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■野菜作り
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河川敷の畑を借りて野菜を作って早10年。3月も目の前で、ジャガイモを植える季節となった。そこで隣のSさんに明日の午後、畑を見に行こうと約束する。
Sさんは教員生活が長く、定年となってもまだ大学の就職活動に尽力されてきた。そのSさんに畑を耕さないかと聞くと、快諾を得た。
一人暮らしで毎日が日曜日となるため、趣味と実益を兼ねた野菜つくりが老後の暇つぶしだと思われたのであろう。明日は気温も上がり、天気も快晴だという。
私は老化で10m四方の畑を2枚耕すのが苦痛となってきたのでSさんを誘ったものだが、明日はSさんに耕作権を譲渡する畑を検分しに行こうと約束した。
今日はジャガイモの種と肥料をホームセンターで買う。ついでに近くのスーパーマーケットで夕食のおかずを買う。この店はいつもの店と少し遠いが、どんな品があるかを見聞しようと思った次第である。
広い店には豊富な食材が揃っていた。だがいつもの店より少し高いように思われる。土曜日はどこの店も満員だが、ここでは自分でレジを操作して買うことができる。
畑では自分の好みの食材を栽培する。その主役はジャガイモやサツマイモなどの芋類に季節の葉物野菜だが、昨年気づいたのはサツマイモの料理法だった。
寒い冬は焼き芋が大好きで、最適な品種の「べにはるか」を注文したが、実際は違った品種で焼き芋にはならなかった。しかし、思わぬ料理方法を発見する。
それは皮を剥いで、厚さ1cmくらいの輪切りして煮るのである。 薄いのですぐに煮えるが、その味が抜群だった。それは砂糖をはるかに超えるような甘さであり、食感である。
ほかほかの煮たサツマイモが、これだけ甘くなるとは想像もしていなかった。焼き芋が不適なら煮て食べよう。畑で栽培した芋はあと少し。無くなれば少し高いが店で買うことにしよう。
2021/02/27(土)
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■国公立大学試験
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私の次男の娘が今年、大学を受験する。早いものでもう大学生になるが、希望の大学に合格するよう、私は近くの神社にお参りをする。
神社の名は明神社で、歩いて10分ほどのところと30分のところに2箇所がある。いずれも昔村だったころに建てられた神社で、大切に管理されている。
少子化で学生が少なくなったとはいえ、競争倍率は5,6倍だという。合格すればお祝いを上げねばならないが、人生を左右する大きな岐路を迎えた。
私の時代は大学は夢のまた夢で、進学した同級生は総て高卒だった。今のように大学の数も限られ、家が貧しく大学どころではなかったのである。
今、自分の人生を振り返ってみると、全く運が良かったといえよう。それは遠く離れた市の工業高校を受験したが、合格して下宿したのは学校に近い知人の家だった。
この知人は戦後の物資不足の時代、金物の商いをしていた人で、古い金属を買う商人だった。その古い金属が私の家の近くに眠っていたのである。
それは水力発電所の工作室跡だった。私の家から約1km上流の庄川に大規模なダムを築き、出力45000kwの水力発電所が完成したのは戦時中の昭和17年である。
その修理工場の跡に、鉄くずや銅くずが眠っていたのである。当時は特に銅が高値で売れて、そのくずを拾うのが大きな小遣いとなった。
その金属くずを買いに来た商人を泊める宿が私の家だったのである。その縁で私は知人が住む高岡市で3年間下宿することになる。
下宿料は月に5000円で、母が農協の事務員をしていたため、その給料から払っていた。父は水飲み百姓で、とても私の学資を払えるような稼ぎがなかったのである。
就職試験はまだ難関で、父が勧めた電力会社を目指し就職活動をする。父は村から水力発電所に勤めていた人が高給で、うらやましかったのであろう。
だが私は機械化卒で、電力会社は大阪の火力発電所勤務になるという。それを知った私は長男でもあり、父母や祖父母を残し関西に行くことを断念した。
それからまもなく地元の電力会社の入社試験があり、私は学校長の推薦で受験できた。そして9倍の倍率で入社を果たす。
勤務は他県の遠い時もあったが故郷を離れても近い富山市で、祖父母も亡くなり私は市内に住居を構える。以来65年、私も81歳の老境となり、ふるさとも処分して現在がある。
今は安らかな老境を満喫しているが、かわいい孫にも良い運を願うのみである。
2021/02/25(木)
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■照耀行脚(しょうようあんぎゃ)
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古来より幾多の戦乱や自然災害等で人々の住む土地が侵され、その影響は末代まで負の遺産として継続する。その土地に住む人々が安穏に暮らせる居場所とするため、霊的に清めるのが照耀行脚である。
照耀行脚は仏陀の成仏法を持って土地を清め、人々が安心して暮らせる居場所とするために行う宗教行事であり、今回は富山県の北方の片貝川で行う予定である。
今日は仲間と二人、魚津市にある土木事務所へ出向き、河川敷をお借りして法要を行う許可をとってきた。これで富山県内の大中河川総てを清めることになるが、願わくば大雨による河川の氾濫による自然災害が起きないよう祈るのみである。
