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長寿
 私は83歳の長寿を迎えた。3月12日生まれだから、体力も気力も減退し、日中寝て過ごすことが多い。それに記憶力が極端に減退し、人の名や地名などを思い出そうとしても出てこない日が続く。

 その兆候は82歳を過ぎてから急に出てきて、人と交際する頻度も少なくなる。そして話題がないからこの「よもやま話」の話題も少なくなり、書き込む日数も減った。

 先日、三男からのメールで我が家の家計図を持たないかとの問いだった。私はパソコンを始めて思い付いたのが我が家の先祖を探すことだった。

 それを家計図として記録し、永代にわたり残すことだった。調べて見るとなかなか先祖の様子が分からない。親戚の人や身近な人に聞いて出来たのが私から5代前の先祖の名前であった。

 遠い先祖はどんな暮らしをしていたかは、殆んど分からなかったが、今の場所に家を建てたのは4代前で、合掌建屋を移築したという。その家も父の代で解体し普通の二階建て住宅に新築したのであった。

 その家は大きく、庭で牝牛を飼い、2階は養蚕をして暮らしを支えた。そして父も亡くなり、私は町で就職したので私の代で再び解体し更地となった。

 家の跡地は広く草が生え、山すそを少し削って宅地を広げたが、山は1200mの高壷山へ続くブナの林で、山すそには杉を植えてそれが大きくなる。

 今はこの宅地や所有する山林が問題となる。山に囲まれ、谷が流れ遠く離れた山の中腹から800mくらいの高さに所有する山林は35筆に及ぶ。山林はすべて先祖が杉を植えた。

 この地面は私名義であるから、私が死ねば誰かが継がねばならない。杉林は峻険な山肌にあり、大きくなっても杉を切り出すことはできない。

 そして固定資産税の納入である。宅地も山林も無価値である。息子はその土地をどのように処理するであろうか。

2023/03/30(木)


コロナの次は?
 スピリチュアルなA子さんから一冊の本を貸していただいた。その名は「コロナ・終末・分岐点」浅川嘉富・岡靖洋共著(ヒカルランド刊)だ。

 コロナの発生源は? これから始まる人類の終末など、二人の対談が新たな情報を与えてくれる。二人は人間の根幹である魂の行く末を解析され、人類や地球の行く末を予言される。

 それはなぜ今の世界が終わるかと言うと、地球は今まで3次元世界の学びの場として登場していたけれど、今度は地球そのものが生まれ変わって三次元の原始の地球に戻ると同時に、高次元の5次元世界や7次元世界がパラレルワールドとして誕生するため、すべての人間が一旦この世を離れることになるという。

 にわかには考えられない未来予測だが、そのとき人間は3手に分かれるという。5次元、7次元の高次元へ行ける人は極わずかで、新しい3次元に戻る人、半分以上は魂が末梢されてしまうという。

 この世には霊的世界の存在すら認めない人も多いが、高次元へ行ける人は20%程度で、サルの生活から始まる人間が30%、あとは半分が魂の末梢だと解説される。

 結局はリセットされるので、アメリカや中国、イギリス、イスラエル、スペインなどがそのカルマの大きさで違うのだと話される。

 にわかには信じられないが、今のウクライナ戦争を見ていると、人類の霊性は無に等しく、その末路は魂の末梢であろう。

 人は魂が本体で、肉体や心が進化しなければ、このような結末を迎えることになるであろう。関心のある人は是非読んでほしい一冊である。

2023/03/27(月)


桜が咲いた
 今年は暖かく、富山県の標準木が23日に開花した。そこで一足先にHPトップに桜の写真を載せていたが、今度は富山市の中心部の松川の桜並木を紹介しよう。

 この松川は昭和の始め頃、富山県一の神通川が流れてたびたび洪水を起こしていた川で、川の曲がりを真っ直ぐにして流れをスムースにし、その後には小さな運河を作った。

 そのため洪水は起きなくなり、県庁や市役所が並ぶ県の中心都市に変貌したのである。工事は昭和のはじめころの話で、曲がりくねった川を直線にするため掘った土砂や、富山港から内陸に運河を作る際の土砂を埋めて平にしたのであった。

