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風景写真よもやま話

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今年最後の一日
 今年の1年は早かった。3月に80歳となり、今は年末の大晦日。今日は今年最後の風呂に入り、一年を振り返る。今年の出来事は何と言ってもコロナ禍であろう。

 今日の報道では世界で8270万人、死者も180万人となった。この日本の感染者も今日は初の4千5百人台に突入し、正月が過ぎれば驚くような人数の感染が報告されるであろう。

 定年退職した私は、このコロナ禍で家に引きこもりぎみである。だが勤めている人はそうは行かないであろう。特に失業した人は悲惨である。

 すでに8万人もの人が職を失い、路頭に迷っている。家族を抱え、収入がなければどうして生きてゆくか、その心配は余りある。私は年金生活で収入の心配はないが、少しでも助けられるように少額を寄付してきた。

 昨日書いた豪雪の心配も、明日が山だと言う。どうか屋根の雪降しだけはごめん被りたいが、それは天のみが知る。

 今、NHKの紅白歌合戦を見ている。無観客の舞台で華麗な歌を披露しているが、せめてこの歌でも聴きながら今年を振り返ってみよう。

 私はこのHPに、茨木市にお住まいの朝妻力氏が主宰される全国的な俳誌「雲の峰」をいただき、毎月更新する「今月のテーマ」で会員が詠まれる俳句の中から、写真にあう歌を添えている。

 令和3年の1月に更新する今月のテーマに沿えた歌を紹介しよう。

 ”あと3年 生くるつもりの 日記買ふ” 井上妙子
 ”自分史に 一浪も有り 冬桜”     深川隆正

 私はこの句を読んで、在りし日の自分を思い出す。その記録はこのサイトの「風景写真よもやま話」である。よもやま話には私の日常で起きた記録が詳細に記されている。

 すでにこのHPを始めて20数年が過ぎた。その間の出来事は総てこの日記に書かれているのである。しかし、私が死ねばこのサイトは消滅しよう。

 嫁いだ娘が作ってくれた「私の風景写真」は、私の良き思い出となり老後の楽しみとなってきた。写真を趣味とする私は、これ以上の幸せはないであろう。

 今年一年ありがとう。このサイトをご覧いただく諸兄の皆さんにも深くお礼を申し上げたい。どうか来る年も良き年でありますようにと。

2020/12/31(木)


豪雪がやってくる!
 今日は冷たい雨が降っていたが、今年最後の買い物に家内とスーパーへ出かける。買い物客が多く、店は混んでいた。昨日も相当買ったので、今日は買い残したものだけを買う。

 これで新年の元旦を迎えられる。しかし、天気が急変し、午後3時ころから暴風雨に変わった。強い風が吹き、雪が舞う。予報では近年でも稀な寒波で、大雪が予想されるという。

 風雪は田舎の生活で十分経験済みだが、もし50cm以上の雪が降り屋根の雪を降ろさねばならなくなたらどうしよう。近年は暖冬で屋根に登ったことはない。

 雪の降り方を見ながら空想する。富山市で家を新築した当初、何度も屋根の雪を降ろしに登った。あのころはまだ若く40代であったが、今や80歳、果たして雪を降ろせるであろうか。

 私の町内も高齢化で屋根に登れる人は限られている。空き家も多く1mに達すれば降ろさねばならない。そして降ろすときに困難なのは雪の捨て場である。

 家は敷地一杯に建てられている場合が多く、雪の降ろし場がないのである。私の場合は雪を降ろす場所があり、降ろした雪の始末に不安はない。

 唯一助かるのが道路である。家の前の道路は融雪装置が稼動し、降ればすぐに地下水で解かされる。私は老境となり、昔は何ともなかった雪降しが苦痛になるときが来た。

 自然の現象であるから文句は言えないが、せめて雪下ろしの限界で止んでほしものである。

2020/12/30(水)


UFO・異星人図鑑
 年末となり家にいても暇なので、家内と遠くの書店へ行く。普段は車で行くが、今日はジョギングを兼ねて歩いて向かう。約2kmの道を歩いて大きな書店へ着いた。

 目的は私の興味を満たしてくれるUFOや異星人など、地球の未来を暗示する書籍である。特設コーナーで探すと「超極秘 UFO・異星人図鑑」gakken (並木伸一郎著) が見つかった。600円の安い本で、少し中身を見て買うことにする。

 時代は進歩し、UFOや異星人などを信じない人はいないであろう。本ではふんだんに写真や図解が添えられ、現代の世相を反映した本だった。

 UFOや異星人で有名なのがアメリカのロズウエル事件であるが、日本でも青森県のりんご農家である木村秋則氏が有名である。木村さんは平凡なりんご農家の人であったが、ある日宇宙人に誘拐され彼らのUFOに乗せられる。

 その様子は「木村さんのリンゴ奇跡のひみつ」小原田泰久著 gakken に詳しいが、りんご栽培を無肥料、無農薬で作られた素朴な人の話は真実である。私は小さい時からUFOや宇宙人に興味があり、多くの本を集めてきた。

 この地球人の歴史は宇宙の歴史である。それは宇宙人を知らずに語れない真実がこめられている。地球から400光年離れたおうし座のプレアデス星人はこのように言う。

 平和と調和を重んじる彼らは地球の未来を案じ、「進化の終焉」を迎えていると話す。彼らは政治家や著名人など、直接的に前面に現れ多くを説得しない。それは宇宙の法則として禁止されているからだ。

 だから間接的には多くの宇宙の同胞たちが、核兵器を開発した人類を助けようと頑張ってくれている。アメリカはすでに最終兵器の原子爆弾を日本に落とした。

 まずこの現実を理解することから始めなければならないであろう。

2020/12/29(火)


