今、まだ健康で命に関わる病気を持たないが、いつお迎えがくるか分からない。この間私は祖父や祖母、父や母を看取ってきた。

 祖父は89歳、祖母は91歳を越え、父は68歳で脳溢血で倒れ、母は97歳で天寿を全うした。いずれもその葬儀は昔からのしきたりで、盛大なものであった。

 山奥の田舎での死は念仏道場が会場で、遺体は家から近くて(こし)と呼ぶ神社の形をした屋形に入れ、4名が担いで道場まで運んだ。

 葬儀の読経は集落の坊さんが勤め、部落総出の葬儀となった。ここで思い出すのが、父の葬儀であった。昭和52年2月9日、68歳で死んだ父は、火葬が大変だった。

 その冬は大雪で、2mをはるかに超える雪が積もり、家から200mほど離れた墓地のそばに焼却場があった。深い雪をどけて焼却の穴を見つける。

 そしてその穴で死体を焼却するのだが、燃料は薪や木炭で、雪の降るなか長い時間がかかった。洞穴のような焼却場での火葬は、恐らく想像できないであろう。

 私も大変だった。葬儀の喪主を務める関係から、父が亡くなったとの連絡を受け、遠く離れた富山市から車で庄川の船着場へ着き、そこから船で上流を目指す。

 船が着いた先は徒歩であった。約10kmの雪道を歩いて家へ急ぐ私を想像してほしい。富山市で職を得て家を建て、そこで住んでいたからであった。

 祖父は89歳、祖母は91歳、母は97歳の長寿を全うしたが、私はどうであろうか。唯一の病気は不安神経症だけだが死ぬ病気ではなく、まだまだ元気で長寿を全うしたいものである。

2022/09/28(水)


LEDライト
 しばらく休んでいたが、さしたる話題もないためで、今日はつまらぬ話をしよう。それはHPトップを飾っているLEDライトの話である。

 人類は明かりの歴史を物語る。それは薪の時代からローソク、油ランプ、そして白熱電灯、蛍光灯と進化してきた。その電灯も戦後の急速な技術開発でLEDという電源を開発した。

 明るく小電力で輝く電灯はLEDに限る。私は居間のエアコンを200Vの最新型に替えるついでに、蛍光灯からLED電灯にした。その消費電力は60Wクラスでも30W以下の小電力に過ぎない。そしてぞの寿命は10年以上と長く、ちらつきもない。

 今、私のHPの表紙を飾る牛岳スキー場のIED電球など、数万個の明かりも電力はわずかなものであろう。でなければこんな数の電灯を灯すことはできない。

 LED電灯は光の点にすぎない。広大なスキー場を飾る電灯は、七色の見事な列に配置にされ、夜空に輝く。

 よもやま話を読まれたら、このタイトルをクリックし、私のHPに飛んでその光景を楽しんでいただこう。

2022/09/25(日)


体調不良
 最近、体調が悪く、苦しんでいる。長い間「不安神経症」で悩んでいたが、娘が驚くような妙薬をくれ、それを飲んで不安感がでなくなったのは朗報である。

 しかし、私の体は一つや二つの病気だけではない。それは便秘であり、今はしばらく悩んでいなかった胃の病気で苦しんでいる。私の胃は胃酸が多く出て胃を傷つけるので、お腹が痛くてしようがない。

 そこで2日前に病院へ行き、胃酸過多の薬と胃の粘膜を保護する薬をいただいてきた。今晩はその薬を飲み、痛みはしだいに消えてしまった。

 前にも書いたが、この6月中旬に思わぬ出来事があり、私の身体は不成仏霊に乗っ取られて、気分が悪くなり、体重は10kg程度も痩せてしまった。

 細い足や腕には力が入らず、私の行動範囲は格段に狭まった。これは霊的なものであり、今はその霊から退避する方法を行っている。

 人の本体は霊魂であり、不慮の事故などで悲惨な死に至った霊は、そこにとどまるか清められた霊魂を持つ人に憑依して思わぬ苦を与える。

 不浄物霊は釈迦の成仏法で篤く供養し、もう死んで現世に関係ないことを知らしめるのが一番だが、自分が法の力で身を清め高めて憑依できないようにするのが基本である。

 82歳となり、いろんな病気を患い、日々に自分の命が短いことを感ずる今日、この頃である。
 

2022/09/22(木)