役所は快く許可を出され、3月後半に仲間とお護摩を焚き清めようと思う。人類は長い歴史において自然環境を破壊し、公害を垂れ流しにしてきた。その結果が地球温暖化という人類の住処を破壊するような事態となった。
今、人々はやっとそのことに気づき、これから厳しい対策が成されよう。この地球は人類だけのものではない。あらゆる生物や植物、鉱物で満たされ調和の取れた地球も、人間の身勝手な欲望で不浄で荒れ放題であるが、そのご恩に感謝し許しを乞うことを目的とする。
これからの日本はどこへ向かって進むことになるか。それは世界が抱える大きな問題でもある。
2021/02/24(水)
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■忘れもの
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私は毎日、朝起きると仏壇にお参りし、御仏への感謝と先祖の供養を欠かさない。ところが今日の朝は何としたことか、寝巻き姿でお参りし、その際御仏へ献上するお酒が入った杯を落としてしまった。
こんなことは初めてで、何が原因かを考えてみる。すると突然ある記憶が蘇ってきた。それは2月7日に京都で行われた「あごんの星まつり」に申し込んだ、スサノオウノミコトを祀るお札を頂くことだった。
この御札はわが師が篤く信奉されてきた神界の尊を祀る御札で、道場に保管されていたのを今になって思い出した次第である。神棚を飾る大切な御札であり、すぐに道場に赴き頂いてきた。
この世は神も仏もいないという人もいるがそれは間違いで、多くの次元で構成された世界は、人類の意思をはるかに超えた高い次元に到達された魂を神仏という。
ここに一冊の著書がある。その名は「あなたはどの星から来たのか?」ファルス著(ヒカルランド刊)で、次元をこのように説明される。
次元とは何か? それは一言で説明すると、「時空間における周波数帯の相異」のことだという。それは総てのものは固有の振動数をもっているからである。
私もあなたも、あらゆるものが振動数を持っている。それは物質であろうがなかろうが関係ない。皆、波形と振幅と周期を宿しているエネルギー体として存在しているのだという。
地球の次元は三次元だが、実際は三次元と四次元が重複されたバイブレーション帯の中で活動しているのだという。地球の科学では、一次元は直線、二次元は平面、三次元は立体として捉えているが、これも一つの認識であり、物質的側面からしか見ることのできない地球科学の特性だと話される。
著者は自分がいる6.2次元からの知覚での次元認識をされているが、釈迦は7次元とも8次元の世界の人とも言われる。私も寿命が来ればこの地球を去って、より高い次元に到達できることを願って修行しているのである。
高い次元になれば肉体を必要としない。それは魂の世界であり、著者は今、異次元へのアクセスブロックが解かれ、自由に籠の鳥から抜け出すことが可能になったと話される。
この三次元に束縛された世界から如何に抜け出すか、そのひとつが釈迦の教えであろう。
2021/02/23(火)
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■イボ
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イボとは如何に? 私は中年になり顔の側面にシミができ、その都度皮膚科の病院に通ってきた。最近右のほっぺたに斑点模様のシミができて、そのシミをとるため出かけたものである。
医者はこの黒い斑点はシミではなく、イボだという。私がイメージするイボは大きく飛び出たもので、除去は簡単にできないものであろうと考えていた。
しかし、医師はこれはイボだという。過去何回もこのイボができ、その都度除去してきた。黒く変色したイボをとる方法は、マイナス200℃近い液体窒素を塗って、薄い皮を剥ぎ取り黒く固まった異物を除去するのである。
よく老人に見られるイボだが、医師は気にせずに放っておいてもよいという。あと1回で除去できると思うが、昨年の5月も通っていた。
患者は小さな待合室に間隔を置いて座り、あふれていた。平日なのに若い大人が多い。ここも大繁盛で、医師の父は私が勤めていた頃の上司の弟であった。
何か親近感を覚え、2kmも離れた家から自転車で通うが、今日は天気は良いが北風が強く、良い足の運動になった。
今、高齢者の医療費が増え、政府もある程度収入のある老人に2割を負担してもらう案が出ている。私はすでに3割負担だが、医療費の高騰は身に染みて感ずるのである。
2021/02/22(月)
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■家内と散歩
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今日も暇なので家内と近くを散歩する。今日は暖かくなり、雪も解けだしたが、まだ積雪は30cm以上はあろう。近くの運河に架かる橋があり、その橋のたもとに屋根のついたベンチがあるので、そこまで行こうと話す。 約10分程度で着いてベンチに座る。運河は長さ5.2kmで幅は50m近く、途中でパマナ式の閘門があり、水位差2.5mを越えて行き来する。昭和の初期に掘削した日本でも有数の大型運河であり、当時は交通の要所として富山市の発展に大きく寄与してきた。今は観光船が運航し、桜の季節になれば両岸の桜並木を愛でる観光ルートとなった。
しばらく眺めていたが、船も通らず水鳥もいない殺風景なので、また来た道を戻る。しかし、今度は新しく改装したコンビニを見て違ったルートで我が家に帰ることにした。
私の団地に隣接した地区で、家が密集した様子を眺めながら帰途に着く。私の興味は空き家の数である。私の地区やこの地は元水田だったが、団地として整備され40年近くが過ぎて大きな町となった。