新型コロナの脅威
 新型コロナの感染者が8000万人を越え、死者も172万人に達したという。まだ終息の兆候もなく、おまけに遺伝子が変化した新種のウイルスが世界21カ国で発見されている。

 わが国でもイギリスから来日した人の感染が確認され、この先益々厳しい対応が待っている。go-toトラベルも明日から中止になり、関係する飲食店や旅館、旅行会社にも大きな犠牲が予想される。

 この新型コロナは「破滅のカルマ」である。ワクチンによる感染防止が期待されるがまだ先のことで、どれだけ犠牲者がでるか分からない。

 人類は過去、幾たびもこの感染症で苦しんできた。それは未知のウイルスによるもので、医療が進んだ現代でも終息には長い年月が必要となろう。

 今日のテレビ放映でも、新型コロナに感染し、陰性となったのに後遺症が激しく、生活に支障をきたす例が多く報道されているという。おまけに鳥インフルエンザが流行し、数百万羽の鶏が処分された。

 破滅のカルマを解消することは極めて困難である。それは長い人類史を経て成した負の遺産によるものであり、創造主、すなわち天からの采配である。

 私はこのカルマから逃れるため、仏陀の成仏法により修法された初護摩札で家族の感染皆無を祈願してきた。初護摩札は一年の災いから逃れるために仏陀の法力をいただくお札で、霊験新たかなものである。

 人は長い輪廻のすえに、自分の運命を左右する負の因縁(カルマ)を持って生まれる。その因縁は多岐にわたるが、その因縁を作るのはむさぼりや怒り、愚痴に因果の理法をわきまえない心に起因する。

 わが師は、人が持つ多種の因縁を霊視され、その因縁を解消すべく仏陀の教えと修行を勧められた。私もその趣旨に添い、40年近く修行してきた。

 それは人が持つあらゆるカルマ(因縁)を切り、二度とこの世に生を受けない聖者を目指すものである。人は因縁がある限り何度も輪廻してこの世で学ぶのである。

 それはこの地球だけとは限らない。聖者となればしかるべき星に生を受け、更なる高みを目指すのである。私の元には以前に地球外の星で活動し、そのノウハウを持って地球人を啓蒙する役を得た人の著書も多く持っている。

 宇宙の法則として、進化した宇宙人が直接地球人を指導できないため、地球人となり進化の方法を諭す。その例は地球先史文明研究家の浅川嘉富氏の著書に詳しく記載されている。

 地球人類の霊魂はまだ幼稚な進化の段階にある。その行く先を知り、わが身を聖者に導く仏道修行を私は選択したのである。

2020/12/28(月)


フリーエネルギー
 今、地球を覆う二酸化炭素が問題となっている。それは地球をガスで満たし環境を破壊し、温暖化の加速を促す厄介な代物だからである。

 地球のエネルギーは現在、ガスや石炭に石油など天然資源に大きく依存していて、この燃料から有害なガスが出るため、各国が競ってガスをゼロに削減する年代を発表している。

 しかし、その代替エネルギーは、風力や太陽熱などの自然エネルギーや原子力などで賄うしかない。ヨーロッパでは海上での風力発電が盛んであり、日本でもそれに追随する案が出ている。

 しかし、自然エネルギーは気まぐれで、欲しいときだけ供給してくれるものではない。原子力も東日本大震災で経験したように、災害や事故で思わぬ災厄を招くかも知れない。

 そこで思うのはかのニコラ・テスラが開発しようとした「フリー・エネルギー」である。1800年代に活躍したテスラはエジソンをはるかに上回る才能を発揮し、文明に大きく貢献してくれた。

 交流発電や長距離無線通信など画期的な発明が多く、特にエネルギー分野での活躍が多い。その最終的な取り組が成されたれたが、残念ながらエネルギーを我が物とする闇の勢力に拒否された。

 手元にある「秘密の告発 ニコラ・テスラ」ニコラ・テスラ著 (宮元寿代訳)「成甲書房」の解説にはこのように記してある。

 テスラは1912年にエジソンとともに、ノーベル賞候補とされたが、エジソンとは比較にならない桁外れな器の発明家であった。かれの「世界システム」の構想では、地球そのものの電気振動と共振(共鳴)して、膨大なエネルギーをほとんど無料で、しかも無限に得ることができるフリーエネルギーであった。

 まさに革命的な構想であったが、あまりにも確信的でありすぎ、当然ながらそれまでエネルギー供給を独占していた企業(ロックフェラー配下のスタンダード石油)やアメリカ合衆国の国益と正面から対立することになる。それこそが、テスラの名が科学史上から抹殺された理由であると結んでいる。

 これからの地球はエネルギー問題が主たる難題となろう。二酸化炭素の増加は地球温暖化を加速させる。それは温暖化による気候変動と災害の増加である。

 天然資源に頼る地球の運命は、もう遅いかもしれない。

2020/12/27(日)


豪雪地帯を生きる
 久しぶりに中学の同級生M君から電話があった。M君は中学を卒業して三重県に職を求め現在に至る。彼は私の生家とは遠く、大きな庄川の反対側の小さな集落で生まれた。

 そのM君が11月の中ごろ、故郷の越中五箇山の生家に帰省してきたという。そして各地の集落に住む同級生を訪ね、親しく話をしてきたと語る。

 同級生は17人、そのうち山に残ったのは4人で1人の女性が若くして亡くなった。私も故郷に行きお墓参りをしてきたが、一人も訪ねていない。

 私は先日の豪雪を思い出し彼に尋ねた。「今頃は五箇山も深い雪に囲まれ、雪下ろしが大変だろうな!」というと彼は意外な返事をした。

 それは屋根の雪降しはしないで、ほぼ総ての家が融雪装置を使い、屋根に登らないという。それは山水をボイラーで暖め、屋根にくみ上げて流し溶かすのであると。

 私の子供時代は、冬の作業は屋根の雪降しが毎日の仕事だった。一晩で1mも降ることがあり、大きな屋根の雪は一日中かかりスコップで降ろす。

 どの家も大型で100坪近い家が多かった。それは2階を養蚕に使うためで、2階は居住ではなく蚕の飼育場だった。深い雪を降ろしても軒下に溜まった雪を透かすのが一番の労力を要する。