 その運河は私の近くにあり、両岸に桜が植えて有り、散歩したり観光船で桜を愛でる格好のコースになっている。まず明日からは神通川を埋めてできた松川の桜をHPトップで紹介しよう。

2023/03/25(土)


多発するUFO目撃情報
 最近、世界各地でUFOの目撃情報が報告されている。UFOは古来より地球に来ているが、これほど頻繁に目撃されるのは珍しいであろう。

 その裏には何があるか? それは恐らく今の世界情勢が危ないために、情報収集と忠告の意味で訪れるのであろう。この広大無辺な宇宙の構造と成り立ちが分かれば、その意味も理解できるであろう。

 ここに一冊の本がある。その名は「そうだったのか 宇宙人と銀河世界とこの世の超仕組み」大谷篤著(ヒカルランド刊)だ。

 大谷氏はこの宇宙の広さと人類の数をこのように話される。宇宙は中央宇宙(パラダイス)の周りに7つの銀河団があり、それぞれ70万の銀河で構成されているという。

 そして地球の属する銀河団は70万ある銀河の中で61万1121番目にできた銀河であると。普通銀河の大きさは10万光年といわれているから、その巨大性は想像できるであろうか。

 宇宙には10の400乗もの波動が存在し、天波と念波の速さは100億光年の距離を1秒間に10の83乗回往復できるという。

 それにもう一つは人類のうち、地球人のようにまだ物欲が強く理性が進化せず、戦争に明け暮れるような不良星界が1150億個もあり、反対に精神的や霊的に高度に進化した次元の違う宇宙人の星が750億個もあるという。

 その優良星界から飛んで来るのがUFOである。彼らはこの地球がどんな運命を担うか知っているのであろう。それは戦争に明け暮れ、最後は地球ごと自滅する運命である。

 事実この運命は他の銀河でも同じで、宇宙人に選ばれた地球人が彼らのUFOで次元の違う彼らの星に連れて行かれ、その進化の足跡を見せられている。

 そして必ず彼らは、この宇宙に多く存在する不良星界で、核戦争で自滅した星を見せられて、愚かな争いをやめるよう諭すのである。

 私は宇宙人に誘拐され、彼らの星に連れて行かれて、ことの真実を見せられた体験談を書いた多くの本を所有している。前にも書いたが一つは「超巨大宇宙文明の真相」ミシェル・デマルケ氏(徳間書店)や「プレアデス星訪問記」上平剛史著(たま出版)など、数十冊に及ぶ。

 彼らは何を目的にこの地球へくるのか。それは今、地球が内乱であわや核戦争にまで発展し、地球と言う天体が廃墟となる恐れがあるからだと私は思う。

 哀れなるかな。地球人類に欠けたおきな問題は霊性を持つことである。それは次元を超えた神秘の世界を与えてくれ、人を飛躍的に進化させるのである。

 ウクライナとロシアの戦争の結末や如何に!

2023/03/23(木)


WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)
 野球の国による地域別対抗戦の野球対戦で、決勝へ進む相手のメキシコ戦を見た。最初に3点をとられ、後半の7回から盛り返し、最終回は思わぬ幸運を経て決勝へ進むことになった。

 恐らく日本の野球フアンは歓喜したであろう。私もこの試合を見て日本の運の良さを痛感する。あとは明日アメリカとの対戦で世界一が決まる。

 スポーツは戦う選手も観衆も一心同体だ。久しぶりに緊迫した場面を見て興奮し嬉しくなる。私の少年時代はまだ野球は普及していなかった。山奥の山村では小さな学校の運動場で走るだけのスポーツで、冬はスキーが本番だった。

 積雪が2mを越える豪雪地帯の冬では、滑って良し、走って良しのスキーしかなく、運動会はスキー大会で、集落対抗の山村スキー大会も催された。

 私は回転競技は得意ではなく、ノルデックスキーで走りまわった。山あり谷ありのコースで、急な坂道を滑るスキーを楽しんだものである。

 以後、町の高校へ進学しクラブ活動を選択したが、最初は柔道部だったがすぐに止めてスキー部に入部した。スキー部はノルデックで夏はマラソンで足腰を鍛え、冬はスキーを滑らせた。