思い出
 台風14号が無事通過し、平穏な日がやってきた。報道では富山は今日の未明がピークで、相当の暴風雨になるとのことだったが、それは一時的なものですぐに風や雨は小降りになった。

 先日は台風の風で合掌造りの家が倒壊したことを記したが、私は中学3年生のときまで合掌造りの家に住んでいた。その家は200年以上の歴史があり、居間の柱や壁はすすけて真っ黒だった。

 合掌造りのメンテナンスで一番の思い出は、屋根の葺き替えだった。カヤと呼ぶススキの仲間をカマで刈り、それを50cm以上の厚さにして屋根を覆うのである。

 毎年刈りこむカヤの量には限度があり、広い屋根を一度に葺き替えることはできない。だから片側の屋根を2〜3等分に分けて、村人総出で作業にあたるのであった。

 カヤは山の斜面に植えられ、その場所は数箇所に別れていたが、いずれも標高の高い遠い谷間やブナ林を越えた高台にあった。家の後ろがブナの天然林で、約400mほど登った山の中腹がカヤ場だった。

 カヤは刈り込んで数日放置し、少し枯れたものを束ねて持ち運ぶ。そして数日が過ぎるとそのカヤをムカデのようにつないで引き降ろすのである。

 昔からカヤ場は同じなので、引き降ろして運ぶ山には小さな谷のように削られた跡があり、道ができていた。その終点からは担いで家まで運んだのであった。

 カヤ葺きの寿命は20年から30年、それを6等分に分けて葺き替えるから数年の間は、刈り込んだカヤを貯蔵して対処していた。

 村人が総出で無償の働きをしていただいたおかげで、膨大な経費のかかる屋根の葺き替えも最小限の費用で済んだのであった。

 冬は居間の囲炉裏で暖をとり、または炭火のコタツで一家が団らんした。あれから70年が過ぎ、苦労した日々の古い良き思いでが浮かんでくるのである。

2022/09/20(火)


台風14号
 超大型の台風14号が九州に上陸するが、すでに被害が出ていて、これからが本番である。

 台風の進路は当初日本海の北部を通る予想だったが、その中心部は能登半島になった。それは富山県のすぐそばで、私の地区も猛烈な風や雨が襲うであろう。

 伊勢湾台風の規模を上回るとのことだが、近年は温暖化で海水温度が高くなり、水蒸気の蒸発も多く、過去と比べ物にならない規模が予想される。

 少し早いが、今日は台風対策として家の周りにある種々雑多なものを納屋にしまい、整理して台風に備えた。富山県は12日が本番で、どれほどの規模になるか見当はつかない。

 私が知る限り戦後で一番大きな台風は、昭和30年代で越中五箇山の合掌造りの家が1軒、完全に倒壊したことである。私はまだ小学生のころで、普通の家を3軒ほど束ねたような合掌の家が膝を折ったように倒壊し、屋根だけが見えるほどになった。

 合掌造りの屋根は松の丸太をネソと言うマンサクの木でねじり、三角に仕上げる。その上に天然のカヤを敷くわけだから、柔構造で風にも強いはずが、強風に力尽きたものであった。

 さて、12日はこちらが本番であり、どんな暴風雨が襲うか、願わくばそよ風程度にと願うが、それは御仏や神のみが知る

2022/09/18(日)


女王の死
 イギリスのエリザベス女王が亡くなって19日に葬儀が行われる。96歳の長寿を全うされ、イギリスを始め世界中の人々に尊敬された徳の高い女王だった。

 一国の女王としてその責務を全うされた姿は美しく、私も尊敬の言葉しか出てこない。

 私も80代に入り、死を思う時がある。まだ致命的な死に至る病気や怪我をしたことはないが、身体の衰えは確実に自覚できる。

 この死について思うことがある。それは人生観である。私は両親の一生をつぶさに観察し、一定の確信を持った。それは人生を如何に生きるかの方法である。

 父は67歳の若さで死んだが、その死はお酒であった。若い時から酒が好きで晩酌を欠かさず、その量は驚くほどであった。私は18歳で町に出て一人暮らしを始めたので、詳しい父の酒量は分からなかったが、母の言から推察したものである。

