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■富士山大柴燈護摩供
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今日の11時から山梨県南都留郡で、富士山鎮護の大柴燈護摩供が行われた。今、阿蘇山や小笠原諸島で噴火が起きて、小笠原の海底火山から吹き出た軽石が沖縄地方で大きな問題となっている。
この世は自然災害で予断を許さない状態であり、富士山の噴火もその一つである。富士山が噴火すれば関東一帯が火山灰に覆われ、大都市が麻痺して甚大な被害を被ることになる。
祈願は宝永の噴火から数百年、いつ噴火してもおかしくない状態を危惧して、大難を小難に、小難を無難にすべく神仏のご加護をいただくために行われた。 あわせて巨大地震津波除災、国土安穏、世界平和祈念、三界水子・童男童女霊位解脱成仏なども祈願し、その修法の様子はライブ配信でも放映された。
人類は長い歴史の上でむさぼりや怒り、因縁因果の理法を軽んじて物質主義を発展させてきた。それはこの地球と言う住処を汚し、われ良しの世としたために、今は住処を追われるほどの窮地に経たされている。
この世は目には見えない多次元世界であり、多くの次元に住む進化した同胞達と共存しているのであるが、霊的知識が乏しく、勝手気ままな生活を成すがままに生活している。
そのツケは必ずやって来よう。環境破壊はもとよりその最大の危機は核兵器やミサイルの開発競争である。人は霊的な生き物であり、本来は神仏など創造主の智慧を得ながら文明を発展させることであった。
人類は精神的で霊的な分野で進歩しなければ、生き残れない。それは神仏のお力を拝借して、心の持ち方を替える修行であり、それなくしてこの地球上で生き残れなくなるであろう。
仏陀の整骨である「真正仏舎利」を本尊とする教団こそ、人間本来の生き方を会得できる。そして至らぬ人心を詫び、災厄を避ける祈願こそ天に通ずることであろう。
次は11月21日には出雲で同じ護摩法要が行われる。神界の神々を向かえ、人類の不徳を詫びて災害から守っていただく徳をいただこう。
2021/10/31(日)
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■全紙を飾る
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私は写真撮影を趣味とし、県内はおろか近県の素晴らしい風景を撮ってきた。そして写した写真は全紙や半切に引き伸ばし、季節ごとに替えて居間に飾って楽しんでいる。 写真を趣味としたのは50代で、最初は高価なフイルムカメラだった。35mmから645サイズの中判カメラに換えて、秋の美しい風景を撮り、「私の風景写真」として娘にホームページを作成してもらっている。
そのホームページをご覧になれば分かるが、四季折々の風景は十分に私を癒してくる。まだご覧になっていない方は、この「よもやま話」のタイトルをクリックし、写真のコーナーをご覧いただこう。
居間の壁には全紙の風景写真を飾り、四季折々の風景を架け替えながら在りし日を偲ぶ。半切や全紙に伸ばした写真は約50枚。高価な写真をよくもこんなに伸ばせたと思うが、それが今癒しの原点となっている。
今日は写真を立山天狗平の風景に換えた。広大な平原に遊歩道を歩く登山者がいて、後方には澄み切った青空が広がる。秋の雄大な風景は特に気持ちが晴れる。
休日は必ずどこかの山にいた私だが、老化と供に写真撮影も引退し、今は過去の作品を偲ぶのみである。県内の写真クラブに所属し、県民会館で何度も写真展を催し仲間と楽しんできた過去が偲ばれる。
写真は撮影の楽しみとともに、仲間とクラブを介して交わり、記録に残る優れた人生の楽しみである。
私が亡くなれば、この作品は欲しい人にあげよう。そして私を思い出していただければ、この上なく私も幸せだったと思うであろう。
2021/10/30(土)
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■便秘
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これで4日間便が出ない。今朝はたまらず近くの医院へ行き、便秘薬をもらってきた。薬を飲んだからすぐに出るものではなく、いつ出るであろうか。
腹は別段気持ち悪くは無く、腸に溜まったという感じはしない。こんな激しい便秘は初めてで、後は薬の効果を信じるしかない。
家内も今、少しの食事で胃腸の調子が悪くなり痛いという。すぐ寝てしまうので、私は散歩に誘った。近くの運河まで約300m、運河のそばの神社に参拝し、見ると遊覧船が通ってゆくところだった。
この運河は大正の末期から昭和の始めにかけて掘削され、富山港から約6kmの距離を幅約50m、深さ3m程度に蒸気機関で掘削されたものである。
富山港から内陸に物資を運び、沿線には工場が林立したが、今は見る影も無い。私が電力会社へ入社したときは、出力1万kwの石炭火力発電所があり、この運河を通じて石炭が運ばれた。