この町内には知り合いがいなく、歩くのはめったに無い。すると数軒の空き家が見つかった。それは玄関前に積もった雪があり、出入りした跡が無いからである。
雪が降ったのは2日前だったから、跡が無いのは空き家だからであろう。車もなく、戸締りがしっかりしていて、閑散としている。
昨日も書いたが、どこの町内も40年近い年月が過ぎれば空き家となる家がある。売りに出す家もたまにあるが、実態は空き家そのままである。
今、全国で空き家が激増し、古いものは倒壊の危険がある。もし倒壊すれば近所や交通に支障をきたす場合もあり、行政も強制撤去に乗り出した。
あと10年先や20年先を思うと恐ろしくなる。それは少子高齢化で、持ち主がいない空き家の放置であろう。未来がどんな姿を呈するか、その証がここにある。
2021/02/20(土)
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■暇な日々
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今日は50cm以上積もった雪も止んで、昼から青空となった。家にいてもつまらないので、表に出て雪を透かす。すると隣のご主人も雪を透かしている。近寄り、最近のよもやま話に花が咲いた。
わが町内の戸数は320戸で20班に分かれている。私の班は10班で、15軒の家がある。殆んどの人が定年退職した人で、家は静かで何をされているのだろうか。
Aさんは99歳の母と二人暮らしで、東京で働いていたが定年で戻ってこられた。暇な時間はジョギングで過ごし、ルートはいくつもあると言う。
まだ60代半ばで、元気そのもの。しかし東京での暮らしは一人で食事がおろそかになり、糖尿病を患っていて食事療法が欠かせないという。
篤志家で、いろんな社会福祉のボランティアをこなし、骨髄バンクにも登録されているが、その健康法は毎日1万歩も歩くジョギングにあるという。
私の健康法は河川敷での家庭菜園の作業だが、今は雪で何もできない。だが老化が進み、今年は畑の枚数を2枚から1枚に減らそうと思い、隣の退職された先生に聞いてみた。
するとすぐに賛同され、4月から私の畑を1枚あげて、隣同士の二人で畑仕事をしようと思う。Aさんにも勧めたが、断られた。
わが班では高齢化が進み、15軒のうち空き家が1軒、一人暮らしが4軒、夫婦二人暮らしが6軒、3人が2軒など、団地ができてから38年、住む人の比率は大きく減少した。
あとわずかで2人が1人に、1人が死んだり施設に入れば空き家となる確率も高い。子供のいる家は2軒だが、寒い日々は声も聞こえない。
あと10年が過ぎれば空き家が増えて、死んだような町になろう。今、町を歩くと空き家が目立ち売りに出ている家もあるが、庭木が茂り放置した家もある。
少子高齢化が急速に進むわが日本。それはコロナのような疫病や自然災害も加わり、老後を如何にして過ごすかが問題となろう。
2021/02/19(金)
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■大雪
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今日は再び大雪となり、息子が仕事から帰るのが気になる。20kmほど離れたところで勤務するため、行き帰りの車が大丈夫かである。
1月の豪雪では富山市で128cmの35年ぶりの大雪となり、帰るのに渋滞し家に着いたのは午前2時半だった。今回は積雪が40cmなのであまり心配しなかったが、それでも吹雪の外を見ると心が騒ぐ。
息子はいつもと20分ほど長くかかり無事家に帰ってきた。車は雪に覆われ、私は息子に代わって雪を除去する。この雪はまだ明日も大雪だとの判断で、小中学校は臨時休校となった。
老いると寒さに弱い。私は6畳一間にベッドを置き、毛布2枚を重ねて、その上にフトンをかぶせて寝る。勿論足には電気アンカを置き足を暖める。
暖房は電気ストーブだが、室温を5℃から15℃まで暖めてからベッドに潜る。寒さは峠を越えた。2月の後半になり、次第に春の気配がする。
今年は異常気象で、アメリカでも南部が異常な寒波に見舞われ、豪雪で大混乱の写真が新聞に載っていた。この日本海側も海水温度の高温化と強い西風の影響で、寒気が入れば山間部より平野部が豪雪となる。
雪には慣れた私だが、老人性乾皮症には叶わない。それは皮膚が乾いて、身体全体がかゆくてしようがないのである。
寒暖の差が激しいが梅も咲いたし、後は暖かい春がやってくる。もう少しの我慢だぞ。
2021/02/17(水)
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■送電線の地役権
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田舎の山林には関西電力の送電線が走っている。広い山は小さく区画されて権利者は総て村人だ。私も先祖から頂いた山林を少し持っているが、今日は関西電力の人が来て、送電線の下にある山林の境界を図面で確認することになった。 山林は先祖が植えた杉の木が多く茂り、送電線に接触するまで伸びたものは切らねばならない。その場所は家から約500mほど登った深い山で、その送電線の下に植林できない地役権を設定するための訪問だった。
私はまだ若い頃、父と二人でいくつもの山に植えた杉の林を確認してきた。しかし、杉が大きく育ち伐採する太さになっても切ることができない。
それは林道がなく、切り出す職人もいないからである。昔は家を建てるときは総て自家製の木材を使用した。昭和29年の暮れ、父が建てた家は90坪の総2階建てで、二階では養蚕をして収入を得ていたのである。