 時に帰郷すると、台所の棚に空の一升ビンがわんさと並んでいたのを覚えている。健康でこれと言った病気は持たなかったが、大酒を飲み大いびきをかいて寝た朝、静かな姿は死であった。

 母は田舎の農協事務員として勤務し、唯一固定された給料が入るサラリーマンであった。信仰心が篤く、浄土真宗を信じてお寺参りを欠かさない。それは真摯な姿であり、尊敬して止まない母であった。

 70代後半となり認知症の気配が出て、ついに私は富山の家に引き取った。慣れない都会のこと、友達もいなく寂しかったであろうが、晩年は施設に入所して92歳の生涯を閉じた。

 私も母の真摯な信仰の影響を受け、わが師の著書より入信して今がある。人の一生はさまざまである。自分がこの世で何を学び、何を残すか。それはその人の人生観が示してくれる。

2022/09/16(金)


生活費
 年金生活では生活費の管理が重要である。2ケ月に一度の厚生年金と3ケ月に一度の企業年金でやっと生活できる。

 今日は少し早いが手元の資金が少なくなったので、500mほど離れた銀行へ生活費を下ろしに行く。車は息子が使っているので自転車で行くが、途中に10mほどの坂があり、降りて自転車を押す。

 80代になると体力も減少し、息が切れる。ATMは混んでいなかった。すぐに操作して所要のお金を下ろす。現役時代はお金に不自由しなかったが、定年になり20年が過ぎるとあまり経費はかからないが、食事代が主な出費となる。

 老後の生活費が国民年金だけの人にとっては、老後の資金は微々たるものであるが、私はおかげさまで心配なく食べてゆける。

 老後資金が2000万円必要だとか世間の試算は大きいが、それは現役時代に溜めたものであり、私にはそんな蓄えはない。

 あと何年生きられるかどうか分からないが、財産がなくても生活費を工面できることは喜びであり、感謝しなければならないであろう。

 私が就職した時代は日本が高度成長へ入る前段階で、以後驚異的な発展を遂げて、給料やボーナスは破格の金額だった。

 あの時代は希望と夢があり懸命に働いたが、今は不確定な時代となり明日のことさえ分からない。物価が上がり、生活費が脅かされる。

 これもロシアがバカな戦争を仕掛けたためである。私の一番襲えるのは、決着が核戦争で終わるのではないかとの推測である。

 先日も書いたが、人類の愚かさが世界を破滅に向かわせようとする結末が見えてしかたがないのだ。

2022/09/15(木)


りフォーム
 道を挟んだ向かいの家がリフォームを始めた。私の車庫の前の家で、息子が出勤するときは作業車をどけてもらっている。私の団地は約40年前にできたもので、今や多くの家が改築されている。

 聞いてみると、台所や風呂場など古くなった機器を取り替えるもので、居間や廊下などはバリアフリー化するそうである。

 この家は夫婦二人暮らしで、子供はいない。もう80歳に近く、自分が死ねばだれが引き継ぐのであろうか。元はすし屋の住居だったのを、K氏は定年と同時にこの空き家を購入されたものである。

 築40年となれば、家の構造や装備など改造する場合が多い。私も自分の書斎を新築増加し、トイレや風呂は取替え、家はバリアフリー化し、壁の張り替えに北側の瓦屋根の瓦を総て取り替えた。

 総額数百万円になったであろうが、現役時代だからこそできた改築であった。今はそんな余裕はなく、K氏がリフォームされるのは子供に恵まれず、夫婦二人の生活で余裕があるからであろう。

 家を新築するときは地震対策の法律が制定された年で、対策を十分にしてあるかどうかは定かではない。我が家は息子に引き継がれるが、今のところリフォームする箇所は無いが、どれだけの寿命があるか分からない。

 空き家が目立ち、一人暮らしの家も増えた。未来はどんな姿になっているか、想像だにできない。

2022/09/14(水)


霊性を持て
 人類が戦争にあけくれ、この小さな地球で生死を分かち合うことが必要なことを、私は知っている。それはこの宇宙の使命であり、進化のためにはすんなりと通りすぎができないためである。

 この世を形成するあらゆる鉱物や植物に魚類や動物などは、進化の途中段階にあり、その進化の途中で前進したり落伍したりして、最終の聖者を目指すのである。

 創造主はあらゆる段階の進化を目指して、この世を舞台とされた。進化には長い時間が必要である。人間は動物から進化したものだが、気の遠くなる時間をかけて、その段階に到達したものである。