その発電所はすぐに引退し、今は観光ルートとして遊覧船が通っている。春は桜の名所となり、沿線の遊歩道はジョギングコースとし利用され、多くの人が活用している。
運河の途中にはパナマ式の堰が設けられ、水位差2mを上下して船を通す。便秘から変な話になったが、明日は通じが良くなり、解消を願いたいものだ。
2021/10/28(木)
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■白川郷
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明日からHPトップの写真を白川郷としよう。白川郷とは岐阜県の白川村で、平成7年に富山県の五箇山地方の菅沼地区と相倉地区の集落が、供に合掌集落の世界遺産となった。合掌造りの家は、毎年3m近い豪雪から守る家屋として開発された。
白川郷は合掌造りの家が密集し、その数が100棟を超える。古くは江戸時代から続き、養蚕を主要産業としたため、その建物は極端に大きい。
実は私の家もかっては合掌造りの家だった。先祖が江戸時代に建てたもので、200年以上の歴史を持ったが、時代の変遷には勝てず、父が私の中学3年の時に自家製の木材で総2階建ての家に作り替えたものである。
合掌造りの屋根は松の木の丸太を合掌のように組み合わせて、その上を天然の茅で葺くのである。釘は一本も使わず、すべてはネソというマンサクの木でねじって固定する。
居間は十畳を越える大きさで、家族がコタツに入り、暖をとった。当時は祖父母や父母、叔父叔母などそれに子供を含めた大家族で、主要産業は炭焼きと養蚕だった。そして江戸時代は養蚕の糞を穴に埋めて発酵させ、煙硝という火薬の原料となって加賀藩に納めた。
養蚕は春の桑の葉が茂る頃から始まり、総2階が飼育場だった。夜な夜な幼虫の桑の葉を食う音が聞こえ、大きくなって繭を作ると、冬は祖母がつむいで生糸にするのであった。
私は中学生になると、休日は家族の一員として遠く離れた山間の桑畑に出かけ、籠一杯の桑の葉を担いできて飼育するのが日常だった。
それが終わりに近づくと父が木炭の製造に携わり、これも遠く離れた山奥で、ナラの木を伐採し斜面を削って作った釜に入れて蒸し焼きにするのである。そして重さ15kgの炭俵に入れ、担いで林道まで出した。
祖父は家でメス牛を飼い、子を産ませて売り家計の足しにした。その草刈が私の仕事だった。それは下校したらすぐに草を刈りに出かける毎日だったからである。
そして冬は父が東京に出稼ぎし稼いでくるはずが、毎日酒に明け暮れ、稼いだ金は酒代に消えたと母が嘆いていた。唯一の安定した収入は、母が農協の事務員として働いた簿給が私の高校の学資や下宿代に消えた。当時は隔絶した山奥では高校が無く、町の知人の家で下宿していたのである。
戦時中の昭和17年に近くの庄川で大規模な水力発電所が完成し、その電力は関西に送電され軍事産業に消費された。少し平らな土地があり、ダムから水を引いてここが唯一の農地となった。わずかな土地に作った田畑で自給でき、食事に困ることはなかったが、水飲み百姓には変わりはなかった。
そんな歴史を振り返り、今は3箇所となった合掌集落の世界遺産を見るのである。白川郷は遠く離れた村であり交流はなかったが、戦後は急速に発展し、今は「東海北陸高速道」が出来て交通はしごく便利になった。
私の家は10年前に解体処分し、在りし日の姿は無い。この齢となり、田舎に行くのは娘に乗せられお墓参りに行くだけである。
「光陰矢の如し!」 私の人生は多くの思い出を持って終わろうとしている。
2021/10/27(水)
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■ケチ心
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今日は家内と買い物に出かけ、わが身の心を反省することになった。恥を忍んで報告しよう。
それは仏壇のお盛り物を買うため、リンゴかキュウイか柿にしようと思い、陳列棚を見る。それがどれもいつもより高くて、何にしようか決断ができない。
よくよく考えて、小型の6個入り袋のリンゴにすることにした。お供えは3個だが、リンゴは小型で1個80円くらいだが、一個売りは高くて160円もした。確かに品質が良くお供えには最適だったが、キューイも高いので袋詰めの安物にしたものである。
そしてお菓子は、普段お供えしているものより少し高めの品を選んだ。その前にお花を買うことをすっかり忘れ、家へ帰って気づく。
レジを済ませ料金を払って、家内が籠から買った食材とリンゴやお菓子を、私が持つバックに入れる。入れ終わってバックを持ち車に乗せて家路へ着いた。
家へ着きバックから出し食材は冷蔵庫へ、お供え物は横に寄せてみるが、お菓子が見当たらない。レシートにはお菓子の品が記入されていた。
お菓子は一体、どこへ消えたのか? それが見当たらないのである。一つはレジで籠に入れ忘れたか、それとも家内が籠からバックに入れなかったか。