その家も私が高校入学で町に出て富山で就職し家を建てる。そして父母も死んで長く空き家となり、10年前に解体処分したのである。今は更地となり、基礎部分を撤去しなかったため宅地として税金だけを取られる空き地となった。
田舎は今、激変の地となった。若者は職を求めて町に出て、親は老化で死んだり町の施設に入り、家は空き家が増えて人口は激減している。唯一合掌集落で世界遺産となった2箇所の地区だけが繁栄するが、総じて限界集落の地と替わり果てた。
毎年お盆にお墓参りをするが、帰郷はその時だけである。深い渓谷を作って流れる庄川でウグイを吊り、谷では岩魚を。春は山菜採りに夏は庄川の激流を泳ぎ、秋はあけびや山ぶどう、栗やクルミを取って食べ、冬はスキーで遊んだふるさと。
今は、その懐かしいふるさとが思い出されるのである。
2021/02/16(火)
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■閉店
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長らくお世話になったカメラ店から閉店の知らせが来た。私がカメラに夢中になっていた時代、それは今から30年近くの昔で、まだデジタルカメラは世に出ていなかった。
これで近くにカメラ店は無くなり、以後は遠くの店に行かねばならない。最初はキャノンのeos5だったが、全紙に拡大するためにマミヤの中判カメラ645を買う。
趣味が高じればお金に制限をつけない。写したフイルムは約300巻、その中からプリントした画像は、アルバムとして今もHPに記載している。
1枚1万円近い全紙のサイズに拡大したのは約40枚、それは今も大切に保存し、季節ごとに額縁に入れ替え居間を飾る。そしてデジタルとなり写真撮影は一変した。
画像は小さなチップに保存でき、プリントも印刷機を買ってL判や2L判の小さなサイズにすぐ印刷できた。当時は写真マニアも多く、私は知人の誘いで老人会のようなクラブに入会した。
その会長は富山市の中心街でカメラ店を経営されていたが、高齢で店を閉じられ、クラブも消滅した。当時はいくつものクラブがあり、毎年定期的に富山市の県民会館で写真展を開催していたものである。
長らくお世話になった店が閉店になるのは寂しいが、さりとて遠くの店へ行く気もしない。いやもう行く必要が無くなったのである。 光陰矢の如し! 写真道はこの32年でほぼ終わりを迎えた。
「一人で遊べ、記録に残り、またクラブに入れば多くの仲間と歓談できる」 私はこの三つの特典を活かし、今まで遊んできた。
先日も書斎を整理していると、山に詳しい知人と友人4名が立山を縦走し、剱岳の裏を回り仙人池山荘で宿泊し、そして黒部川へ降りて断崖絶壁を縦走した2泊3日の写真集が出てきた。
今は家にこもり、往時を懐かしく思い出す日々である。
2021/02/15(月)
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■生命・損害保険
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自動車損害保険を更新したのに、次は火災保険の更新時期が来てランクを上げて契約する。家屋が全焼の場合、今までの1.5倍に繰り上げた。 掛け金は少し増えるが、火災は恐ろしい。昨夜の11時過ぎに福島県沖を震源とする地震があり、マグニチュード7.3、震度6強を記録した。
東日本大震災から10年、その余震と見られ、幸い津波や家屋の倒壊で死者はでなかったようであるが、少なからず被害があったようである。
富山県は震度2程度だったというが、私は熟睡中で知らなかった。被災地は東日本大震災で甚大な被害を受けられた地方だが、まだ余震があるようで注意が必要だとか。
私は当然ながら火災保険に地震による保証も付け加えている。額は少ないが、まさかの足しにはなるであろう。ここで火災になる原因の一つを記してみよう。
それは家の各部屋にある電源プラグからの出火である。お知りだとおもうが、この電源プラグからの失火は全火災の12,2%を占めるという。
電源プラグはあまり注目しないが、長く差し込んで放置するとプラグの二股にほこりが溜まり、それが積もってコンセントがショートする危険があるためである。
台所や脱衣所など水分のあるところは、特に気をつけねばならない。そして大きな負荷をかけて使用するのもあぶない。プラグをしっかり差し込んでおけばより安心だが、ゆるかったりいくつものプラグを差し込むときは特に注意が必要となろう。
私は時々、部屋を掃除するとき、掃除機の先を外し勢いよくプラグのコンセントを掃除する。ほこりでいつショートするか分からないので、日ごろのメンテナンスが大切なのである。
寒い冬は火災が多い。それは老人の一人暮らしの生活に多く、暖房にガスや石油を使ったり、台所やコタツなどの器具からの発火もある。
火災保険は地震も併用できる契約が最善と考えるのである。
2021/02/14(日)
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■死後の手続き
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男性の平均年齢が81歳で、私はあと1ケ月でその齢に達する。そこで以前から気にかけていた死後の手続きについて、家族が困らないよう書き留めておこうと思う。
数年前からこの手続きが注目を集め、週刊誌に特集を組まれていた。また単行本にもなり、高齢化が加速する世相を反映している。
私は持病もあるが死に至るものではなく至って健康だが、死はいつどこでどんなアクシデントが待っているかわからない。