 個々の生物には魂が宿る。進化とはその魂を清め高めることにより成長するのであるが、眼には見えない霊界の仕組みを知らねば考えも浮かばないであろう。

 人の本体は霊魂である。その霊魂を清め高めて神仏の領域まで高めるのが、この世に生まれた目的である。だが事は簡単ではない。それは霊魂が目には見えない存在であり、だれの指示をも受けずに待つだけの存在だからだ。

 この地球社会に生まれて四苦八苦するシステムは、人に霊的な世界があり、その霊魂を磨き清めて霊格をあげるために必要不可欠なものである。

 その四苦八苦から、人間の本質に目覚め、霊性を持つことで人は進化できる。この目には見えない霊的世界を理解し、また見えるようになれば、進化の最終段階に達したといえよう。

 その力を霊能力という。人が過去世でどんな因縁を積み、どんな苦しみや悲しみを背負うてこの世に生まれたか。どうすればその欠点を修正して正しい霊的世界へ到達できるかである。

 ぞくに超能力者という人物がいる。それは霊的世界を認識し、その有様を真に感知できる人を言う。その点でインドのサイババは有名な超能力者であったが、わが師もそれに劣らぬ能力を発揮された。

 私はわが師に自分が持つ因縁(カルマ)を視ていただいた。そして7項目の欠陥を指摘いただき、その因縁を切るために日夜努力してきた。

 人が霊性を持てば、すべてが解決できる。それはあらゆる事象の来世が分かるからである。その霊性を如何にして獲得するか。私には非常に難しい難題であるが、その点でわが師から教わったか格言は大きい。

 今日の日記は、昨日書いた内容を捕捉したかっただけである。

2022/09/12(月)


地球壊滅の音が聞こえる
 北朝鮮が人民最高会議で、事実上核の先制使用を可能にする法令を採択した。金正恩総書記長は、今回の法令について「核保有国としてのわが国の地位が不可逆的になった」と延べ、核放棄しない姿勢を鮮明にした。

 一党独裁を司る北朝鮮は小さな国であるからこそ、大国に侵略されない万全の体制を構築しようとするのであろう。人類は核兵器と言う最終兵器を開発して約80年が経つ。

 人間とは何と愚かな者であろうか! この狭い地球に多用な人種をそろえ、それぞれが多種多様な形態で世の中を形成している。そして人の心は喜怒哀楽を経て進化する仕組みを神は作られた。

 自分や国家さえ良ければ良いとの思いは、人より優位に立つためあらゆる武器を備え、それが最終兵器の核戦争である。人心は乱れ、われよしの世はついに住処を荒らし人が住めない環境を作りだそうとしている。

 地球温暖化しかり。環境が破壊され、地震や台風、豪雨が襲い、多くの人々が路頭に迷い、救助を待っている。それはパキスタンの例がよく表している。昨年まで旱魃だったのが今年は国土の70%が大洪水の被災を受け、3300万人もの人々が援助を待っているという。

 私は幾多の人々が宇宙人に拉致され、彼らの星に連れて行かれてその進化度を見せられ、道中では核戦争で壊滅した星を見せられているのを知っている。彼らはこの地球の未来を案じ、その壊滅の時期が近いことを教えてくれる。

 幾多の拉致された人が、彼ら宇宙人から見せられた宇宙の現実を本に書き、私は10冊以上の体験本を持っている。地球から15万光年離れたティアウーバ星に拉致されたフランス系オーストラリア人のミシェル・デマルケ氏はその良い例であろう。

  デマルケ氏は進化度がカテゴリー9の最高度に進化した星の異星人に拉致され、彼らの星を訪問して多くの智慧を授かった。その体験談は「超巨大宇宙文明の真相」と題して徳間書店から発売されている。

 地球人類がこのまま進めば、恐らく環境を破壊して我欲を連ね、最後は地球の崩壊が待っていることだろう。我々はなぜこの地球に生を受けたのか。それがどんな意味を持つのかを深く、この本から学ぶべきであろう。

 そして最後に、この宇宙には人の住む星が優良星界として750億個、地球のような不良星界が1150億個あると「そうだったのか 宇宙人と銀河世界とこの世に超仕組み」(ヒカルランド刊)大谷篤著に書かれているが、優良星界には多くの連合を組み、切磋琢磨している星がある現実も忘れてはならないだろう。