真相は分からない。そこで私は考える。このような不始末は認知症に近い家内のミスであろうと。家内がバックに入れないまま、籠を返したのであろう。
結局、仏花を買い忘れ、お供えのリンゴをケチったために、お菓子をなくしたものであろうと。
ケチ心はむさぼりの初期の心であろう。自分を高い境涯へ導いていただく御仏のお供えものをケチる心を、仏様が諭していただいたものだと理解した次第である。
長い修行を積んできた私も、まだその心構えは未熟である。金銭にあまりこだわり、聖者への道をご指導くださる御仏にすまない気持ちが強くなった。
ささいなことであろうが、私には恥じである。今日は自分の心をよく反省した一日となった。
2021/10/25(月)
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■未来予知
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今日は未来予知に秀でたN君に会う。彼は自分の感で未来を予知し、その大よその時期まで分かるという。以前より何度も世界の情勢について話してくれたが、今度は来年が山だという。
その内容については、災害か人災かわからないが、今の世界情勢からして、昨日も書いたように私は悲観的な考えしか浮かばない。
その一つが中国の運命である。彼はその点を強調したが、私も同じように思った。それは中国と言う国の国民の気質である。共産党政権はわれ良しの政策を踏襲し、名誉や欲、そして権力に絡んだ強権政治を代々行ってきた。
そのツケは大地を傷つけ、空気を汚し、多くの天災を招き今にある。彼は言う。今一番気をつけなければならないのは、三峡ダムだという。
山峡ダムは中国一の大河長江に世界一のダムを作り、治水と農業や産業に寄与するはずであったが、そのダムが危ないという。数十万人を移住させた広大なダムが決壊すれば、中国の内陸部の半分は未曾有の被害を被る。
それは中国の民意が地球と言う大地をないがしろにし、空気を汚し自然破壊を存分に行ってきた罰として天から与えられよう。
今日の読売新聞の記事を見ても、電力不足のため石炭火力をフルに稼動し、自国の社会や経済を最優先にする政策である。
中国不動産大手の恒大集団が33兆円もの負債を抱え、存続の危機に達しているように、その強欲は驚くような規模を示す。
世界は今、今までのカルマが動き、自然災害の多発で、大変な被害が出ている。日本でも列島各地で軽い地震や大規模な噴火が起きて、いつ大災害になるか分からない。
一番の被害は富士山の噴火であろう。今すぐに噴火するとは考えられないが、その危険性は十分にある。そのためわが教団では、今月の31日(日)に山梨県南都留郡で「富士山大柴燈護摩」を修し、富士山の巨大地震や噴火の危険性をなくする国土安穏と世界の平和を願う祈願会が行われる。
天災や人災は人類のカルマから起きる。そのカルマを和らげ、少しでも軽くし大難から無難に替える仏のお力をいただくものである。
仏陀の成仏法はあらゆる災害を鎮め、人類に大きな徳をいただくありがたい御法である。その心構えとして昨日も書いた「三毒」をつつしむことから始めよう。
2021/10/24(日)
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■愚かなるかな人類
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人類はなぜこんなに愚かなのか! 今、テレビや新聞をにぎわしている話題に、弾道ミサイルがある。それは音速の5倍以上で攻撃できる最新兵器である。
低い弾道を描き、高低差や左右のある弾道をたどり、遊撃を交わし確実に目標に達するという。先日は北朝鮮が潜水艦から発射したミサイルはその良い例で、中国やロシアにアメリカがしのぎを削っている。
防御のできないミサイルは重大な兵器となる。これが核ミサイルだとすれば、その被害は想像だにできない。核ミサイルの応酬となれば、その時は地球最後の日となろう。
人の根本悪は、むさぼりに怒り、そして愚痴(因縁因果の理法を無視)である。私はわが師に師事して40年、常にこの心を出さないように気をつけてきた。
この心を「三毒」とし、人が基本的に持って生まれた悪因縁である。この三つの心が頂点に達するとき、事は起きる。
人類は「破滅のカルマ」を持つとわが師はいつも話された。それが争いであり、因縁因果の理法をわきまえない身勝手な心である。
この1時間に6000kmも飛ぶ超音速のミサイルは、今後どこまで進化するであろうか。すでにロシアは音速の15倍まで出せるミサイルを開発中であるとか。
異常気象が地球を覆い、人心が乱れてやぶれかぶれになるとき、不測の事態は起きるかもしれない。それは狭い地球のいち国家間であろうが、ことが起きれば地球規模に発展するであろう。
まさかそこまではゆかないと思うが、愚かな人間の「業」(カルマ)は思ったより深いと断言しよう。
2021/10/23(土)
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■家庭菜園続行
