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■最悪の大晦日
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息子がインフルエンザAに罹り、昨夜から今度は家内が起きてこない。どうもインフルエンザに罹り、起き上がれないようだ。仕方なく朝食を運ぶも特製のドリンクだけで終わった。
相当きついらしく、今までにない辛さだという。これでは先が思いやられると医院で診てもらうことにする。車で10分、検査の結果やはりインフルA型だった。
大晦日は患者もいなく閑散としていたが、非常時のために医者と看護婦が待機していたので助かる。そして息子や家内を病院へ運んだ自分も気持ちが悪くなってきた。
体温を測ると37.1℃で、まだそれほど高くはないが、どうも二人の風邪をもらったようだ。この初期の段階で食い止めようと、市販の熱冷まし布を額に張り、家庭薬の箱から総合感冒薬を取り出して飲む。
何たる大晦日であろうか。今日はお風呂に入り、すき焼きにうまいビールを飲んで紅白を見ようと思っていたが、このまま伏せねばならない。
願わくば症状が早く改善し、また元気な日を待つことを願うが、こんな事態は生まれて初めである。家内と息子は前にも書いたが、天命殺という凶運期だから仕様がないけれども、私の運気は良い。
正月も寝て暮らすことになろう。80歳にもなり体力が減退している今日、感染力の強いエンフルは防ぎようがない。
明日からの新たなる年はどんな年になるか。できるだけポジティブな考えで新年を迎えようと思う。
2019/12/31(火)
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■町内の夜警
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毎年恒例の町内の夜警に出る。300軒を越える戸数がある町内は、15班に別れ毎年交代で夜警を行う。杓錠とリンを鳴らし、火の元を注意するよう促すのである。
年末の大晦日まで数日行うが、2班に分かれても30分かかった。歩きながらわが班の人と話をする。日ごろ会う機会がなく、こんなときが交友を深めるよい機会となる。
Aさんは私と同じような境遇で、田舎に大きな田畑を持ち、家は空き家だという。その管理が大変で、よい解決策が見つからない。
私も合掌造りの集落で世界遺産になった越中五箇山に生家があった。父母も亡くなり空き家になって22年。家は養蚕をするため90坪にも達する大きさだった。
その家も解体処分して今は更地となったが、5月のゴールデンウイークやお盆には兄弟が集まり、近況を語り合った。その兄弟も次男が亡くなり、三男も名古屋で居を構え今は遭う機会もほとんどない。
町内も高齢化で運営が厳しい。ちょうど隣のBさんと会う機会があったので、来年の班長を手伝ってほしいと懇願する。わが班は空き家が1軒、一人暮らしの家が3軒、夫婦二人の家が7軒、あとは家族がいるがせいぜい3〜5人程度である。
高齢化は矢のように進む。町内の運営もいつかは限界に達することであろう。
2019/12/30(月)
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■インフルエンザA
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息子が風邪気味で、体温計を貸して欲しいという。計ってみると38.5℃あった。これは完全な風邪である。すぐに医院へ連れて行く。
検査の結果インフルエンザAと診断された。風邪の兆候は以前からあり家庭薬の薬を飲んでいたが、ついに医者の世話になることになった。
息子や私、家内は風邪の予防注射はしていない。感染すれば一家全滅となるが、私も家内も今のところ兆候はない。
息子は今年から天命殺の凶運期に入り、来年がその極となる。天命殺に入ると、体力・気力・知力が減退し、いろんな負の症状が起きやすくなるのである。
私は強運気の時期だから感染しないと思うが、それは同じ屋根に住む関係から誰にも確約できない。
年末の今、運が悪かったと思えば気も休まるが、残念な気持ちは変わらない。せめて家内と私が感染しないよう神仏に祈ろう。
困ったときは神仏の助けを頂く。それは「徳」の問題で、日ごろの徳積みで勝負は決まる。願わくば神仏の助けがありますように。
2019/12/29(日)
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■年賀状が来た