死後の世界はおよそ予見できる。それは臨死体験した人の見た世界で、いろんな本にもなっている。そしてわが師はその霊視能力で多くの人の前世を視られ、死について話された。
釈迦は死を喜びとされた。釈迦なればこその悟りで、現世で大きな徳を積み来世へと向かうとき、そこは地球のような喜怒哀楽の世界ではなく、高い次元の聖者の世界である。
日本では三途の川(地獄界・餓鬼界・畜生界)と称し、サイの川原に到達すれば大きな断崖があり、そこを跳び越さねば冥土へ行けないとする。その断崖を跳び越すのに失敗すれば地獄や餓鬼界に流されるのである。唯一越せるのは、現世で大きな徳を積んだ人や先祖が悪因縁を解く「解脱供養」をされた人に限られる。
現世で悪を成した人の運命はこの断崖を越えることができなく、川に流されて地獄界や餓鬼界、畜生界のおぞましい世界に転生することになるという。
その様子はわが師の著書「君は誰の転生か」(平河出版)に詳しく書かれている。人はこの世に生を受け死んでもそれで終わりではない。
その魂は再び輪廻してこの世に生まれ、新たに学びなおすのである。それは限りない旅の始まりで、釈迦のように悪しき因縁を総て切って聖者にならなければ叶わないことであろう。
私もまだまだ未熟な魂の持ち主である。次なる境涯がどんな世界か分からないが、少しでも現世で徳を積み、来世へ向かいたいものである。
2021/02/12(金)
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■東京オリンピックの難題A
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今、組織委員会の森会長が辞意を固め、明日発表するとの臨時ニュースが入ってきた。この騒動で日本を始め世界が驚いた発言を撤回し、自ら辞任に追い込まれた件は終わるのであろうか。
この汚点は日本の歴史として、今後長く引き継がれることになろう。何とかオリンピックが正常化され、一件落着といきたいものだ。
さて、昨日の続きに移ろう。私は人が基本的に持つ三つの心のうち一つを書いたが、今日は二つ目と三つ目の心を書こう。次は「瞋心」である。
瞋心(じんしん)
「瞋心」とは怒りの心である。人の煩悩の中で一番悪いもので、また一番強い力を持っている。それは人生を破壊し、世の中の一切をうち破る根本悪だとわが師は話される。
この心がどうして起こるかと言うと、一番初めは物事が自分の思ったようにいかない不愉快に思うところから始まる。あるいは自分と違うものに対して、不快を感ずるのである。
それは自分のわがままである。手前勝手な腹立ちで、極端な場合それは戦争にもなる恐ろしい心である。総てを破壊するこの心は厳に戒めなければならない。次の三番目は「癡心」である。
癡心(ちしん)
これは愚かとか、バカという意味である。何が愚かなのかであるかと言うと、ものの道理が分からないということである。その道理とは「因縁因果の法則」である。
因縁因果の法則とは、この世の総てのものは、原因となるものがなくて生ずるものはなく、また因があって生じてもこれを助長するところの縁がなくては存在しない。
因と縁が重なって一つの経過をたどり、結果が現れてくる。どんなものでも存在する限りこの過程を経ないものはない。これが因果の法則である。
もっと詳しく言えば「因果応報」とか「因縁果報」であろう。その結果は因に応じていろんな形態を表すのである。
わが師はこの三つの心の因縁を「三毒」称して、必ず切らねばならない悪因縁と称された。私は長い仏道修行の上で、毎日朝のお参りでこの三毒を出さないように神仏に誓っているのである。
森会長は辞任されるが、次なるお役を引き継ぐ人に心からこの三毒を出さないようお願いしたい。願わくば東京オリンピックの運営が、速やかに正常に戻ることを祈念する毎日である。
2021/02/11(木)
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■東京オリンピックの難題@
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東京オリンピックの開催について、組織委員会の会長である森元首相の発言が物議をかもしている。それは女性蔑視の発言で、各界の有識者や海外、それに募集したボランティアの中にも辞退するまでに発展した。
この失言は日本人が持つ有史以来の因縁であると思うが、その心が自然に出た失言であろう。失言で辞退が妥当だとの案もあったが、会長は否認されている。
森会長の功績から余人を持って替えがたいためであろうが、その結末は今後も大きな禍根を残すことになろう。このコロナ禍で1年延期となったオリンピックも、新型コロナの終息など開催可否や運営方法など予断をゆるさなくなった。
私は森会長の心が透けて見えるようである。それは仏道修行で得た人の心の因縁である。わが師は人が生まれながらに持つ心を60通りに分類され、その詳細を「説法六十心」として平河出版社より発刊された。昭和49年のことである。
そしてことに悪いのを「三毒」として次の三つを指摘されている。それは「貧心」と「瞋心」、そして「癡心」である。今日はその最初の因縁「貧心」(とんしん)について記してみよう。
「貧心」(とんしん)
貧心とはむさぼりの心である。貪欲な心を指し、いくらでも欲しい心、何が何でもほしい心で、もうこれでよいと満足することができなくなる心が特徴であると。そしてわが師はこんな例を記しておられる。それはトルストイの民話である。
昔、ある王様から一日中歩きまわった距離だけの土地をやると言われた。円でも四角でも三角でもよい。ぐるっと回ってきた中の部分の土地をやると言われた。