 そして60年が過ぎて田舎は過疎化が進む。80歳の齢では屋根に登るのも一苦労であり、この融雪装置が普及したものであろう。だがその灯油代も大変で、一冬で10万円近くかかるという。

 今年の大晦日から元日の正月にかけて今冬一番の寒波が襲来するという。この北陸地方も大雪になるかもしれないが、山沿いは昔のような深い雪に閉じ込められよう。

 田舎の家はすでに解体してないが、空き家も多いし高齢で死亡する人も多く過疎化が急速に進む。

 この先、どんな世界が待っているか、寒い冬を過ごす老人の姿が見えるようだ。

2020/12/26(土)


大事な落し物
 今日は正午に学童たちが下校する日だった。2学期が終わり終業式を終えての帰宅である。私は班長から頼まれて、町内に入る交差点で学童の交通整理をする。

 現場にでかけようと家を出ると、2軒隣の小学2年生の女の子が来た。すでに交差点を抜けて帰宅寸前だったが、私を見ると手に持った財布のようなものを渡して言う。

 「公園にこんなものが落ちていたよ。」と小さな定期入れを渡してくれた。誰かが落としたもので、私はそれを受け取り、拾った現場を案内してもらう。

 定期入れは公園の花壇の隅にあったという。こんな小さいものをよく見つけたものだが、私は交通整理のリーダーに事情を言って渡した。

 リーダーは町内の学童を総て知っている方で、定期券を見ながら誰のものかを調べる。名前が分かり、その家を探すため自分の家に帰り住所と位置を調べられた。

 そして自転車で駆けつけたが留守で会えない。定期券は町内の駅からのもので、1年間有効の5万円の定期券だった。予想するとこの生徒は電車通学の中学生であることが分かり、その学校へ電話された。

 案の定、生徒が特定でき本人確認ができた。あとは渡すのみ。私は拾った生徒の親にお礼が言いたくて、自宅を訪ねる。親もびっくりされ、喜ばれた。

 この日本は親切で礼儀が正しい。外国人が驚くのは落し物を決してネコババしないことだ。ことに金銭では必ず交番に届ける。

 私も十年前に富山市の繁華街で後ろの女性から突然3万円の現金を差し出され、「あんた! これ落としただろう!」と言われる。私は心当たりがなかったが断れず、一応受け取り交番に届けた。

 3ケ月が過ぎ、持ち主の届出がないため私のものになったが、慈善団体のへ寄付にまわし、これも理解に苦しむ出来事であった。

 この世は善意で成り立つ。それは世のため人のためと思う心がそうさせるのであろうか。例えば東日本大震災で町が壊滅し、大きな被害をだしても略奪一つ起きなかった。恐らく外国ではそうはいかないであろう。

 新聞紙上では詐欺や強盗、殺人や略奪などの犯罪が消えた日はないが、善意あふれる人々も多いのが現実である。願わくばこの世が浄土と化すべく、お互いが仲良く人のお役に立ちたいものである。

2020/12/24(木)


コロナウイルス
 新型コロナ禍で世界が混乱している。イギリスでは変異したウイルスが猛威を奮い、感染が加速しているという。日本はまだ世界と比べたら感染の度合いは少ないが、職を失った人は多い。

 特に非正規で働く人やパートなど、すでに8万人近くの人が職を失った。テレビの情報を見ても、その困窮ぶりは悲惨なものである。

 当然援助の手は届けられるが、それがいつまで続くかである。昔は駅の地下道でたむろするホームレスが何人もいた。通路の隅をダンボールで仕切り、夜はここで眠る。

 それは年老いた老人で、寒さは軽減されても食事はどうして得ていたのであろうか。その姿は駅の規則で排除された。その後どのような生活をしているかが気にかかる。

 コロナ禍は小学生や中学、高校生により厳しい災いをもたらす。それは自殺である。自ら命を絶つことは宇宙の法則で禁止されているが、生きることに絶えられなくなり最後の手段を選ぶのである。

 この場合は死後に大きな苦痛が待っている。人はこの世であらゆる艱難辛苦や喜怒哀楽を学び、そして人の魂を成長させるために生を受ける。だがそれに反してまた振り出しに戻ることになり、より厳しい罰を受ける。

 人は魂が本体であるから、肉体を失えば学ぶことができない。その苦しさは子孫にも影響を与え、大きな苦痛を与える元となるのである。

 成仏とは総ての悪因縁を切り、次なる次元へ到達することを言う。その行く先は輪廻の輪が切れ、この苦しみと悲しみの世を卒業する境涯になることである。

 この世で成仏できず大きな苦痛を伴って亡くなった霊は、速やかに供養をしてやらねばならない。それが釈迦が説いた成仏法である。

 釈迦は人々の進化について心の持ち方と行動、霊的な分野を説かれた。そして死後に幽界で苦しむ霊を救う悟りを残された。このコロナウイルスによる死も成仏できない霊体である。

 私は悲惨な病気や怪我、自殺や災害、事故などで亡くなった親戚縁者を成仏させるために、わが師にお願いして多くの供養をさせていただいた。それは死者を成仏させるとともに、我が家を霊的に清めるためである。