 冬は毎年県のスキー大会があり、私は初参加で富山県宇奈月町のスキー場で行われる予定だった。しかし前日に関西電力の発電所の修理で雪崩が発生し、数名の死者をだしたため中止となる。

 以後は就職してからである。当時は大企業が自社の健康増進のため、夏は運動会、冬はスキー大会を催し社員の楽しみとしていた。

 私はノルデックスキー種目で、地区ごとに分けてリレー式競技に参加した。急な坂を上り下る、そこには日ごろの体力勝負で、デスクワークしかしない私の勝ち目はなかった。

 そして楽しい思い出もある。それは火力発電所勤務となり、約100名の社員での文化祭や音楽祭などで、職場ごとに思考を凝らした芸を披露し、社員が皆で楽しんだ記憶である。

 その頃私は音楽に興味を持ち、管楽器のトランペットを吹いていた。そして仲間を募りブラスバンド部を結成する。会社も考慮してくれ高価な管楽器を何種類も用意してくれた。

 月日は過ぎて時代が進むと、このような遊びは次第に疎遠となり、定年になる頃には終わっていた。時代は大きく変化した。今はそんな行事で会社の社員を鼓舞する行事はない。競争が激しく、過酷な勤務も多い。私は若いころの記憶をこの「WBC」で見出すのである。

2023/03/21(火)


誕生日(6)
 ここまで私が定年になるまでの経過を書いてきた。山奥の小さな合掌造りの集落に生まれ、たった17名のクラスで勉強してきた。男はほんの7名で、私は生徒会長を勤め皆をリードしてきた。

 新学期が始まり、町から新しい先生が赴任し英語を習う。そして前から管楽器を吹く先輩が残した楽器を使い、数人で運動会の行進曲を練習した。

 先生は私の家の近くで、旅館業を行い繁盛していた。小さな運動場のそばには農業組合の事務所があり、母はその事務員をしていたのであった。

 卒業後、懐かしい我が家を離れて町に出て働く。そして少し離れた町の娘を親戚の紹介で知り、結婚したのであった。社宅住まいが長く、家を建てたのは43歳の時である。

 定年になれば総てが変わる。毎日、何をして過ごすか。その答えはなかった。それは現役時代の仕事を必要とする職場がなかったからである。

 だから20代にご縁をいただいた道徳倫理を学ぶ会に入会し、朝起きをして自分の身を正す訓練をしてきた。しかし、それに飽き足らず今度は本屋で見つけた宗教での学びを目指す。

 その宗教とは「阿含宗」という仏教で、開祖の桐山靖雄氏の書かれた本を手にして本格的に学びの道に進む。開祖は若くして人の運命を霊視され、その救いの道を仏陀の教えに見出された。

 釈迦の教えは2500年の歳月を経て、そのときの統治者により幾多の宗派に分かれて今がある。だから長い歴史の経過で、何が本当に釈迦が説いた教えであるか、判断がつきかねているのが現状であろう。

 開祖はその釈迦の悟りを深く理解され、釈迦入滅の地インドのブッタガヤで、正しい悟りを日本で普及するよう霊験を得られたのである。

 わが師は釈迦の真の悟りを「成仏法」とし、その内訳を「七科三十七道品」の修行法にわけて詳細を説かれたのである。当時は文字がなくすべては説教であった。

 わが師は最高度に進化した頭脳を持ち、人が持つ因縁(欠陥)を的確に霊視された。私も霊視していただき、肉体障害や横変死、癌、家運衰退、中途挫折、肉親相克の因縁などの欠陥を指摘されているのである。

 この運命上の因縁を切れば完全無垢の仏陀になれる。しかし長い過去世で何百回も輪廻して積んだ悪因縁は、それを消すのは不可能に近い。だけれど少しでも因縁を薄くして来世に繋ごうと決意して今がある。

 この83年間は波乱万丈の人生であった。それが今やっと落ち着いた人生になりつつある。「因縁を解脱して仏陀となる」これが私の究極の目的である。

2023/03/19(日)