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昨日のこと、郵便受けの箱を開けるとハガキと手紙が一通入っていた。取り出してみるとハガキは年賀状だった。初めてのことで、郵便局の配達誤りと気づく。
このハガキは必要ないものであった。それは親戚に不幸があり、出さなくても良いハガキだったのである。そこで電話して誤配達が来たことを知らせる。
そして今日、玄関のチャイムが鳴り、出てみると郵便局の者だという。丁寧なお詫びの言葉を聞くが、別に気にしないと答える。
訪問者は若い配達員で、恐らくアルバイトであろう。今年は家内の姉の夫が79歳で死亡し、新年の挨拶状は出さなかった。別に病気の身ではなかったが、突然の脳梗塞で留守中に亡くなったものである。
大酒飲みで毎晩飲みあかし、ついに突然死したが、私の父もこの脳梗塞で死んだ。酒が唯一の友達で、晩酌が一番の楽しみだった。
そして68才間近の冬のある日、朝方になり”いびき”をかき始めたまま、ついに動かなくなったという。私はすでに富山市に居を構えていたから、母の緊急電話で駆けつける。
父は完全にアルチュウだった。山奥の小さな集落で母と過ごすも、水飲み百姓だったから、酒しか楽しみはなかったのである。
葬儀は2月の厳冬に行った。田舎には葬儀場がなく、家から出棺し”さんまい”と呼ぶ火葬場へ向かう。火葬場は墓地の横にあり、深い穴を掘って薪や木炭をくべて焼く。
2m以上の雪が積もった墓地の穴は雪を掘るのも大変だった。長い時間がかかりやっと火葬が終わる。骨を拾うのは大変だった。それは除雪した深い穴の底をさぐり骨を取り出すからであった。
昭和52年、今のような設備の火葬場はなく、集落独自の火葬は深い穴での焼却であったのである。あれから43年、今は火葬場も町に移り、自動で完全に白骨となる。それにしても、田舎の家へ帰るのが大変だった。
町からの山道は雪に閉ざされ、唯一の交通手段は庄川を登る小さな船だけであった。船を3度乗り継いで、一日をかけ家へ着いて父の遺体を見る。
それが今、田舎は東海北陸道が通り、約1時間で行けるようになった。寒かった当時の思いが今蘇る。そして私もいつ死んでもよい老体となった。
2019/12/28(土)
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■今年の重大ニュースD
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5.令和の時代へ
私が生まれたのは昭和15年、この暮れに太平洋戦争が始まる。その後5年間の記憶はない。だが戦後まもなくの窮状は今も鮮明に覚えている。
その最大の困難は食料事情だった。米はないに等しく、主食は粟や稗、キビにサツマイモなど、今では見たこともない穀物が毎日に主食だった。
食べ盛りの私はこれが当たり前だと思っていたが、米が主食となったのは庄川の上流に発電所ができて、険しい崖を削り用水を作ってからである。
当時の職業は養蚕が主で、和牛を飼いその牛に子を産ませてわずかな稼ぎにした。春から夏は木炭の製造のために山にこもり、冬は仕事ができないために父は東京に出稼ぎに行った。
しかし、酒好きの父はもらった賃金も酒代に消え、帰ってきても殆んど現金がなかったと母が嘆いていた。水飲み百姓で唯一の現金収入は、母が農協の事務員をしていたわずかな給料であった。
近くに小学校と中学の分校があり、通学には不自由はしなかった。しかし、小学校の5年生からどもり(吃音)となり、30歳代まで苦しむことになる。
そのハンディ分を勉強に励み、成績は常に上位だった。わずか17人の分校では、先生と同体で、町から赴任した先生の宿舎で勉強し町の高校を目指す。
進学の道は工業高校だった。それは父が近くの関西電力の発電所に勤める人の姿を見ていたからである。高給で休みも多く優雅な生活がうらやましかったので、私にその人と同じ会社を勧めてくれた。
私も同じで、おかげさまで町の工業高校へ進学し、会社は違ったが地元の電力会社へ9倍の難関を突破し合格した。父はすぐ近くの発電所を思っての薦めであったが、私には異論はなかった。
このような経過から平成の時代に移る。この時代は私の全盛時代となる。切磋琢磨した私は管理職となり、部下を引き連れ火力発電所の建設に従事する。2箇所の新規地点の石炭火力発電所の建設に従事し、無事その任務を終えた。
しかし、代償もあった。それは過酷な責任と部下との葛藤で、不安神経症を患う。その発端は安全管理の責任者となってからである。