 アメリカではすでに32万人が亡くなった。日本でも3千人が亡くなり供養の日を待っている。このコロナ禍は来年もまだ猛威を奮うであろう。

 終息に向かって早くワクチンの普及が待たれる、今日この頃である。

2020/12/23(水)


保険証がない!
 家内が病院へ行くのに保険証が見当たらないという。居間の本棚やタンス、鏡台など心当たりの場所を探すが、一日中見当たらなかった。

 私は再発行しなければならないと考え、近くの地区センターへ電話する。再発行には届出が必要で、地区センターで記入して一週間ほど待てば本庁から郵送されてくるという。

 しかたなく覚悟を決めたが、最近家内の記憶力が減退し軽い認知症のようである。いつも物がないと騒ぎ、少し待つと思わぬところから出てくる。

 私はたまらず神仏に護摩木で早く見つかるよう祈願する。護摩木は願望を書くものと供養するもので2本、対になっており、家内の保険証が早く見つかりますようにと書き込む。

 家内はしかたなく保険証なしで病院へ行った。まだ帰ってこないが、私はたまらず置き場所を探す。と言うのは私にひらめいた場所があるからだ。

 日ごろ家内のものはどこに仕舞うか見ているわけではないが、インスピレーションで寝室にあるタンスの上の戸棚を開けたものである。すると一通の封書が目にとまった。

 それは高齢者が無料で受けるインフルエンザのワクチン注射の案内状だった。すでに注射を済ませているが、念ための中身を調べて見る。

 するとケースに入った柿色のカードが出てきた。 ”あった!”これが家内の保険証である。私の直感が当たり、あまりにも早く直感で見つけたことを神仏のおかげと礼拝する。

 家内は77歳、私より3歳年下だが、記憶力は格段に低い。それに末梢神経が悪くなり、右手がしびれて痛いと言う。そのためか2日おきに整形外科へ通うが、家事の水洗いがきつく、食後の茶碗などは私が洗うことになった。

 私は体力にはまだ自信があるが、家内が先に不都合になれば私の負担となる。高齢化は待ったなしだ。これからが人生の勝負となろう。

2020/12/21(月)


豪雪
 新潟や長野が豪雪で高速道路が麻痺し、2000台もの車が雪に埋まった。今は全車が脱出したが、まだ交通止めが続いているという。

 最近は暖冬が続きあまり雪は降らないが、異常気象はどこでいつ起きるか分からない。この雪に埋もれた家や車を見て、幼い頃の故郷を思い出す。

 越中五箇山は昔から豪雪地帯として知られていた。毎年最高積雪は3m近くになり、そのために合掌造りと言う家屋が考案されたものであろう。

 私も中学3年生までこの合掌造りの家で生活していた。父が出稼ぎで東京に行き、家を守るのは私であった。一番苦労したのは雪が滑って落ちた軒下の始末である。

 雪が屋根まで積もり、明かりをとるために落ちた雪を透かす。小さなスコップでは相当の時間がかかった。だから家が暗く洞窟のような生活だった。

 今はそれほど雪は降らない。せいぜい1.5mを越える程度であろうが、除雪機械が進歩し、国道はすぐに除雪される。
  
 寒い冬を過ごすには木炭によるコタツである。正月には親戚の家に一夜を預けご馳走をいただく。そしてコタツに足を入れて寝るのであるが、一度死に掛けた記憶がある。

 フトンをかぶり寝ていたが、深夜に目が覚め頭が痛い。その痛さは相当のものだったが、その理由は分からなかった。今思えばそれは一酸化炭素中毒であった。途中で目覚めなければ今はこの世にいなかったであろう。

 また寒い冬で思い出すのは食事である。生鮮食料がなく、新鮮な魚や肉は食べたことがなかった。それは秋に漬けこんだ「クキ」と呼ぶ白菜をおつゆとし、サツマイモやサトイモなどの野菜で、毎日同じメニューである。

 寒さもひとしおで、朝の気温はー10度が普通であった。暖房はなく、コタツに潜りこむだけ。その寒さは今も脳裏から消えない。

 だが遊びもあった。それはスキーである。毎年学校の近くでスキー大会が開かれ、各地から集まった選手との競技は大いに盛り上がった。

 私もノルデックスキーをやり、選手として活躍した。もう一つ。それは夏に畑を荒らす野うさぎを捕獲することである。細い針金を輪にし親線に吊るしてウサギの通り道に仕掛ける。

 朝確認にゆくと、首を輪に入れ窒息死しているのである。この仕掛けには山鳥も捕獲できた。山の畑を荒らす野うさぎは害獣とされ、捕獲して耳を2個役場に持ってゆけば200円がもらえた冬の時代であった。

 思い出は尽きないが、あれから70年。今はそんな遊びをする若者はいない。少子高齢化は加速度をつけて進み、いずれは限界集落となろう。

 なつかしい田舎も今は積雪1mを越えているであろう。家は解体してないが、思い出はあふれるように出てくるのである。

2020/12/19(土)


所さん、大変ですよ!
 昨夜のNHKでは定例番組の「所さん、大変ですよ!」で、多様化する葬儀と供養」を放映していた。ご覧になった方も多いと思うが、最近は葬儀や供養の形式が多様化し、昔の面影は薄れた。

 今はコロナ禍で死亡すれば、家族さえ面会できないであろう。昔は親戚縁者が多数参列し莫大な費用を要したが、今は簡素な家族葬が普及して静かな葬儀が多くなった。

 また遺骨の埋葬も多様化し、必ずしもお墓を建てない人も多い。驚くのは遺骨を粉砕してダイヤモンドにして、往時を偲ぶ例もあるという。ダイヤモンドは、地中深くマグマに圧縮された炭素が凝縮して光輝くダイヤになるものだが、その製造が可能となり大金を出せばダイヤとなり、それを身に着けて供養する方法もあるという。