誕生日(5)
 石川県七尾市は能登半島にあり、自然の良港となる土地があった。広大な用地を要する火力発電所の適地でもあり、またもやここに出力50万KWの石炭火力発電所を建設することとになったのであった。

 私は工務課の課長として赴任したが、その任務は作業員が毎日2000名を越える現場での安全管理が主な任務であった。事実、巨大な石炭積載の船が着岸する港を作るため、巨大な浚渫船が作業をしていた。

 ここでは不幸なことに作業員が、仕事中に海に転落し亡くなっていた。その人は私の部下であったA君の親戚で、すでに建設当初から犠牲者が出ていたのだった。私は一人静かに瞑想し、A君に語ることなく、仏陀の成仏法による解脱供養をしてあげた。

 そんな地であるから、これから始まる機械部門の建設のため、建設現場の全体を清める浄化法要を仲間と施行した。私の上司には話さなかったが、元請業者にはことの詳細を話し、理解を得て参加してもらった。

 死者が出るほど悲惨なことはない。恐らく亡くなられた彼の親戚の方の無念はいかがだったであろうか。私が工務課長としての最初の仕事で、仏陀の成仏法を信じる私自身の任意の使命と判断したからである。

 現場が最盛期に至り、元請が35社もあり多くの作業員が働く現場では毎月小さな事故が起きた。それは転落やはさまれなどの災害だったが、重大な案件ではなく労働基準監督署に知らせるようなものではなかった。

 現場では各所に作業小屋があり、作業員の休憩場所となっていたが、その一つが火事になり、消防車を呼んだこともあったし、地下に配管を埋設する現場で生き埋めになりそうな事故もあった。

 最大の危機は、ボイラへ送る水を浄化する純水装置を納める建屋の天井を仕上げていたときであった。高さ8mの吊り足場から若者が転落した。

 まだ18才に満たない少年労働者で、身体の各部を骨折した重傷で、死亡するのではないかと心配されたが、一命を取り留めた。この事故では労働基準法違反の大きな問題があった。

 それは11mの天井を仕上げるために簡易な足場を組む作業で、18歳以下の若者は2m以下に制限されていた。すなわち労働基準法違反である。

 労働基準局では私を呼んで、「この件は送検すますよ!」と一喝された。すなわち労働基準法違反の罪である。私は謝るしかなかった。

 所属する建設業者にはどんな罰を言われていたかしらないが、月日が過ぎてもその兆候はなかった。すなわち作業員が死亡したわけではなく、容赦していただいたのであった。

 私は毎日、この少年の全快と法違反の送検免除を神仏に祈った。そのおかげかどうか知らないが、あとで業者から少年の全快を通知され、深く神仏に感謝した。

 毎月あった軽微な災害も無事終わり、設備は試運転の段階に入った。現場で働く労働者も少なくなり、私の任務は終わりに近づいた。

 そして次の職場への移動が命じられる。それは親会社を卒後して、作業の一翼を担った関連子会社への転勤であった。ここでは電力から発注する工事の計画や予算を作成する部門で、ここで3年間を勤め、63歳で定年退職する。

 勤めた45年間はあっというまに過ぎて、私も60代の老体となる。次にはどんな生活が待っているであろうか。

2023/03/18(土)


誕生日(4)
 本社へ転勤した私は機械課の課長として、メーカーとともに設備の計画を行う。部下は6人だったが、細かいことはメーカーに任せ、巨大な設備について関係する詳細な検討を行う。

 敦賀市の現場では狭い丘を掘削し、上下2段の広大な敷地を整備していた。石炭を運ぶ船は6万トン以上の大きさがあり、その石炭を貯蔵するヤードも広大な野球場2個分以上の広さがあった。

 敷地造成は高さ50mの段差があり、海辺には貯炭場やボイラ、タービンなど主要設備が有り、上段には脱硫装置や煙突を配備した。

 この時はすでに私は阿含宗と言う宗教団体で学んでいた。それは仏陀の成仏法であり、この世に一つしかない「因縁を解脱して仏陀となる」魂の昇華を目指すものであった。

 私は工事の安全と品質の高いボイラやタービンを願った。約2年半をかけて設備の大半が仕上がり、試運転が始まった。そのときであった。

 私の部下が来て、現場の斜面を上下する煙道の基礎にヒビが入っているという。傾斜度30%、5m角の鉄製煙道を上段に導く基礎が危ないとのことで、すぐに施行するメーカーへ連絡する。