工事現場は毎月のように災害事故が発生し、労基署から厳重な注意を受ける。そのストレスで心身を病み、不安感が身を苦しめる。
だが神仏に帰依した私の願いを叶えていただいたのは、災害の中身だった。毎日2000人の労働者が働く職場で、死者や障害を負った人は出ず、唯一の重大事故はある業者が18歳未満の若者を足場の組み立てに使い、その作業員が墜落して重症を負った災害であった。
8mの高さから墜落したが、幸い重症で終わり後遺症はなかった。監督署から呼ばれ、法違反で送検しますよとの署長の怒声に身が凍る恐怖を覚えたことは今も忘れない。
そして今、元号は令和へ移った。私はすでに退職して20年を迎えようとしている。日々安定した生活だが、まだあの不安神経症は治らない。
これは性格上の病気のようで、死ぬまでこの不安感は消えないであろう。いろいろあった仕事の悩みかから私はわが師にご縁を頂き、釈迦が説いた真実のお経であるアーガマ(阿含経)の真髄を知る。
それは毎日のように書く題材だが、人の依って来た道、往く道を的確に示してくれる。「人はどこから来て、どこへゆくのか」その真理が分かれば死は怖くいない。
80歳の老境となり、やっと人生を生きる意味を悟ったと理解しよう。
2019/12/27(金)
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■今年の重大ニュースC
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4、叔母の死
先日の20日、母の妹が死んだと新聞の死亡欄で知る。葬儀は遠く離れた町で行うと記してあった。叔母は私の故郷に近い集落で過ごし、高齢になり夫婦共に町の老後施設に入所していた。
享年93歳、晩年は足腰が痛く、私が訪ねても出てくるのがやっとだった。夫と二人住まいの高齢で、やむなく町の施設に入所していたから家は空き家のままだった。
長男は早くから千葉の都会に出て居を構え、娘は近くの集落に嫁ついでいた。私は体調がすぐれず葬儀には出席しなかったが、また一つ空き家の処分が増えた。
今、辺ぴな山奥の集落は過疎化が進み、空き家も増えるばかりだ。家は東海北陸道の五箇山インターの近くだから、だれか移住する人がいれば理想的な解決方法となる。
このようなケースは今後、益々増えるであろう。村も空き家を利用し移住を進めているが、こんな田舎に来る人は極稀である。
私は6年前、父が建てた築60年の家を解体処分した。それは県議の有識者を通じて無償で家をあげると話したが、希望者は皆無だったからである。
家を建てたのは昭和29年の暮れであった。約90坪の家は総て自家製の木材で造り、中学生だった私は山林から伐採した材木を荷車で運んだ記憶が蘇る。
大黒柱は親戚から寄進された欅の大木を製材した30cm角の柱だった。そして横梁も欅の大木を製材して組み立てた。総2階の家は柱が自分の山林から切り出した五葉松で、杉材も多く使用して外注したものはなかった。
養蚕や炭焼きを主とする我が家も私が町で就職し、そこで家を建てて実家を見捨てることになる。弟二人も高校の分校を卒業すると名古屋方面に出て居を構えた。
祖父や祖母が死に、父は60代で死亡、母は一人暮らしとなったが、狭心症の発作が出て富山の我が家へ引き取ることにする。知らない土地での生活はさびしく、まもなく認知症となる。
施設を転々として22年。ついに97歳でこの世を去った。今や私のふるさとはお墓が残るのみである。だから故郷への帰郷はお盆のお墓参りだけになった。
光陰矢の如し! 私もまもなく80歳の老境となり、この町で一生を終える。田舎の家は山林と住居跡の固定資産税だけが毎年請求される無用の地となった。
合掌造りで世界遺産となった集落は繁盛しているが、そこを離れた集落は限界集落となり、いずれは消滅の危機にある。 中学3年まで過ごした我が家。今、当時の思い出が走馬灯のように思い出されるのである。
2019/12/26(木)
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■今年の重大ニュースB
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3.高齢化は進む
日本の高齢化は加速度をつけて進む。その一人が私だ。現在79歳だが、あと2ケ月あまりで80歳の傘寿となる。今はまだ元気だが、新聞の死亡欄を見てもあと10年以内程度のものであろう。
男の平均寿命は81歳だから、これを越えれば悔いはない。それはこの世に生きるわけを良く理解したからである。人は何でこの世に生をうけたのか?