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高齢化して河川敷の畑仕事が苦痛になってきたので、今年でやめようと思っていたが、隣で耕すT子さんに刺激されて続けることにした。
T子さんは隣町の80歳、旦那さんに先立たれ一人暮らしだが、もうやめようと話していたのに、今日、畑で再会したらまだ続けると言われる。
そこで私も考え方を変えた。それは趣味を一つ無くすると暇な時間が増えて、ぼんやりと家で過ごすのが辛くなるからである。そして早くボケにもつながり、体力に比例した働きをすれば健康にも良いと考えた。
10m四方の畑は8畝で区画しているが、それを総て使わなくても、負担にならない程度の畝の数を耕せば良い。
そこで今日は急いでタマネギとキヌサヤエンドウの畝を作る。畑で使う防虫網や小道具は町内の人にあげたが、理由を話して返してもらうことにした。
高齢となり、暇な時間を如何に過ごすか。それは今から始まる大きな問題である。その一端を好きな畑作業に使おう。
畑仕事は趣味と健康、そして食事の糧を与えてくれる。
2021/10/21(木)
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■ガソリン高騰
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ガソリンの高騰が止まない。今まで150円代だったのに、今は170円を超えたところもあるとか。コロナ禍で外出が減り産油国が生産を縮小していたが、コロナも小康状態となり需要が増えても、急速に生産は追いつかない。
ここで威力を発揮するのが低燃費の車だ。私は1年前にスズキのワゴンRに換え、ハイブリッド車種とした。その燃費は平均1ℓあたり23km走る。
アイドリングストップ機能に、減速時の動力で発電した電力をバッテリ−に溜め、発車時にエンジンの補助として働く機能を持つ。
私はこの齢になり車での長距離は使わない。せいぜい近くの店までのお使い程度である。その代わり息子が通勤用に使っていて、低燃費で大変重宝している。
昔はガソリンが易いときがあった。オイルショック前の話しで、リッター5、60円程度だったと記憶している。私が最盛期の車は三菱の2400ccで、シャリオグランデスだった。
完全な娯楽用で休日しか利用しなかったが、その燃費は9km/ℓでも安かった。その車も13年走り、193,000km走って廃車とした。
乗りつぶした車は6台、合計約70万kmほど走って人生最後の軽四に換えた。
車は必需品だが、高齢となり運転に不安を感ずることが多くなった。3月に最後の免許更新をしたが、これで終わり。
長い運転生活に終止符を打ち、日々安全な生活を楽しもうと思う。
2021/10/20(水)
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■認知症進む家内
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家内が物忘れが激しく、人の名や地名などがすぐに思い出せない。自分でも自覚していて、医師の診察を受け初期の薬を飲んでいる。
私も気になり、少しでも発症が遅くなるよう祈るが、それは家内の運命である。私も81歳となり、男性の平均寿命となったが、まだ生活には支障ない。
今日の晩飯はカツドンだった。スーパーから二人でとんかつを買ってきて家内に料理してもらう。ところが食べてみると味がついていない。
卵で閉じるのにフライパンに油を敷き、いためようとするので私は油は不要だと言った。そのまま家内に任せたが、卵閉じに味をつけなかったものである。
何度も料理してきたのに味をつけるのを忘れたもので、私は少し驚いて注意する。だが家内は、なぜ最初に自分に言ってくれなかったのかと私を責める。
こんな様子だから、私が家内の調理を手伝うことが多くなった。認知症は高齢化とともに進む。こんな状態だから将来がとても不安になる。
認知症患者は500万人に近い。それが数年経てば600万人、700万人となろう。重症になれば介護が必要となり、施設に入れば月に十数万円もかかるであろう。
超高齢化時代、その行く末は認知症との闘いの人も多いことになろう。その一人が私かも知れない。
2021/10/19(火)
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■霊性の復活
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人はだれでも心に霊性を持つ。日ごろ何気なく生活しているが、日本は神国であり、神にもいろいろあり、天津神や国津神のほかにもさかのぼれば歴史や神話にさえ登場せず、埋没した古の始めの神々もある。
その地で平和・安穏に暮らす人々を、後から来た人々が制圧し、さらに新しき人々が渡来して支配する。それは有史以前より人々が繰り返し、そのたびに古き神は忘れ去られ、怨恨の念が堆積してきた。