2022/09/11(日)


散歩
 高齢化した退職者は、日々をいかが過ごしておられるであろうか。私の場合は体調が悪く、長い時間を外出に使えない。そこで今日は家内を誘い、近くの運河を眺めながら、大阪屋食品スーパーで買い物をすることにした。

 運河は大正の終わりから昭和のはじめに掘削されて、富山港と富山駅を結ぶ全長6kmほどの運河である。運河は富山県一の神通川が蛇行して町の中心部を流れているのを修正し、曲がりをなくし洪水対策を万全にするためと、長い運河で掘った土砂を川に埋めて平地にするためでもあった。

 運河は幅約50m、深さも2mを越え、十分に用を足した今は遊覧船を運航し桜並木などを眺める観光資源となっている。

 その運河を眺めながら、ベンチで休憩し、国道8号線と港へつなぐ道路の交差点付近で、スーパーへ入る。晩のおかずとお菓子などを買い、あとは道路沿いに歩いて帰ってきた。

 全長約2km、時間も1時間程度の散歩だったが、日ごろあまり歩かないので少し疲れた。しかし、老人には観光名所を回るような感覚で、沿道の景色を眺め、マイペースでの散歩は適していると思う。

 毎日、家に引きこもり、何もせずに寝転ぶことが多い自分には格好の散歩であった。多くの老人たちはこの暇な時間を如何に過ごしておられるのであろうか。 

2022/09/09(金)


身体の変調
 今日は昨日の37℃から28℃に下がった。雨は降らなかったが、気分が晴れない。体調は悪いままで、一日を殆んど家に引きこもる。

 身体がだるく、何をしようと思っても意欲が湧かない。しかし、少しでも身体を動かせば快方に向かうと思い、前庭の草を除去することにした。

 家の玄関側は左右に塀をしてあるので道路から見えないが、ドクダミが繁殖し、緑のジュータンを敷いたように一面に覆っている。そのドクダミの根をことごとく除去し、繁殖しないようにするのが目的である。

 6月に急に体調が崩れ、以後10kgに近い体重の減少を招いた。別に食事を減らしたわけではないのに、骨皮筋ェ門のように筋肉が減って、身体を動かすエネルギーがなく、すぐに疲れてしまう。

 私の考えは少しでも身体を動かし、汗をかいて筋肉を付けようとの作戦だが、身体がだるく、身体に力が入らない。こんなことは今まで無かった。

 老化とは極自然に体力が減少し、徐々に疲れが増すことだろうと思っていたが、これほど急激に活力をそがれるとは考えてもいなかった。

 男性の平均寿命を越えたが、自分ではまだ若いと思っていた。老化とはこれほど急激に変化を与えるものであろうか。

 一番困るのが、体力がないと家で寝てばかりいることであろう。今日は散歩をしようと思っていたが、その元気は出なかった。早く体重を増やし、少しでも元気を出せるよう頑張りたい。

2022/09/08(木)


便秘
 最近、便秘になって便が順調に出ないのが辛い。しかたなく内科で便秘薬をいただく。昨夜は3日間出ない便秘に挑戦し、薬を飲んで寝た。

 夜中から下腹にいつもの違う感覚を抱き、薬が作用していることを納得する。そして夜明けと供にトイレでフンバってみる。

 3日分の便は太く、長さが15cmほどあり、やっと落ち着いた。だがまだ少し残っているようだ。今日はその便意を感じながら一日を過ごす。

 出なければ明日出るであろう。若いときはストレートで便秘など気にもかけなかったが、老化すれば便が固くなり出にくくなるのであろうか。

 老化とともにいろんな部位がおかしくなる。私の深い悩みは「不安神経症」で、医師の薬では身体に禍根を残すと娘が言うので、代わり、娘が手配してくれた身体を自然に戻すあらゆる要素を含んだ液体を飲んでいる。

 おかげで不安感は遠のいたが、まだ完全ではない。便秘に神経症を患い、身体が不成仏霊に占領されて10kgも痩せて、以前のような快調を保てなくなった。

 いや、もう82.6歳の高齢だから、当然なのであろうか。

2022/09/07(水)