条件はただ一つ。それは日の出と供に出発し、日が沈む前に出発点へ戻ってこなければならない。それを聞いたある男が喜んで出発した。
出発点には目印の棒が一本。男はうれしくてたまらず、これで自分は国中でも有数の大金持ちになれる、今までバカにしていた連中を逆に平身低頭させてやれると勇んで出発した。
男は徒歩から駆け足となる。お昼も休まず少量のパンをムシャムシャ食べながら走る。やがて目印の棒を立てて岐路につくが、「少し遠くなりすぎたかな?」と、沈みかかる太陽を見てつぶやく。
男が出発点へ近づいたのは太陽が半分沈みかけた頃だった。あと50m!、あと10m! 日没と同時に男は棒にたどり着き、棒を抱え込むようにして倒れた。
観衆から歓声が上がり、タッチの差で願望は達せられた。しかし男は起き上がれない。男に駆け寄った村人が見たのは、心臓麻痺で息絶えた男の姿であったという。
いかがであろうか。この例は少し極端かも知れないが、人の心に潜む欲望は限りが無い。その心を「貧心」と言うのである。
森会長は辞意を表されたようであるが、委員の中から余人を持って替えがたいとの言葉で留任を決意されたようである。今後の処遇がどうなるか、それは天にお任せしよう。
私は森会長に悪意はない。ただこれが人の心の因縁として表れたものであれば、この貧心が当てはまると考えるのである。
2021/02/10(水)
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■人類に迫る危機
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昨夜のNHKスペシャルをご覧になった方も多いであろう。今、この地球にかってない人類生存の危機が迫っていることを。確か前にも見たような気がするが、その危機とは「水と食料」の枯渇である。
我々のような先進国ではその気配も無いが、アフリカや中東の貧しい国では食料が手に入らず、極貧の生活が続いるという。主要農地を外国資本に搾取され、住民は森林を焼いて土地を作る。
アメリカでは広大な農地にトウモロコシを植えるが、水が地下水で、その汲み上げる量もあとわずかだという。その限界は2030年、すなわちあと10年が限度であると。
この日本はそんなことに気づかない。食糧は安価でお金さえ出せばビフテキなどさまざまな豪華食品が食べられる。食料自給率40%のわが国は、大規模な農業国であるアメリカやオーストラリア、ブラジルなどからの輸入品で賄われる。
そして飽食の限りを尽くし、賞味期限が来て捨てられる食品は貧困国を賄うほどであり、豚の餌に加工されるのである。
それに膨大なイナゴの被害や乾燥した熱波や砂塵で作物は全滅し、自然災害の影響も甚大である。特に気になるのがブラジルのジャングル破壊であろう。
地球温暖化は二酸化炭素の排出量で決まる。だから今、世界がその排出量削減で目標を立て取り組み始めた。だがもう遅いであろう。
あと10年、この世が食料危機でどんな災厄に見舞われているか。その結果は私には分からないが、何とか見届けたいものである。
2021/02/08(月)
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■あごんの星まつり
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私が信仰する仏教教団で最大の宗教行事である”あごんの星まつり”が今日、京都山科区北花山大峰の会場で行われた。それは祈願や先祖供養をした護摩木をお焚きあげし、神仏に祈る行事である。
お焚きあげするゴマ木は約3000万本、世界中から集められた護摩木を一日でお焚きあげし、祈願や先祖の供養を行うものである。
昨年から新型コロナ禍で参拝者は限られ、私の地区でも例年参拝バスを出すのだったが、今年は中止した。その代わりインターネットでライブ配信されるので、それを一日中見ていた。
あごんの星まつりは、わが師が誕生されて百周年の記念でもあり、例年なら40万人以上の参拝者が集まるのに、画面では蜜を避けるために入場者を制限し、直接の参拝者は少なかった。
今、お釈迦様が法を説かれ2500年が過ぎた。その間の歴史はすざましいものである。どんな宗教でも同じだが、長い年月の間に人々の意識も変わり、自分流のいろんな宗派に分離してきた。
仏教も同じで、インドからチベットへ伝わった東伝仏教に、スリランカから東南アジアへ伝わった南伝仏教と、中国から朝鮮を経て日本に伝わった北伝仏教がある。
その三派も時代の変遷で多くの宗派に分裂し、唯一釈迦の悟りを正確に伝えるのはチベットぐらいであろう。わが師は釈迦の真の教えであるアーガマ(阿含経)を初めて世にだされた。
それは釈迦が直説した経典「七科三十七道品」で、成仏法を説くものである。そして現今の仏教で釈迦の教えに近いチベット仏教や三派に分かれた仏教を融合して「阿含宗」を立宗されたのである。
釈迦は総ての因縁(カルマ)を絶ち、もはやこの世に輪廻して学ぶ必要の無い、高い次元の境涯に達する法「成仏法」を説かれた。
わが師はその真髄を会得され、数々の奇跡を表された。そのひとつが「現形」(げぎょう)という現象である。自分が思念した仏の姿が護摩の炎でお姿を表されるのである。
私も何度も参拝し写真を撮ってきた。その中に護摩壇の炎が慈母観音となって現れた写真がある。明日はその写真をHPトップに載せようと思う。
2021/02/07(日)
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■季節はずれの暖かさ
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今日は晴れて外温は14℃。家にいても退屈なので家内と二人で近くの公園へ散歩に行く。豪雪は殆んど消えたが、公園はまだ雪が積もっていた。