古の出雲王国も神々にゆかりが深く、出雲地方を中心に九州北部から北陸、東北に至る日本海沿岸、そして南は四国地方、東は信州、関東に至る広大な範囲に影響を及ぼし、現在の日本の基礎を成し、そこには古代の人々の信仰が息づいていた。
だが今は、時代が変わり、神仏を心から信仰する人はきわめて少ない。人口が増え人々が生活する糧をもとめて活動するとき、貧富の差が生じ、人心が乱れて災害や事故、犯罪が多発し、その影響は国家間にまで発展する。
特に出雲地方は日本海を挟んで、韓国や北朝鮮・中国・ロシアと近く、どんな災厄が待っているか予想だにできない。このたびわが教団では、出雲において人々のカルマ(業)も心も浄化させる、仏陀の成仏力の顕現である「人類救済の御聖火」を灯し、
古の始めの民の成仏と、古の始めの神の御神徳高揚を祈念する「出雲大柴燈護摩供」を行い、霊性輝く日本の新生を挙行する供養を行うことになった。
話は長くなった。この宗行事は神々を復活させ、日本人の霊性を呼び覚まし、人類救済へ導く軌跡の祭典である。
時は11月21日(日)に島根県出雲地方で挙行される。護摩木で日本海鎮護、国家安穏、世界平和等の祈願と供養を行い、人類の霊性を呼び覚まそうと思う。
2021/10/18(月)
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■カドミニューム公害
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富山県の中央部にある婦中町には4大公害のひとつ、カドミュームの公害がある。それは富山県一の大河神通川の上流、岐阜県の神岡町にあった神岡鉱山から流れ下ったカドミュームが、田畑の水源や飲料水に使われたからである。
カドミュームは人体の骨をやわらかくし、骨折による痛みが強烈なのが特徴である。汚染されると身体中が痛み、骨がボロボロになり寝たきりで死を迎えることになる。
神岡鉱山は亜鉛の産地で、戦前から採掘されてきた。私は地元の電力会社へ入社し、最初の勤務地がこの神岡町にある出力31200kwの水力発電所に勤めた運転員であった。
当時は日本が高度成長に入り全産業が栄えだし、電力もウナギのぼりで、水力発電所だけでは賄いきれず、重油火力発電所の建設を企画した時代である。
その神岡鉱山から流れ出た鉱石の処理水が川に流され、こんな痛々しい公害病を引き起こしたものである。最初は原因が分からず混乱したが、地元も萩野医師がカドミュームであることを知り、田畑の取水をやめ、県と鉱山は新しい土と交換して対処した。
私は発電所の勤務員と一緒に鉱山を訪れ、鉱屑を溜めた貯水池も見学したが、公害にはイタイイタイ病と名が付けられ、今は過去の悲惨な証拠を陳列するため、地元に博物館が建てられている。
今日はその公害病により悲惨な人生を送った患者の供養と、神通川の治水を目的に、仏陀の成仏法による清めの法要を現場近くの河川敷で行ってきた。
日本が高度成長に入り国の繁栄が始まると同時に、いろんな公害病が発生して住民を苦しめてきた。それは川崎のぜんそく公害であり、新潟の阿賀野川や九州熊本での水侯病(有機水銀公害)などである。
今では技術が進み、さしたる公害はないが、問題は地球の温暖化が進み、世界規模の異常気象を起こして新たな問題となってきたことである。
人類の生存は新たな段階に達した。次ぎなる温暖化対策を如何に達成するかが、未来の大きな課題となった。
2021/10/16(土)
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■自殺者の末路
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2020年度の小中高の不登校者が19万6127人になったと報道された。そして自殺者が415人と最多となった。コロナ禍での不登校で増えたものだが、それにしても自殺者が多すぎる。
自殺者は1972年に調査を開始して以来最多となり、前年度より98人も増えたという。コロナ禍で休校となり、行事も中止や延期となった影響が大きいという。
自殺したらどんな世界へ行くのかが分かれば、安易に自殺に走らないであろうが、そこは自由意志で物事は進み悲惨な結果を見るのである。
人の命は天より与えられたものである。その本体は魂であり、人はこの世で喜怒哀楽や艱難辛苦を味わい魂の進化と発展を願う。
その尊い生を受けてこの世に生まれた命を、苦しみや悲しみのために絶つことは、創造主の意思に反し己を否定する行為である。
自殺に至る過程は人さまざまだが、その艱難辛苦を乗り越えてこそ、魂は進化発展できる。私も小学5年生でどもり(吃音)となり、社会人となるまで苦しんできた。
だが、どんなに苦しくても自殺しようとは思わなかった。それは何とか解決の方法があり、いつかは克服できるという思いがあったからである。
自殺する人の理由はさまざまだが、これだけは言いたい。それは死んだら地獄界でなおさら苦しむ運命が待っているということである。