 火葬すれば遺骨の処置は千差万別だ。普通はお墓に入るが、海に流したり極端なのは散骨どころかロケットで宇宙に旅立つ例もあるという。

 私は散骨には反対だ。それは人の本体は霊魂だからである。霊魂は目には見えないが、その人の本質であり、人がこの世で多くの体験をして学び、次なる次元へ向かうための学び舎として生まれてきたからである。

 これを輪廻転生という。この世で喜怒哀楽や四苦八苦を経験し、次なる境涯を目指す。それは一度や二度で学びきれないから、あらゆる境涯や男女の別、人種などになり足りない点を補う学びである。

 そして学び尽くせば霊格が上がり、二度とこの苦しみと悲しみの世に転生しない魂の昇華となる。これが釈迦が説いた人の人生である。

 そして人は限りない輪廻において、霊体だけでこの世に来る場合があるとわが師は話される。その居場所がお墓である。お墓は魂の居場所であり、供養を受ける究極の住処である。

 私は大阪柏原市に建立された大阪柏原聖地霊園に、神仏両界の供養で建立されたお墓を持っている。そしてそのお墓のレプリカをいただき、自分が写したお墓の写真と共に毎日先祖の供養を欠かさない。

 海への散骨や宇宙へ旅立てばこのような供養はできない。過去の自分だと認識できる整骨があって、初めて往時を偲び供養ができるのである。

 私の死後もこのお墓に入ろう。ここは家族が供養できなくても、お墓を管理する教団の僧侶により、お盆や彼岸に仏陀の成仏法により供養していただける。

 私の死生観はこのようなものである。

2020/12/18(金)


傘寿(さんじゅ)
 今年の重大ニュースを書いていて思う。そのトップが私の年齢だった。今年の3月で私は満80歳の傘寿となった。だがこの80と言う齢がうまく理解できないのだ。

 私の子供のころは男性の平均寿命が60代程度だったが、今では81歳だという。この70年で20歳以上伸びたことになる。そして今日は正月の小遣いを、口座から引き落としに銀行へ行く。

 車は息子が使うので、約1kmの道を歩いて行くことにした。2日前から雪が降り、道路にはないものの歩道は雪を踏みながら歩く。

 ところがその道の長いこと長いこと。家へ帰ったときは足が痛くなるほどだった。おまけにげた箱から出したブーツに穴が空き、水がしみ込んできた。

 家へ着き、暖かい居間でくつろぐ。そして一句を詠んだ。

 ”師走来る 足腰弱り 息荒く いつまで持つか わが齢を知る”

 80歳の傘寿となり、また新しい年を迎える。今のところ健康には自信があるが、それは天のみぞ知る。こうして毎日、日記を書ける身を感謝しつつ、自らの年齢を省みる。

 老いて天命を待つ。その行く先はシュダオンの聖者を目指すが、果たしてどんな世界が待っているであろうか。

2020/12/17(木)


便秘
 最近便の出方が悪く、薬を飲む機会が増えた。老人になればこの傾向が大きいというが、今日のテレビで便秘の元は様式便座が普及してから増えたもので、座ると肛門の前にある直腸が閉められ、出にくくなるのだという。

 そのために和式便所を残す学校もあり、誰が座ったか分からない共同の便座に座る抵抗感があるのも理由であるという。

 しかし洋式便座は快適である。座れば用を足せるし、清潔感も抜群である。私の便秘は数年前からであるが、洋式便座が関係しているとは知らなかった。

 用便は一日に1回が普通であるが、2,3日も出ないときがある。そのときはお腹が重く不快な気持ちが強い。すぐに便秘薬を飲むのだが、大きく気張ってやっと出る場合もある。

 昔、老婆の便が出なく、肛門から器具でほじり出したケースも聞いた。最終的な例は手術で腸を切開して出すのだそうだが、そんなことになればたまったものではない。

 以前の例では3日分を出したが、便器に詰まり流れなくなった。それは太く大きいもので、便器に引っかかって流れないのであった。

 しかたなく箸でつまんで外に埋めた記憶がある。詰まった便が総てスムースに出るとき大きな快感を覚えるが、今日はつまらない話しでごめんなさい。

 毎日が便秘で気をつけているが、ここに一つの方法がある。それはテレビで見た腸をスッキリさせる方法である。その主役は”ごぼう”である。

 ごぼうは食物繊維のイヌリンとポリフェノールのクロロケン酸ですっきりと通じが改善できるとする。今日の新聞でも広告が出ていたが、私は今ごぼう茶を毎日飲んでいる。

 おかげで以前のように苦しむことはなくなったが、平凡な暮らしをしているとこんな話題しかない日もあり、これが私の人生である。

2020/12/16(水)


私の重大ニュース
 今年もあと半月、コロナ禍で世界が震撼し、人類の行く先が不透明な世が到来した。私は毎年恒例である今年1年の出来事を、重大ニュースとして記録に残そう。

1.令和2年3月12日を持って、私は傘寿の満80歳になった。80年の歴史は時々の日記に書いてきたが、まだこの日記が書けるように元気で暮らしている。

2.マイカーが中古の軽四だったのを、息子の都合で新車に替えた。スズキのワゴンRでハイブリッド車であり、燃費は公証の25km/ℓに近い。

3.家の上を走る送電線が地役権を得るために、電力会社が交渉にきた。それは送電線の下に高いものや危険物を設置できないよう規制するものである。それ相当の補償金をもらえる。

4.近くに陶板浴というサウナがあり、ここで50℃の岩風呂を浴びて免疫力を高める。体温を上げるためだが、私の体温は約37℃で1℃上昇すると免疫力は6倍になるという。