この公園のそばには県営の大きな団地があり、5階建てのアパートが十棟あまり。殆んどの棟が空き家で数棟が解体中だった。建設当時は高度成長期で、多くの教員や県の職員が住んでいた。
時代は替わり、みんなが家を持つようになり、ほとんどが空き家になったものである。解体するのはもったいないので、改築して県営住宅にすればよいのにと思うが、希望する人は少ないのであろう。
公園は梅の木が多く植えられ、すでに咲いている木もあった。しかし、天気は明日からまた寒気が入り雪になるという。
体調があまりよくなく、汗も出なかったが、家内は汗だくだった。途中町内のある夫婦も二人で散歩中ですれ違う。歩行数は5千歩だった。
話は変わり、昨日書いた畑の盗みについて書かねばならない。それはスコップが盗まれたとの思いを確認するため、再度畑へ確認に行く。
ところがスコップはシートの下にあった。私の勘違いで、盗まれてはいなかったのである。広い河川敷の畑では、車を利用する人が多く道具は持ち帰るのが普通である。
私は自転車だから、作業の道具は身近に置いて使いたい。私が安堵したのは盗むようなたちの悪い人はいなかったということである。
だが、昨年の夏はいちごが実り、収穫寸前にねこぞぎ盗られた。それは私の畑だけではなく、隣の畑も同じであった。恐らく耕作者ではなく、外部の人であろう。
昨日の話は私の考えを書いたもので、参考にしていただければそれで結構。この世は善意であふれる人も多いので、私は魂を清め高める学校と称しているのである。
この世では私の卒業も近い。80年の歳月で多くを学んだ月日を、懐かしく思い出すのである。
2021/02/06(土)
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■盗み
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年末の豪雪も消えて今日は暖かく晴れたので、久しぶりに畑へ行く。目的はダイコンの収穫と鍬を持ってくることだった。私はつい忘れて農作業に使う道具をシートに包んで畑に置いていた。
農作業を円滑に耕す道具を、寒い畑に放置することは忍びなく、家の物置に仕舞おうと思った次第である。ところが鍬はあったが、スコップは無かった。
スコップは誰かに盗られたらしい。残念ながら、畑に置くとは盗ってくださいというようなもので、今まで盗難に会ったことがなく気にかけていなかった。
スコップは必需品で、土を起こす大切な役目を果たす。どれだけの値段か知らないが、店で買わねばならない。そこで私は思う。
この世は盗難などは当たり前の世で、盗られた側が悪いと思うほどである。この盗難の原因は私にもある。それは秋の末に家へ持ってこなかったからであるが、前世の罪の償いであるかも知れない。
この世は因果応報であり、因と果がなくして物事は説明できない。人には長い前世があり、無数に輪廻して魂の進化を目指す。その過程で私は盗みを働いたものであろう。
だから私は盗られたことに怒りの心は起きない。それは前世の業によるものと考え、今度は自分で防御するしかあるまいと考えるのである。
私がその都度説明するように、盗みは現世でその対価を果せられることもあるが、スコップ一丁で警察に届けても相手にしてくれないであろう。
もし自分にささいな不都合が起きれば、それは前世の償いと考え、心新たに善行を積むことを心がけよう。それができれば、この世に苦は存在しなくなると思うのである。
2021/02/05(金)
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■寒さに負けるな
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東京で春一番が吹いたと言う。まだ2月の初旬に春とは異常気象ではないだろうか。翻ってわが富山は毎日3〜5℃台で、老人には寒くてしかたがない。
上着を何枚も重ね着してコタツに入るが、それでも全身が温まるわけではない。俳誌「雲の峰」にこんな句があった。
”動かずに をられぬ寒さ バスを待つ ” 窪田季男
昨年の暮れに豪雪で高速道路が麻痺して2日も足止めされた事故があったが、息子も職場から帰る途中、渋滞で家に着いたのは午前2時半だった。
この寒さを感ずると昔の少年時代を思い出す。合掌造りの家で暖房はコタツだけ。居間に大きなコタツを作り、自家製の木炭を使って暖をとった。
しかし寝るときは暖房も無い部屋でフトンを重ねて寝たが、気温はー10℃にも下がった。今の北海道の気温である。しかし、特段寒いとは思わなかった。
それは少年時代の生命力かも知れないが、冬はこんなものだとの思いが寒さに耐えてくれた。豪雪地帯で3mにも達する雪が積もり、2mに達する圧雪の道を歩いて学校に通った。
そして暇な日々の夜は、語り部の仏法話しで日が暮れた。語り部はあたかも地獄・極楽を見てきたように話した。家族や隣家の年寄りが多く集まり、深夜に及ぶこともあった。
母が熱心な信者で、私も語り部の仲間に入り仏法を聞いた。その影響か、青年になり仏教に関心を持つようになる。最初は倫理道徳の会での学びだったが、霊的な世界が出てこないため改心して仏陀の法を学ぶことにしたのである。
入信して約35年が過ぎた。この世は目で見える世界だけではない。むしろ見えない世界が殆んどを占める。それは霊的世界である。
釈迦は「悪しき因縁(カルマ)を解脱して仏陀(聖者)となる道」を説かれた。人は本体が魂であり、身体は魂を入れる借り物に過ぎない。
寒い冬の夜は、語り部の話に夢中だった少年時代が蘇ってくるのである。
2021/02/04(木)