地獄界の因縁は「横変死の因縁」が強く、刑獄や肉親血縁相克の因縁も強い。それは前世で不徳を成したおかげで、今生において自死しなければならない因を作るのである。
自死した場合はその窮地から脱出するため、死者の解脱供養をしなければならない。それは仏陀の成仏法による解脱法で、何とかして地獄界から脱するための供養である。
私も親戚に自死した人がいる。そのため、私は解脱の供養をしてその魂を救済する供養をしてあげた。これが先祖供養である。
家運を盛大にするには先祖供養が必須である。その供養とは真正仏舎利を本尊とし、仏陀の成仏法を修さねばならない。
先祖は父母で2人、祖父母を入れて4人、祖祖父母を入れて8人と、5代さかのぼって64人となる。その中には悲惨な運命を辿った先祖もいよう。
自殺だけはしてはならない。もしその該当者がいれば篤く供養しなければならない。それが家運を栄える秘訣となろう。
2021/10/14(木)
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■孤独死
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長く音信がなかったM子さんから電話がかかってきた。M子さんは息子夫婦と3人暮らしで、嫁姑の仲が悪く、以前から私に相談していた。
息子は電気工事の会社を立ち上げ業績も順調だが、嫁がアルチュウで家事一切をしないという。自分に対する態度も横柄で会話も無く、息子も味方してくれないという。
そんな仲をどうすれば良いかとの質問だが、私に聞かれても返事のしようがない。唯一答えれたのは自分が家を出て独立することだと答えた。
ところがM子さんは、とっくにその案を探しみたという。しかしこの問題は難しく、簡単に解決できる問題ではないという。なぜなら、アパートの業者が承諾してくれないのだそうだ。
年齢が70代ともなれば、いつ孤独死するか分からない。だからその危険性を考えて貸さないのだそうだ。私は思う。確かに今は社会問題として、安易な入居は難しいであろう。
先日もテレビで放映していたように、孤独死した後の惨状は痛ましく、その修復費用もバカにならない。孤独死にもいろいろあって、病死や自殺に事故死などさまざまだ。
孤独死の年齢は平均で男性が61.6歳、女性が60.7歳だとか。病死が男性で65.9%、。女性が59.2%なのに対し、自殺は男性が9.9%、女性が17.4%だという。
いずれにせよ、看取りもなく死ねばその魂は浮かばれない。時には数ケ月も発見されず異臭で気づくこともあり、事故物件となれば、買い手もいなく激安で売買にならないのであろう。
M子さんの悩みは深刻だ。私にはその能力がないので、ある人を紹介してあげた。この世は楽しみもあるが、概して苦しみの世である。
だが、その苦しみがあればこそ、魂を進化向上させることができる。M子さんもどうか自分に負けないで、力強く人生を歩んで欲しいものである。
2021/10/13(水)
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■白アリ対策
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今日は白アリ駆除を専門とする会社から、定期点検に来てもらった。私は築40年の我が家を白アリから守るために、5年毎に土台や柱の防御をしてきた。
防御は20年前からだが、白アリ駆除の会社により床下に入り点検をしていただく。白アリは湿地を好み、縁の下のように湿った環境が大好きだ。
最初はトイレのリフォームをしたときで、壁を剥がすと白アリの巣が見つかり、専門家の助けを借りて床下などを点検してもらった。すると初期の巣が見つかり、以後定期的に防御しているのである。
5年保障なのでその中間点で点検してもらったもので、全く異常はなかった。床下の湿りを少なくするため、ビニールを敷き詰めた対策も万全だ。
白アリ対策は薬剤を吹きかける方法に、床下を常設の扇風機で換気する方法を採用している家もある。また全く防御していない家も多く、その対策はさまざまだ。
白アリで思い出すのが田舎の家を解体したときだった。築65年で20年間も空き家だった家を解体処分したとき、山すそを崩して建てた我が家は湿気が激しく、奥の仏間は畳まで真っ白なアリの固まりだった。
土台も食われ、そのまま放置していれば家が傾いたかもしれない。一戸建てのわが屋を管理するのは大変だ。私は40年間に渡り、3度のリホームをし、部屋を増築し床や壁を張替えてきた。また屋根瓦も損傷し、その一部も張り替えた。
要した費用はバカにならない額で、家の維持も時代とともにお金がかかった。その点で田舎の合掌造りの家は堅固だ。100年はおろか200年経てもびくともしない。
230年住んだ田舎の合掌造りの家を解体し、90坪の自家製木材で新築した父も死に、その家も私が解体処分した。次は息子の時代だが、歴史はめまぐるしく動く。
2021/10/11(月)
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■速度標識を変えろ!