 それは急坂を上る巨大な煙道を支える基礎の重量に耐えられないからであり、基礎を下段から支える措置が必要であったのである。

 煙道の基礎が壊れれば一巻の終わり。現場は甚大な被害をける。すぐに強固な基礎を作り、下から一括して支えたのであった。

 あわや大第惨事になるところを部下に助けられた私は、すぐに神仏に感謝した。それはメーカーも同じで、早期に発見した功績は非常に多きものがあった。

 かくして建設費数百億円、総建設作業員数100万人を超す、出力50万kwの石炭発電所は完成した。そのとき私はすでに特別管理職となり、経営者の一員としての身分だったが、事あるごとに所長から指導を受けたことを覚えている。

 機器が試運転に入り、私の任務の終了したころ、今度は石川県七尾市で同じ規模の石炭火力が計画されていた。今度はその新地点で働くことになる。

 役職は安全管理を主業務とする「工務課」であった。ここではどんなことが起きたであろうか。

2023/03/16(木)


誕生日(3)
 会社は総ての電源は水力発電所で成り立っていた。しかし、日本が高度成長へ入ると当然電源が足りず、足す必要がでてきた。水力発電所の適地は少なく、かつ出力がでないので、次の電源は重油の火力発電所へと移行していた。
 
 そこで会社は富山市の草島地区に重油による火力発電所を計画した。昭和38年のことである。機械課卒の私はすぐにその建設業務に応募し、それが認められて山奥から都会への転勤が実現した。

 場所は水田を埋め立て、海岸に近い広大な敷地を造成する。そこに重油を燃料とする火力発電所を建設するのであった。ここでは私が学んだボイラやタービンなどの大型機械を駆使して、発電機を回し出力165000kwの電力を発電できた。

 私はすでに結婚していたので、建設地から近い草島地区の社宅に入居して建設業務に従事していた。勤務場所は機械課で、1号機の次は1号機と同じ2号機の建設が始まる。

 当時は安い油が主要な燃料で、硫黄成分を2〜3%も含み、亜硫酸ガスを出すため大きな公害の元となる燃料であった。日本が高度成長を果たすと、この公害が問題となる。

 世に四日市公害や阿賀野川水銀公害、九州のみなまた公害など、大きな社会問題となる。そこで3号機や4号機を増設するときは、窒素酸化物除去の脱硝装置や亜硫酸ガスを除去する脱硫装置が付けられた。

 この景気で会社は大きな利益を出し、給料も初任給が8700円だったのに、万単位の昇給を得たのであった。そして発電所の出力も大きくなり、出力は25万kwとなる。

 世は公害規制が厳しくなり、また大容量の機器を備えなければ需要に追いつかなくなるため燃料は石油から安い石炭へとシフトしてきた。

 私は富山市での火力発電所の建設を終え、次なる石炭火力の計画で本社勤務となる。そして時期が来て福井県敦賀市で出力50万kwの石炭火力の建設を計画する業務に就いた。(以下次回)

2023/03/14(火)


誕生日(2)
 入社式を終え最初の仕事は養成所勤務だった。高校の機械課を卒業したって、会社の規則や機能など仕事の内容まで分かるはずがない。それは電力マンとなって一流の社会人に育つ教育を厳しく諭された。

 そして6ケ月間の教育を受け、最初の勤務地は岐阜県の神岡町にある出力21600kwの水力発電所だった。三交代で2人が組みとなって8時間を働く。仕事は水車発電機の運転監視や、指令所からの指示に基づき出力を調整する仕事である。

 機械は数年運転すれば機械を止めて定期点検をする規則がある。ここで私はうっかり死を覚悟する行為をしでかした。それは電力を遮断したり線路に繋いだりする遮断器の点検を指示され、床下にもぐり遮断器の端子に触ろうとした時だった。