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■悩み相談
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NHKの番組みで「シブ5時」がある。今日はコロナの後遺症について報じていたが、最後は一般から公募した「悩み相談」である。
相談の答えは僧侶で宗教学者の釈徹宗さんだが、若い女性からこんな悩みがあった。それは上司の言動が気になり、ストレスが溜まることだという。
遅刻が常態化し、言葉使いに嫌気がするので、何か解決方法はないかというものだった。
この悩み相談を聞いて私も過去のことを思い出す。私の場合は逆で、係長に昇進してまもなく1歳年下のB君に罵声を浴びせられる。
それは現場のトラブルに関し、私が問いかけても返事も無く、解決しようとの気もない。それは上司の命令を無視する愚行であった。
私はB君の気質をよく知っており、相手にしなかった。彼は技術には自信があり、まだ若い上司に命令されることに嫌気を感じたのであろう。
上司の命令を聞かないストライキは何度も続いた。だが、私はそれ以上彼を責めなかった。そして数年が過ぎ、私は次の職場に転勤となる。
上司となる判断は技術の取得だけではない。それは如何に部下をうまく統率し、仕事を如何にうまくこなすかの指導力である。
彼には技術力だけは十分あったが、皆の尊敬を集める統率力が無かったのである。それ以来彼とは職場を友にすることは無かった。 そして定年を迎える。しかし、その後は彼の消息は途絶えた。今もって彼の居場所は不明である。一匹狼だった彼は、今どこでどんな暮らしをしているか、それは知らない。
人は技術だけでは評価されない。むしろ多くの部下を率いる統率力が大切となろう。私はそんな統率力があるとは思えないが、常に相手の立場になって物事を考えてきた。
年配の課長や部長からもお叱りを受けたことは何度もある。だが私は素直に自分を反省し、謙虚になって聞いてきた。その上司もみんな亡くなられ私も老境となる。
昨日頂いた全国的な俳誌「雲の峰」にこんな句があった。
”悲しみも 感謝もありて 日記果つ ” 野村よし子
この句は「今月のテーマ」の写真にも採用させていただいた。「喜怒哀楽」これが人生である。
2021/02/03(水)
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■年金が削られる!
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読売新聞の広告欄に週刊ポストが、「コロナで4月から年金がこんなに削られる」との見出しが出ていた。それは来年の減額率は一気に20倍になるという。
どんな根拠があるか知らないが、このコロナ禍により国の財政が極端に悪化し、多額の借金を残すからであろう。すでに今年度予算は赤字国債が数十兆円水増しされた。
日本は先進国でも突出した借金大国で、今までのツケがコロナ禍で倍増する状況にある。私たち老人の収入は年金しかない。公的年金だけで暮らす人も多いであろう。
わずかな年金で暮らす退職者が、その影響を受けてどれだけ生活を簡素化できるか。すでにギリギリの生活をしている民衆は、その額に耐えられるであろうか。
生活が苦しくなれば消費を削減しなければならない。それがどれだけの影響を与えるか未知数だが、コロナ経済が終息しても年金減で、次にも貧乏な生活が待っている。
この世の未来は多くの艱難が待っている。昨日ミャンマーでクーデターが起きたように、それは今、世界各地で政権に不満を抱く民衆のデモが示している。
この21世紀から始まる世界の動乱は、次なる次元への序章にすぎない。それはどんな世か、私には大よその見当が見えるのである。
2021/02/02(火)
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■受験戦争
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今日は娘が来て、子供を大学入試試験の会場へ送ってきたという。そして受験が終わるまで家で休み、迎えにゆくそうだ。
今は受験戦争真っ最中で、受験生は人生を左右する試練にあわねばならない。大阪にいる次男の娘も受験生で、近くの大学を受験するようだが、何とか二人とも合格してほしいものだ。
私の時代は大学などは夢のまた夢で、山奥の水飲み百姓では到底受験対象ではなかった。同級生は17人で、そのうち町の高校へ進学したものは男性で3人、女性で4人だった。
そして田舎に残ったものは4人程度。今もみんな健康で暮らしているようで安心するが、集団就職して日本の高度成長を支えた仲間もいた。みんなは昨年で傘寿を迎えたが、一人は若くして亡くなった。
65年前は貧しかった。特に山奥では肉や鮮魚の入手が難しく、唯一、大晦日だけは富山湾で獲れたブリを食べるのが慣わしだった。
飲料水は山の小さな谷水を引き、風呂は釜を持った木の桶で、焚き木をくべてお湯にした。庭に据えた風呂桶は寒く、気温は零下10℃にもなった。
暖房は自家製の木炭コタツのみで、寝るときは分厚い布団を何枚も重ねて寝たが、寒くて夜中に何度も目が覚めたことを覚えている。
今朝は極端に寒かった。案の定、気温はー2.6℃だったというが、この齢になれば寒さが一番の敵である。足元にアンカを置くが、それでも寒くて叶わない。
おまけに頻尿で夜中に2度目がさめてトイレに行く。話は横道にそれた。今の願いは2人の娘が希望の大学に無事合格することを祈るばかりである。
2021/02/01(月)
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