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裏庭で花壇の草むしりをしていると、見知らぬ人が来て町内会長はいないかという。私の隣のSさんが今年は町内会の会長をしておられるので、つい先ほど出かけられたという。
何か気に食わないことがあったらしく、機嫌が悪い。私は何があったのですか?と聞くと、自分が住むアパートの前を、L字の道路を曲がる車のスピードが速く、速度制限の標識を20kmにしてほしいという。
私は家から近いため二人で現場を見に行くが、確かにスピード標識は30kmだが、車のスピードはそれほど速くない。それは見通しが悪いためでカーブミラーも設置されている。
この人は60代と思われ、そのアパートで暮らしていて、L字の内側がアパートと狭い駐車場になっている。私は30kmの標識で何が悪いのと聞くと、相手は怒りだした。
このカーブは20kmが適当だと思うので、町内会長に頼んで交渉して欲しいのだと言う。私は言った。
「カーブミラーがあるから車は前方をよく見てスピードをコントロールするのじゃないの?、いくら標識を20kmにしても運転手のマナーだから、安心できないよ!」
相手はガンとして拒否する。私は別に30kmでも良いと思うが、どこにでも20kmの標識はあるという。私が叱られたような気分になり、そこで別れたが、標識がどんなものでも、運転手のマナーで速度は決まる。
今は高齢者の運転が増え、事故も多く発生している。いくら標識を厳しくしても、速度制限を守るのは運転手のマナーである。
私の運転歴は60年近く、7台の車を乗りつぶし80万kmほど走った。そして81歳となった今、運転に恐怖を感ずることがある。だから運転速度は控えめにし、若いときより慎重な運転を心がけているのである。
2021/10/09(土)
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■体調悪し
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最近、体調が悪く、薬を飲むことが多くなった。それは持病の不安神経症だが、心が安定せずすごく痩せた。別に食欲がないわけではなく、なぜこんなに痩せるのか分からない。
河川敷の畑をやめることにしたので、出かけることも無く、一日の空いた時間を如何に過ごすかが課題である。そこで今日は午後2時に家内を誘い500m離れた運河へ行くことにした。
短い距離だが、歩くことは気分を良くし体力を鍛えてくれる。体調に合わせて歩くので、少し時間がかかったが、横断する橋のたもとのベンチで休む。
運河は富山港から富山駅の北側まで延びた延長6kmの長さで、途中に船を上下させるパナマ式の水位調整装置がある。そこまでは歩けないが、運河に遊ぶカモを見ながら引き返す。
春は桜が咲き、観光名所となるが、今でも観光船が行き来している。最近、橋の横に団地を作る宅地の工事が行われている。敷地は広大で、恐らく100戸以上は建てられるであろう。
私の団地にできた電車の駅に近く、また大型スーパーにも近い便利な土地である。春は運河と桜の並木を家から鑑賞できるであろうが、価格はまだ分からない。
約1時間の散歩で家に帰る。別に疲れも感ぜず、快晴で気温が26℃の快適な散歩だった。
家内の体調は私より悪く、末梢神経障害で頭痛や腰の痛みに胸が苦しくなるという。近くの整形外科医師は、難しい手術をやめ電気あんま療法で治療している。
80歳を越えるといろんな病気の症状が出て、医者通いが多くなる。私はまだ軽度な病だが、最近救急車の音が一日に何度も聞こえるようになった。
私の病気は50代に出たものだが、今もその症状は尾を引いている。病気はストレスが原因の場合が多く、そのストレスを如何に和らげるかがポイントとなろう。
2021/10/07(木)
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■因果応報
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今から5,6年前、家内がある慈善団体で活躍していたときであった。団体の幹部クラスの人と二人で、京都で行われた全国大会へ出席した帰りの電車内で事は起きた。
同郷の人で、親しく話をしながら帰宅するはずが、相手が家内の悪口をまくしたて、ほぼ2時間に渡りいじめられたという。富山駅に着いた家内はまだ涙が止まらず、私が迎えに行った車で一部始終を語ってくれた。
それは団体の行事で認知症の家族を世話するのだが、その行動が気にくわないとの悪口であったという。私はそれを聞いて、何事も忍耐が必要で、自分もよくいじめられたと話し、癒してやった。
それから数ケ月が過ぎて、不幸な一報が入る。家内をいじめた先輩が交通事故で重症を負い、長い入院生活をしているというものであった。
家内からこの話を聞いた私は即座に、それは因果応報だなと答えた。なぜなら慈善団体で相和して活躍しなければならないのに、まだ子ども扱いをしていじめ、そのことを電車の中で2時間も口説かれる苦痛は想像できるからである。
団体の行事ではピアノを弾き、先輩で人より優れた能力の持ち主だったが、自尊心が強く偉ぶり、人の言うことを聞かない癖が、いじめに発展したものであろう。
因果応報とは自分が犯した間違いは、必ずいつかは自分に返ってくる自然現象である。私も職場で幾たびも同期の仲間や後輩、先輩から嫌がらせを受けた。