 裸電線の端子は電圧が1万1千ボルトで、触れば即死である。その理由は運転中の一号機を、点検する2号機と間違え、触ろうとしたことであった。

 手が30cmまで伸びたとき、ハ!と気付く。すぐにその場を抜け出し難なく感電から免れた。誤って触っていれば即死である。まだ入社して2年目のことで、その後自分の因縁(欠陥)を霊視していただいたわが師に会って知った「横変死の因縁」を私は持っていたのである。

 3年が経ち転勤の時期が来た。私は生家の近くにある小矢部川の小さな発電所への転勤を希望した。それは短時間で田舎の家へ行けるからであった。

 田舎の庄川は戦前から関西電力に占領され、電力の供給区域でありながら勤務できるところがない。出力は600kw。昭和の始めに出来た小さな発電所への希望が成就した。

 そしてオートバイを買い、休日には一時間程度で田舎の生家へ行き、農作業の手伝いをしたものである。ここでの勤務は2年あまり。まるで大きなモーターを回す小さな水車の施設だった。

 時代は進歩し、日本が高度成長へ入ると仕事も激変した。そして次の勤務地を選択する時期が来たのだった。

2023/03/13(月)


誕生日(1)
 今日は私の誕生日。昭和15年3月12日生まれだから、満83才の日を迎えた。日本が開戦する1年半まえで、富山県の五箇山地方の小さな集落だった。

 五箇山は江戸時代加賀藩の流刑地で、庄川渓谷に橋を付けさせず、平小屋という軽犯罪者の入る小屋と、重犯罪人が入る独房が各所にあった。

 富山県第二の大河「庄川」の渓谷に沿って小さな集落があり、城端の町まで出るには3つの峠を越えなければならなかった。

 自動車道路ができたのは戦後で、まだ木炭自動車が主流だった。木炭の火力では力がなくゆるい坂でもローギアで、やっと登れる有様で、人々はこの峠を徒歩で町に出たものである。

 生活は木炭焼きや牛を飼い子供を産ませて、それを売って生活したので貧乏な生活は今も忘れない。冬は東京へ出稼ぎで家は老人と子供が雪と格闘し、その力でやっと保てた。

 豪雪地帯で積雪が3mに達する年もあったが、合掌造りの家は雪が滑り落ちるので、軒下を空けて明かりを入れる作業の過酷さは今も忘れない。

 開戦と同時に父は徴兵され、高年齢だったので、富山市に駐屯していた。80歳の祖父に連れられ面会に行った記憶も顕在だ。叔父は満州へ徴兵され無事帰還したが、故郷に着いたら村人総出の出迎え式を催し無事を祝った。

 戦争が終わったのは私が5歳のときで、食べ盛りの時期をわずかなダイコン飯にアワやヒエなどの穀物が主流の食事は、まずく貧しかった。米は平地が少ないためわずかしか収穫できず、サツマイモやクキという塩付けの野菜がおつゆの本番だった。

 戦後が来て数年ののちに朝鮮戦争が始まる。その前から景気が良くなり、生活は少し余裕が出てきたが、これも母が農業共同組合の事務員をしていたおかげで、私は高岡市の工業高校に進学し、知人の家に下宿して卒業できた。

 3年間もあっという間に過ぎ、就職先を決める。私の故郷には関西電飾の大きな発電所が戦前から稼動し、その従業員として村人が通勤していて羽振りがよかったので、関西電力を選ぶ。

 しかし、機械科卒の私は合格すれば大阪の火力発電所勤務となると言われ、断念した。当時は縁故者がいないと受験資格がなかったので、運よく学校長の推薦で北陸電力を志願できたのであった。

 受験者36名のうち4人が合格と言う厳しい試験に合格し、希望の電力会社で生涯を過ごすことになる。以下次回。

2023/03/12(日)


桜が咲いた
 3月となり、「今月のテーマ」写真を更新するときが来た。朝妻力様からいただいた俳誌「雲の峰」の中から、私が更新する写真に合う俳句を添えているが、今回は俳誌の写真に関する作品が2点あった。