5.企業年金が減額された。老後は年金が頼りだが、今後は年収が減り、節約した生活を余儀なくされる。

6.私のパソコンは30年来使った富士通のウインドウズXPだったが、プリンターが機能しなくなり破棄すると同時にウインドウズ10に替えた。私は知識がなくすべては娘が手配してくれた。

7.運転免許が来年4月で切れる。免許センターから通知が来て、予備段階の認知症検査や運転技術の講習を受ける。ちょうど認知症検査の実技本が発売されたので、それを買い暗記したら同じ問題が出て難なく合格する。車の運転は今回の取得で終わりとしよう。

8.故郷には先祖伝来の宅地や山林があるが、南砺市がGPSで正確な地図を作り、課税の対象範囲が大きく膨らんだ。特に更地となった宅地は50%ほど増えた。昔の登記は家の敷地だけで、いい加減なものであったことを知る。

9.中国製の安い自転車を廃品にし、ブリジストン製の自転車を買う。いろんな機能がついて4万を越えた。だが変速できるし頑丈で軽い。畑への通勤車とする。

10.目の視力が落ち、運転免許の取得には眼鏡が必要となる。私は40年前から乱視で眼鏡を用意していたが、使用したことはなかった。だが、眼鏡屋で視力が1まで伸びたレンズを買う。2万円。

 以上、まだまだあるが、今年1年元気で過ごせたことを神仏に感謝しよう。

2020/12/15(火)


人類の狂気
 昨夜のNHK-BSで放映された映像の世紀では、人類の狂気としてドイツのナチス軍団を放映していた。人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではない。

 その中でも第二次世界大戦の惨状は、日本も含め世界が破滅にいたるような大戦争であった。これは人類のカルマである。人は豊かな生活を求め、特に権力や名誉、富を求める。

 その典型的な姿がナチスのヒットラーであった。それは自分に反する人々を簡単に殺し、特にユダヤ民族を全滅させようと目論む心は理解に苦しむ。

 映像の世紀では、ヒットラーの誕生から死に至るまで、時の政局がどんな経路をたどったかを詳細に放映していた。その映像を見て権力を持つ者が如何に簡単に人を殺せるものだと愕然とする。

 私は約35年前にわが師にご縁を頂き、仏道修行による自分の悪しきカルマの解消に努めてきた。その基本は三毒と言って、むさぼり、怒り、愚痴や因縁因果の理法をないがしろにする悪業である。

 仏道修行では、まずこの三つの因縁を切る修行から始める。それは総ての悪因の元となる心の因縁であるからである。創造主はなぜこんな人類を創造されたのであろうか。

 それはあらゆる悪業の元を知らねば、神仏のような境涯に達することができないためである。だから人々はこの悲しみと苦しみの星、地球で多くを学び次元を上げる。

 それは創造主が仕組まれた人類進化のシステムであろうか。だが、そのシステムを知らねば、自分が何を学ぶのかが分からないであろう。釈迦は因縁(カルマ)を解脱して仏陀となる道を説かれた。それはあらゆる悪業を切り、聖者の段階を目指すものである。

 人はそのため長い輪廻の道を歩みながら学び、次元を上げて二度とこの世に輪廻しない境涯を目指すものである。その目的地にいたるには段階があり、まずはシュダオンという聖者を目指す。シュダオンの聖者は7回の輪廻で仏界に到達し二度とこの世に輪廻しない。

 次はシダゴンの聖者で3回の輪廻、そしてアラカンの聖者では輪廻を卒業して、最終のアルハットの聖者では仏陀となる。

 私はまだ初歩的な段階であり、次はどんな分野を学びにどこでそんな人に生まれるか分からない。それは総て創造主の采配である。

 この地球で何を学ぶか、それはその人に課せられた課題を知ることであろう。

2020/12/13(日)


冬支度
 今日は寒さも一段落し、来週は初雪になるというので庭木の剪定をすることにした。サルスベリの木はすでに剪定したが、ムクゲの木が残っている。

 小さな枝を切り、新しい目を出す枝にそろえ、来年の夏が楽しみで剪定を急ぐ。私は庭木が好きで家の前には1台入りの車庫を作り、空いたスペースは庭木をびっしりと植えて庭園とした。

 だが、今は新築する家は庭木を植えない。それは一面にコンクリートとし、数台も入る広い車庫にするためである。しかし、高齢となり剪定も体力を必要とするので、先が不安になる。

 特に門かぶりの松は大きくなり、いつかは切らねばならなくなるだろう。家を建てて約40年。田舎育ちの私は山林が好きで、大きな庭石を据え、松など木々を植えて楽しんできた。

 その木々の剪定も苦痛になり、いつかは職人に任せねばならなくなるであろう。松ノ木は形を作るために職人に一度剪定してもらったが、4万円も要求されて以後自分で行っている。

 田舎の家は裏がブナの天然林で、前を小川が流れる最高の環境にあった。冬は野うさぎをワナで捕まえ、春は母に連れられ山菜を採りに深い山に入った。

 夏は富山県第二の庄川の激流を泳ぎ、秋は裏山に登り栗やクルミ、山梨などの果物を採った。そして裏に樹齢数百年の栃の木があり、その実を拾い栃餅として冬の保存食とした。

 有り余る田舎の思い出を表現したのが、我が家の庭であった。あとの人生は、益々剪定などの労働が苦痛となるであろう。幼い頃からの思い出をこめた我が家は、冬こもりの準備も完成した。

 あとは何もすることがなく、コロナ禍でテレビと友達になるだけであろうか。

2020/12/11(金)


コロナに勝つ!
 今日は仲間と富山市でも有名な神社で、コロナの終息を願い仏陀の成仏法を持って祈願してきた。わが師は神界と仏界両界の秘法を会得され、その霊力をもって病気や災難を逃れる秘法を広められた。