37℃
 今日は台風11号が日本海を北上し、わが富山県ではフェーン現象で37℃を越えた。快晴の空から直射日光の光が当たると、痛いような感覚を覚える。

 従ってこんなときは家で静かに休むことにした。だが一日中家の冷房の効いた部屋にいても、暇で頭がおかしくなりそうだ。本でも読めばまだ癒しになるのに、そんな元気も無い。

 昔はこんなに暑い夏を経験したことはなかった。故郷の村では夏休みの昼は富山県第2の大河、庄川で水遊びをするのが習慣で、熱くてたまらないと思ったことはなかった。

 まだ中学生のころで、あのころの風景が今でも鮮明に浮かんでくる。その思いから今は確実に気温の上昇をを実感できる。それは地球温暖化である。

 科学や技術が進歩し、温暖化を加速するCO2を大量に出す燃料をばら撒けば、まだまだ気温は上昇しよう。そのとき、私のような老人はどういう生活をすればようであろうか。

 冷房の効いた部屋で何をするか、寝てばかりであれば認知症となり、未来に大きな禍根を残す。実は家内に認知症の気配が出て、それを如何に食い止めるかが私の課題となった。

 もの忘れが激しく、何度聞いても同じ失敗を繰り返す。しかし、私も記憶力については心配な点を持つ。最近物忘れがひどくなり、大事な書類や物を置いた場所を思い出せないことがある。

 そのため、私は勤めてこのよもやま話で話題を見つけ、それを発信しようと思う。つまらない話もあると思うが、そこは私の意思をご理解いただき、お許しをいただきたいものである。

 20年以上にわたり書き続けたこのよもやま話も、次第につまらなくなったであろう。これが私の歴史である。

2022/09/06(火)


対人関係
 今日はわが師の仲間の集まりがあり、自由な意見を述べて勉強する機会を得た。この世に生まれて不安や心配心が起きない人はいない。なぜなら創造主は人間の魂を発展進化させるために、試練をお与えになるからである。

 この宇宙で人間として生まれ魂を磨くのだが、幾多の輪廻で魂が進化した人は、次なる進化した星に生を受けて次なる魂の完成に向かって進むのである。

 そういう意味でこの地球は、まだ幼稚な進化段階にある魂の学校である。討論の中で若いA君が苦情を披露した。それは自分が一生懸命に修行しているのに、中には自分を無視して相手にしてくれない人がいることだという。

 悔しくて文句を言えば、無視されるか反論されて更に苦しむことになるという。彼はまじめで誠実な修行者であるが、私の目から見てまだ少し核心の悟りが足りないと思う。

 仏道修行は自分との戦いである。対人関係がうまくゆかねば、自分のどこが間違っているのか、自分の考えは間違っていないと思うのが間違っているのか、真摯な反省が必要である。

 対人関係では人類の苦しみが最初に出てくる。私もこの年まで対人関係で多くの経験をしてきた。今は年老いて人との関係は少なく、この苦しみは無い。

 私はA君に言いたい。この世に生まれた人で完全無欠の人はいない。人は長所と短所をあわせ持つから進歩発展できるのであり、相手が自分を敵視したり無視するような場合、自分に何が欠けているのかを反省する必要があろう。

 私も職場で10数人の部下を持ったとき、同級の彼氏から嫌がらせを受けた。私はその原因が何かをよく考え、彼との付き合い方法を変えて素直に対処した。

 彼はその態度の変化を敏感に捉え、自分もそれに近い行動をとるようになったのである。要はトラブルは自分次第で、自分の謙虚な姿が彼の目を覚まさせたと言えよう。

 相手とのトラブルは、自分と相手の魂をより高める天が与えた解決法の一つと言えよう。

2022/09/04(日)


台風被害
 今、台風11号が沖縄と台湾の間を抜けようとしている。はるか東で発生した台風が真西に進み、沖縄の南で垂直に朝鮮半島と西日本を目指すルートは珍しい。

 それにしても最近の台風被害が甚大なことだだ。海水温度が高くなり、その勢力は過去とは比べ物にならない。海水温度が1℃上昇することにより、最大瞬間風速が70mを越えることが普通となった。

 報道によれば今、パキスタンが風水害で国土の大半を荒らされ、3300万人が被災して大災害に瀕しているとテレビが報道していた。日本の国土を上回り、人口も2億人に近いパキスタンがどこにあるかも知らない私は呆然とする。