 ”はつはるの 俳誌の表紙 楽しめり”  野田千恵

 ”初刷の 俳誌の表紙 清々し”     越智千代子

 いずれも私の写真をご覧になり、その感想をいただいたものだが、私はその写真をHPの「写真のコーナー」で紹介した。

 朝妻様の俳誌は、全国的な会員からいただく作品を毎月載せられ、その俳誌も「雲の峰」と題される有名な俳誌である。

 私は自分の写真集に自作の俳句や短歌を添えて楽しんでいたが、奇異なご縁で朝妻様との交流が出来て、毎月更新する写真に会員様の作品を添えることになったものである。

 今回載せた写真は、富山県東部の「舟川」の桜で、ここは桜の開花にあわせて誇大な畑にチューリップが咲き誇る花の名所である。

 桜は早く咲き、チョーリップは遅いが、それが同時に満開になる技術が人々を楽しませる。

 毎日、日替わりで載せているHPトップの写真は氷見市の「かもめ」だが、次はこの船川の写真を少し早いが載せてみよう。

 桜とチューリップが同時に咲く舟川の桜。是非ご覧遊ばせ!

2023/03/08(水)


南海トラフ地震
 今、トルコとシリアが地震で大きな被害を出して、その後始末に苦しんでいる。5万人以上の人々が亡くなり、倒壊した家も二十数万戸に及ぶ大被害を被った。

 特にシリアが内戦で分断され、世界からの救援物資も手に入らず、その復興もいつになるか分からない。

 そんなとき、NHKでは日本が一番心配している南海トラフ地震をドラマ化し、2夜にわたって放映していたが、四国や九州、東海などの震源地に近い地区の被害は壊滅状態となろう。

 その地震も分断地震と呼ばれ、国土が二つに割れることで、その被害は大きく、起きる確率も近年中に70%から80%というから、いつ起きても不思議ではない。

 今日はそのうち北陸地方の被害情報を放映流していたが、予想では震度5弱だという。それでも貧弱な家は倒壊しよう。一番心配なのは地震よりも、地震が起きたあとの生活である。

 国土は甚大な被害を受け、無数に走る道路も分断されて生活物資が届かなくなる恐れである。スーパーには食料をはじめ生活に必要な品はすべて売り切れ、入ってこない。

 だから識者は一週間分ほどの備蓄を推奨していた。家族3人が7日間必要な品は驚くほど多い。放映された品々を見て、到底備蓄できないと思う。

 また富山では呉羽山断層が刺激されて動けば、その被害は倍加されよう。私の家はその上を走っているのだから。

 今、石川の能登半島の突端が軽微な地震を頻発している。これが大きく動けばまたもや被害が拡大されよう。ただ一つ嬉しいことは、北陸電力の原子力発電所の地下を走る何本もの断層が、動かない断層だと結論された。これで運転は保障される。

 しかし、長らくお世話になった電力会社だから大きな安堵だが、4月から電気料金が40%以上値上がりすることである。

 今、この我々が住む地球は大きな問題を抱えている。その主力は温暖化だが、ウクライナ戦争や日本のように少子高齢化など、人的問題も多い。

 ブラジルの夢予言者ジュセリーノが予言した、2043年までに地球人口の80%が死亡するとの件は本当に起きるかも知れない。

 今後益々これらの災害は増えるであろう。この懐かしい地球の運命や如何に。

2023/03/06(月)


運命を生きる
 家内の姉の長男がすい臓がんで医師から死の宣告を受けた。すい臓がんでカテゴリ4の大病で、死期はそう遠くないとの医師からの電話であったという。
 
 姉の家族は複雑だ。10年前には次男が脳卒中で死に、夫は大酒飲みでフトンの中で死んだ。今度は長男の番で、頼れる人はいない。まだ50代の独身で、好きな彼女もいるが、結婚・離婚を繰り返し、最後は一人となり、大変な死の宣告を受けたものである。

 これも一つの運命である。人は前世と来世があり、その生き死には数えきれない。なぜであろうか? それは人間として生まれ、魂を磨き進化する目的にある。

 植物や動物は集団で一つの魂を持つが、人間だけが個々の魂を持ち、幾たびの人生において魂を入れ替え、進化の道を探るのである。それは過酷なものであり、数えきれない運命の人生を生きる。