 今回は仏陀のお御霊である真正仏舎利を本尊とし、仏陀の成仏法を持って災難から逃れる秘法を修したものであるが、神社も快く理解され、お宮の境内で祈ってきたものである。

 今や新型コロナも第3波の感染に移り、今日は2950名を越えた感染者がでた。富山県では2人だったが、東京都では600人を上回る感染者が出て、最高記録を更新した。

 この先、まだまだ増えて医療崩壊を招く危機的状況にある。アメリカなどは一日で20万人が感染し、1500万人を突破、死者も29万人に達する。

 このまま進めばスペイン風のように数億人が感染し、死者も数千万人に達する恐れがある。感染を止めようとすれば、人の出入りを制限しなければならず、経済が停滞し倒産や廃業などで失業者があふれよう。

 何とも難しいバランスが必要とあるが、人命には叶わない。願わくば神仏のお力を得て、少しでも被害を軽減しようと計画した次第である。

 仏陀の秘法「成仏法」はカルマの断絶を目標とする。人は長い輪廻転生を経て積み重ねた悪業により、大きな負のカルマを生む。その終局が「破滅のカルマ」である。

 わが師はこのコロナ禍を「破滅のカルマ」と称される。だからこの人類のカルマを克服するには、仏陀の成仏法を持って解脱するしかないのである。

 わずか数人の仲間の力では、限られた恩恵しか得られないが、それでも何としてでも終息して欲しいとの意思は仏界に通ずるであろう。

 コロナ禍は人類の危機である。それは人類が早く真理に目覚めよとの、天の声でもある。

2020/12/10(木)


人の名前が出てこない
 高齢になると人の名前がすぐに出てこないことはいつものことだが、家内はもっとひどい。つい最近のことも忘れて、家事にも影響をきたしている。
 
 そこで買ってきたのが「人の名前が出てこなくなったときに読む本」松原英多著、KKロングセラーズだ。読みながら私に説教をする。それはあらゆる事象の中で、食事に関するものだ。

 作者は医学博士で、日常生活の中でできる脳活性化のための習慣では、食事に関することが多い。食べ方の順番やおかずの種類、昼食を多く摂り、ご飯や麺類、パンなどを減らすと言う。

 私はそれを聞いて頭にきた。この齢になってそんなに制限されたら面白くない。ついに声が大きくなって荒れてしまった。食事は総て家内が作ってくれるので過度な要求はできないが、あまり細かく指示されると嫌になってくる。
 
 さすがに私の剣幕を受け、静かになった。確かに食事は大切だが、好きなものまで制限されると楽しみがない。今日も友人から88歳の叔父が近くの山林で行方不明になり、警察の助けや家族総出での捜索で、死体になって発見されたという。

 88歳とは高齢だが、私はあまり制限された生き方はしたくない。もう相当の年齢なのだから、このまま自由に活かしてほしい。

 だが私も人の名前がすぐに出てこないのは事実である。それはどんな食事が作用しているのだろうか。家内にはダメな点だけでなく、良い点を言えと諭した。

 日ごろは温厚な自分が、むきになってどなったことを反省しているのである。

2020/12/09(水)


いらいら感の余波
 最近、便秘で気分が優れない。もう3日も出なく気分がいらいらして落ち着かない。当然便秘薬を飲んでいるが、まだ出る兆候はない。

 今日、午前10時に家内を乗せて500mほど離れた食品スーパーへ買い物に行く。町内を出ると市電の踏切があり、その20m先は幹線道路へ繋がるT字路だ。

 踏み切りを渡るにはY字に交差した道を一旦停止して、対向車が来ないか見て渡る。対向車が次々と来て、停止していると後ろから警笛の音が聞こえた。

 バックミラーで見ると一台の軽四が接近して停車していた。この車は知らぬ間に私に追いついたもので、何かセカセカとし急いでいるようだった。

 やっと踏み切りを渡り、幹線道路に出る。すると後ろの車は急接近し思わず危険を感ずる。幸いすぐに右折しスーパーの駐車場に入つたが、あおり運転のような扱いを受ける。

 それは私の気持ちを代弁するようなものであった。便が出ないいらいらが相手の車もいらいらにさせたものであろう。

 自分の気持ちがすぐに同じような第三者を呼ぶ。そのとき、この感覚をはっきりと自覚した。常に冷静な気持ちを保つことは難しいが、「以心伝心」の例えがあるように、気をつけて自分を律しなければならない。

 この気持ちは念波である。念波はその速度が無限に近いほど速いそうで常識では理解できないが、同じ気持ちを持つ人を自然に呼び込むのである。

 総ての意思は念波で通じる。良くも悪くも気持ちは念波である。今日は自分のまだ足りない点を自覚した一日であった。

2020/12/07(月)


年賀状
 年賀状を書く季節となり、パソコンを操作する。だがウインドウズXPから10に替えたので、操作が分からない。すべては娘が設置してくれたもので、私は操作方法を教えてもらっただけである。

 プリンターが故障し、10にあうエプソンの製品を息子が買ってくれた。昨日はそのプリンターで息子に年賀状を印刷してもらった。海年恒例の行事だが、新年の挨拶だけは欠かせない。

 賀状の裏は自分でプリントしなく、キタムラカメラ店で多くの絵柄のなかから選んで印刷してもらった。少し高くついたが、これで完了。あとは投函するだけである。

 高齢になれば賀状を辞退する人もいる。だが私はまだまだ元気だ。親しい友や同級生の安否は賀状で確認できる。こんな習慣は日本だけだと思うが、喪中のハガキが来て亡くなったことを知る場合もある。