 台風で思い出すのが私が生まれた越中五箇山の集落で、秋の台風が合掌集落を襲い、そのうちの一軒が全壊したことである。まだ小学生だった私は巨大な合掌集落が倒壊するなんて考えてもみなかった。

 そのときは私の住んでいた合掌建屋も大きく揺れた。もともと釘を1本も使わずネソと呼ぶ木をねじり、丸太の屋根材を合掌に縛りカヤと呼ぶススキの仲間で覆い、雨や雪をしのぐ造りであったが、柔構造だからこそ風雪に耐えてきたものであった。

 以後、大きな台風が毎年襲ったが、倒壊したのはこの家一軒だけだった。だが、今からは分からない。世界遺産となった合掌集落は岐阜県の白川郷を含めて3箇所。

 はるか江戸時代以前より続いた貴重な合掌集落を如何にして守るか。その答えはない。願わくば少しでも地球温暖化のスピードを緩和することしかあるまい。

2022/09/03(土)


副食
 夜のおかず(副食)を外注する食生活から2ケ月が過ぎた。業者は「よしけい」である。家族3人で2人前の副食を食べるのだが、私と家内は同じ皿に盛ったものを自由にとって食べる。

 問題はだれが食事の準備をするかだ。副食はお湯で温めて袋を裂いて皿に盛る。しかし種類が多く、常温で封を切り皿に盛る場合や、同じ皿に混ぜて食べるものもある。

 この盛り付け法は細かい写真や図面で説明され、加温や水の常温で冷やす法など、メニューによりいろいろだ。説明書は慣れた人にはすぐに理解できるが、家内や私など初めての者には理解できない食材もある。

 その点で息子は調理に詳しく、説明書を読んですぐに理解し、私や家内がミスをすれば怒り出す。特に認知症ぎみの家内には厳しく当たり、私に告げ口する。

 息子は料理が好きで、簡単に献立してくれるが、仕事の帰りが遅く同じ時間に食事ができない。このまま息子に叱られながら練習し、徐々に調理に慣れるしかあるまい。

 食材は栄養を配慮し、一番身体に良い料理の材料を提供してくれる。早く調理のコツを得たいものだ。

2022/09/02(金)


立山の夏
 全国的な俳誌を主宰される茨木市の朝妻様から、9月号の俳誌「雲の峰」をいただいた。朝妻様とは以前、富山市の電気ビルでお会いしているが、もう何年前になるだろうか。

 さて、今日はその俳誌に載せていただいた私のHPを飾る、「今月のテーマ」写真の説明である。私のHPでは毎月の初めに4枚の写真を載せ、その一枚ごとに「雲の峰」の会員が詠まれた俳句を添えている。

 8月のテーマは「立山の夏」と題して4枚の写真を載せたが、そのうちの2枚に自作の俳句を添えた。こんなことは初めてで、その俳句を紹介したいと思う。(初めてご覧になる方はわたしのHPで、今月のテーマ写真をご覧いただこう。

 ”ヒゲ爺と 呼んでふさわし 噴気孔”

 立山の地獄谷は活火山で、いつも広大な面積から噴気をだして、いろんな形をつくっている。噴気孔は合計10箇所以上もあるが、そのうちの一つが噴気によりヒゲを蓄えた爺さんの形をしていた。

 写真を見れば明らかだが、爺さんの背中から噴気をして立派なヒゲを蓄えている。私はこの様を見て上記の句を詠んだものである。

 もうひとつは、室堂から大日岳を登り、山小屋に近い岩山から見た西方の風景を詠んだ句である。

 ”夏なれば めったに見れない 大自然”

 この句はちょうど太陽が西方(白山)に沈む風景を詠んだもので、空を真っ赤にして一日を終える姿である。この雄大な夕焼けとは二度と会えないことであろうと思った。

 山には時として大きな感動を得る風景がある。写真を始めたのはその大自然を自分の目で確かめ、記録に残したかったからであった。

 まだその写真をご覧になっていない方は、このよもやま話のタイトルをクリックし私のHPへ飛んで、「写真のコーナー」をご覧いただこう。
 
 朝妻様、このたびは大変ありがとうございました。深くお礼申し上げます。

2022/09/01(木)

My Diary Version 1.21
Written by 中村邦夫 CGI提供じゃわ