 今、ウクライナとロシアの戦争が続いているが、報道によればロシアの戦死者は7万人に及ぶと推定されている。進化の高みに到達した人間でもまだ殺し合いで死ぬ運命の人も多い。

 人に現世や来世があるというが、それを実証したのが釈迦でありわが師であった。そして具体的な例をあげて説明されたのが医師の久保征服章氏であろう。

 氏は医師であり、ピプノセラピストである。それは前世を見てその前世から引き継いだ人の、人生を好転させる奇蹟の療法で多くの患者を救われてきた。

 人は魂の進化を目的としてこの世に輪廻することを、多くの例によって証明され、治療された記録は、「魂の黄金法則」(あなたの人生を好転させる積善の秘密)たま出版社から発売されている。

 また副題として「3000人の前世療法から医師が導きだしたあなたの人生を変える”魂のゴールデンルール」とあれば、およその察しはできるであろう。

 人や家族がどんな運命を背負ってこの世で生きて死ぬか。それはこの本から克明に説明できるであろう。初版は2020年11月30日に発行されているが、是非手もとに起きたい一冊の名著である。

 病気や死は万物に与えられた運命である。この短い人生から何を学ぶか、それは先駆者の智慧を借りるのも一つの方法であろう。

2023/03/03(金)


現形(げぎょう)bQ
 27日は京都の「あごんの星まつり」で、護摩壇の炎が慈母観音様になった写真をHPに載せた。このような写真はほかにもあり、次は私の故郷である越中五箇山で加賀藩の流刑者を供養したときの写真を紹介しよう。

 越中五箇山は加賀藩の流刑地が有名である。寛文7年(1667年)、金沢藩士中村吉十郎等が祖山に流されたのが始まりで、その後決定的に藩の流刑地となったのは元禄3年(1690年)からだという。

 加賀藩は流刑者の逃亡を防ぐために、庄川に橋をかけさせず「籠の渡し」しか許さなかった。流刑者が住居する小屋には、軽犯罪者の入る平小屋と重犯罪者が入る独房の御縮小屋があった。

 五箇山へ流された罪人は159人で、明治維新までの流刑者は200人に近いと言われている。先に述べた中村吉十朗は57年間も流刑されて死に、舌を噛み切って死んだ重犯罪人や脱獄しようとして処刑された犯罪者も多い。

 さて、この流刑地に加賀藩の「おさよ」という遊女がいた。おさよは人買いの甘い口車に乗って、金沢の曖昧屋であった「いずみや長右エ門」へ身売りされる。長右エ門は加賀藩士「高崎半九朗」等とぐるになってか弱い遊女を酷使してあくどい金儲けをしていた。

 それが藩の知るところとなり、五箇山へ流罪となり、おさよは能登の輪島へ流された。しかし、生まれ故郷だと意味がないので、改めて五箇山へ流されたのであった。

 数多くある流刑場所のうち、おさよは五箇山の小原地区で、私の家から近かった。おさよは美人で歌や踊りがうまく、監獄は平小屋という開放された一軒屋で軽犯罪者が入る牢屋であった。流刑者は村人との交流も深く、「おさよ」が残した歌は「おさよ節」となり、今も歌い継がれている。

 牢屋は出入りが自由で、ここで牢番の吉間と恋に陥る。毎晩二人のデートが続き、おさよは妊娠し、叶わぬ前途を悲観して庄川に身投げして一生を終えた。

 簡単に記したが、その流刑地で「おさよ」をはじめ、多くの流刑者を供養するために私と仲間は、牢獄のあった地でお護摩を焚き、流刑者の無念を晴らす法要を行った。

 そのとき現れたのがおさよの遺影であった。護摩の炎が踊る「おさよ」となって現れたのである。恐らくその供養に感謝の意を表すために姿を見せてくれたのであろう。

 明日は、お護摩の火に「おさよ」が現れた(現形写真)をHPトップで紹介しよう。

2023/03/01(水)

My Diary Version 1.21
Written by 中村邦夫 CGI提供じゃわ