しかし、私は耐えた。それは仏道修行をしていたからである。因果応報は魂を清め高めるために必要不可欠の案件である。その理論が理解できれば、人の悪口を言い、いじめて自分が快感を覚えるようなことはできない。
この世で起きる出来事は、総て魂の進化を促すために生ずる。自分がいじめられれば、その本質を理解し改心すればよいが、それが自分を偉ぶり悦に入るようでは必ず自分のお返しがあろう。
昨日はノーベル物理学賞で、真鍋淑朗氏が選ばれた。地球社会で活躍した最高の賞であり、近年話題の「地球温暖化を予測する地球気候モデルの開発」を成されたものである。
アメリカ国籍を取得され、長い研究生活はノーベル賞という最高の栄誉を得られて結実した。お姿は90歳とは思えない若々さでる。
真鍋氏はお医者を父に持たれたが、自分は気候に興味があり、この世界に入られたものであり、地球温暖化は世界が緊急の問題として提起している。
この真鍋氏の過去世ではどれほどの徳を積まれたか、それは想像だにできない。このノーベル賞獲得は因果応報の理論で証明できる。
「積善の家に余慶あり、積不善のに家に余殃あり」これが因果の法則である。
2021/10/06(水)
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■横変死の因縁
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横変死とは肉体障害の因縁が更に強くなり悪化したもので、必ず横死、変死する因縁である。自殺・他殺・事故死のいずれかを免れることができない。
その多くは3代以内の血縁に、同じ因縁で亡くなった縁者を持っているのが特徴であるとわが師は話される。実は私もわが師に霊視していただいたら、この因縁があった。
「目を失い、手足を絶つ如く、肉体障害の因縁強くして横変死の恐れあり」というカルマである。日ごろは別に気にすることなく生活しているが、いつどこでどんな因縁が出るか分からない。
私は今月のテーマ写真に、富山が誇る落差350mの称名滝の写真を載せた。今から20年前ほどのころであったが、この称名の滝を写真に収めたく、立山の弥陀ヶ原から滝坪へ降りる八郎坂を下る。
滝までの高低差は500m、初めて下る坂で、真下に滝が見える急な岩場を、カメラを付けた三脚を肩にかけ片手で岩をつかみながら降りたのであった。
ところが10mも下らないときに、足が滑って岩場から足が外れ滑落寸前となる。真下は称名滝で、ほぼ垂直の小さな谷となっていた。瞬間、私は空いた手で草をつかみ、かろうじて身体を止めることができた。
三脚をかずいたまま倒れ、垂直になった私の命を救ったのは草であった。倒れた瞬間左手で草をつかみ、かろうじて身体を止めることが出来たのである。
草をつかんでいなければ、ほぼ垂直の500m下の滝坪まで落下したはずである。下から上がってきた登山者がアッ!と叫んだが、私はかろうじて止まっていた。
私は深く反省した。それは岩場でカメラを付けた三脚を担いで下る無謀さである。写真を写したい一心で、初めて下る八郎坂はどんな坂かは全く知らず、慎重さに欠けた自分を深く反省した。
この件で、私は深く神仏に守られていることを自覚した。それはわが師に師事し、カルマの解消に向かう成仏法を学んでいたからであろうか。
私が死にかかったことはもう1件ある。それは冬の国道156号線を田舎の家へ帰る道で、下りのカーブ道で車がスリップし、下から上がってきた車と正面衝突する寸前で避けることができたことである。
今は亡くなった母を乗せての事故で、衝突を避けた車はスリップし、2mの雪壁につ込んで止まった。衝突していればどんな事故になっていたか、思い出しても気持ちが動揺する。
このように私の因縁(カルマ)は、ほかにもいくつも持っている。まだまだ油断は出来ないが、この齢まで生きられたことを感謝せざるを得ない。
その私が愛した称名滝の写真をご覧になったであろうか。私の写真人生はほぼ終わった。その記録は数百枚の写真としてパソコンに記憶されている。
2021/10/04(月)
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■立山の紹介
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はや10月となり山は紅葉の時期となった。毎月更新する「今月のテーマ」では、「錦秋の立山」として富山県が誇る立山の風景を載せた。
立山は地鉄電車で立山駅に着けば、ケーブルで1000mの美女平へ。そして高原バスで2450mの室堂まで直進できる便利な観光登山ができる。
私は写真を撮り始めてから何度も通い、雄大な自然を堪能し写真に収めてきた。特に秋の紅葉の時期は絶景となり、称名川にできた高さ日本一の称名滝が美しい。
立山は室堂から約500m登って頂きへ達するが、3000mから眺めた風景もまた抜群であった。年間100万人近くの観光客が訪れ、にぎわった立山も今はコロナ禍で30万人程度だとか。
昔から信仰の山であった立山は今は大観光地となった。富士山と白山、そして立山は修験道のメッカで、昔から親しまれてきた。
その立山を存分に収めた私のホームページ、「私の風景写真」の「写真のコーナー」を十分堪能あれ!
そして今月のテーマ写真もご覧ください。写真には全国的な俳誌「雲の峰」の皆さんが詠まれた俳句が添えてあります。
2021/10/02(土)
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