 今年は一通しか来なかったが、昨年は5通も来た。新しい年はどんな年になるであろうか。このコロナ禍がどうなるか、それが心配である。

 高齢者は重症になる確率が高い。富山県はまだ感染率が低いが、年末年始も引きこもりになるであろう。

2020/12/06(日)


ホ・オポノポノ
 ホ・オポノポノとは400年前から伝わるハワイの問題解決方法である。かってハワイでは、何らかの問題が持ち上がったとき、関係する人たちがまとめ役を中心にして問題を徹底的に議論し尽し、人々の心を癒してきた。

 物事が完璧ではなくなるのは、潜在意識の中の過去の記憶が再生されて、現在に投影されるからだという。その潜在意識は、宇宙が創生されてからの総ての記憶にアクセスして、瞬間瞬間膨大な記憶を立ち上げているという。

 自分が認識しているのは顕在意識だが、その100万倍の記憶が1秒間のうちに潜在意識の中で立ち上がっているとし、病気や事故、挫折、不幸など、過去の忌まわしい記憶が自分の人生に反映されて不幸を引き起こすのであると。すなわち、現在の不幸は過去の記憶のせいだとするのである。

 だからその潜在意識の記憶を消去し、神聖なる知能と一体となるとき、過去の記憶に惑わされることなくインスピレーションを受け、人間本来のあるべき生き方ができるのであると。

 その過去の潜在意識を消す方法が「ホ・オポノポノ」である。あらゆる苦痛なくしてこの世を生きられない。仏陀もこの世は四苦八苦の世だと説明されたが、それは人が成長するために必要不可欠なものである。

 私も子供の時から吃音という苦痛を経験し、その苦痛から逃れるためにあらゆる本を探して生きてきた。そして見つけたのが「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」イハレアカラ・ヒューレン著(インタービュー者櫻庭雅文)徳間書店である。

 不幸な過去の潜在意識を消す方法は簡単である。それは「ありがとう。ごめんあさい。許してください。愛しています。」と四つの言葉を発し、自分の潜在意識に消去を問いかけるのである。

 詳しくは本書にゆずるとして、このコロナ禍を生きる術として、こんな本があることを紹介した次第である。 

2020/12/04(金)


どぶろく
 「どぶろく」とは如何に。それは戦後の混乱期に田舎で流行った密造酒である。戦争が終わり世は荒れ果て、まともな生活もできない貧しい一時期だった。

 麹が手に入れば誰でもどぶろくを作ることができた。どぶろくは日本酒の元で、麹や米と混ぜた酒である。だが許可を得ない酒で、取締りが厳しく管理されていた。

 日本酒は高く少なくて口に入らない。この寒の時期、どぶろくを造るには格好の温度であり、父が大きなカメで仕込み二階に保存していた。

 あるとき、村民に情報が入り、密造酒の検挙に警察が峠を越えてくるとのことだった。どぶろくは村民のほとんどが作っていたから、隠すのが大変だった。

 父は発覚を恐れ、どぶろくを裏山に捨ててしまった。冬の晩酌に最適だった密造酒のどぶろくは、そうしてなくなった。

 今日は毎月の恒例である、茨木市の朝妻様から全国的な俳誌「雲の峰」が届き、私のHPで今月のテーマの写真を更新しようと思う。

 今月は「イルミネーション」と題し、4枚の写真を載せるが、その写真に句会の会員が詠まれた俳句を添えるのである。その俳句の一つを紹介しよう。

 ”どぶろくの 徳利が据る 横座かな” 高野清風

 この句を見て戦後まもなく、当時の田舎の状況を思いだした次第である。高野さんはどぶろくをどうして得られたかわからないが、約70年前の田舎の生活がありありと浮かんできた。

 今の世は何不自由ない生活だが、あのどぶろくの味だけは誰にも分からない。そっと盗み飲みした自分だけであろう。

2020/12/03(木)


視力検査
 先日は車の運転免許更新のため、眼鏡のレンズを取り替えた件を書いた。高齢となり車の運転はお使い程度であるが、それでももう一度更新しようと思う。

 そして84歳でやめようと思う。近くの眼鏡店で視力を測り、レンズのみを取り替えた。日ごろは眼鏡を必要としないが、今朝は眼鏡をつけて新聞を読もうと思う。

 ところが新聞の記事がかすんでよく分からない。視力検査をしてレンズを取り替えたのに、50cmほど離れた文字はかすむなんて予想していなかった。(この眼鏡は遠近両用ではなかった)

 そして何を考えたかというと、免許更新の視力検査は機械で行うということである。機械では標的が近く、このようにかすんで見えては不合格となろう。

 心配になり眼鏡屋へ行き、機械で確認してみようと出かけたのであった。状況を話すと約1kmほど離れた別の店に機械があるというので、店の車で送ってもらった。

 通常、視力検査は5mほど離れた壁に書かれた円形の図に欠け目を作り、右か左、または上か下かで判断する。その距離と比べ機械は50cmほどで、これではかすんでよく見えないと考えたが、誤りであった。

 店員の話しでは、機械の標的は5mほどの距離にあう大きさに設定されているという。測定してみた数値は壁の標的の視力相当であり、納得する。

 そして帰りは1kmほど離れた畑に行き、タマネギの植え付け状態を確認することにする。1本が根元から何かに食われ、新しい苗と交換してきた。

 ところがである。家に着いて外出しようと思い、マフラーを探すが見当たらない。良く考えたら、畑に忘れてきたと思う。そこで今度はマフラーを探しに1kmの畑へ自転車を漕ぐ。

 やはりマフラーは畑にあった。老いて頭の回転や記憶力が弱くなり、こんなささいな失敗を繰り返す。老いは私の行動範囲を狭くするばかりである。

2020/12/02(水)

My Diary Version 1.21
Written by 中村邦夫 CGI提供じゃわ