その意味を理解すれば、いつ死んで惜しくはない。だが適度な運動と食事、そして心身を鍛える瞑想を欠かさねばもっと長生きできよう。
さて、今年はさしたる仕事もなく日々を過ごしたが、来る年は町内の班長を仰せつかることになる。町内は300軒で15班に分かれて運営される。それは公園の草刈から夏は納涼祭、秋は文化祭など多くの行事の運営である。
会長職や幹事に会計、監査、衛生班長、交通安全などその世話をしなければならない。78歳以上は班長を辞退できるが、それは夫婦そろってのこと。家内は77歳になるので断るわけにはゆかない。
80歳ともなればいつ不測の事態が起きても不思議ではない。わが班も退職した高齢者が多く、あと数年で班長のお役をやれる人が半減しよう。
今年生まれた赤ちゃんの数が戦後最低の86万4千人になって、過去最低になったという。死亡者から出生者を引くと50万人の人口減になると報じている。
先日、母の妹が92歳で死んだ。最近は新聞の死亡欄を見るのが日課だが、私もそろそろ死の準備をしなければならないだろう。人は輪廻転生しながら魂の進化を目指す。
人の本体は魂であり、その魂を入れるのが肉体である。そして艱難辛苦や喜怒哀楽を味わいながらこの世を過ごし、死後はまだ足りない分野の学びのためにまた生を受けるのである。
だから人は次なる人生を計画しながら生を受ける。どんな苦しみがあっても、それは自分の魂が決めたこと。決して不平不満は言うまい。
今、自分の人生を総括して、いろんな学びをしてきたことを喜んでいる。魂は目には見えない霊体であり、心とは違う。霊はあらゆる経験を積み、進化発展を目ざす。そして最終的には神仏の境涯に達し、創造主の身元へ還るのである。
私はまだ道半ばであり、次なる輪廻への道はいかなるものであるかは分からない。唯一理解できるのは仏道修行で得た知恵である。
釈迦が悟った成仏法を学び、総てのカルマを絶つとき、魂は最高度に進化し、輪廻の輪が閉じるのである。カルマの解消は仏道修行による解脱である。
私はこの解脱を目指して30数年間、わが師に師事してきた。そして魂を清め高めて、次なる境涯のシュダオンの聖者を目指す。シュダオンは7来といい、7回の輪廻で輪が切れ仏界へ到達できる。
わが師は実質3回程度で到達できるといわれるが、すでに第二の仏陀となられたわが師の教えを実践して、この人生で魂を磨き上げたいのである。
シュダオンの次がシダゴンの聖者で3回の輪廻、そしてアナゴンの聖者で輪廻の輪が切れ、アラカンの聖者で仏陀となる。
世のあらゆる宗教が教組の教えを改ざんして宗派を作り、世に広めてきた。キリスト教は輪廻転生を説かないが、それはイギリスのジョージ五世がヘブライ語から英語に訳すとき、自分の意に添わない教えを末梢したものである。
真実の釈迦の教えはアーガマ、すなわち阿含経に書かれていることをご存知であろうか。輪廻転生は宇宙の同胞たちが異口同音に述べる真実である。
私はこの教えを悟り、今生での「死」を喜びを持って迎えようと思う。
2019/12/25(水)
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■今年の重大ニュースA
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2.家のリフォーム
今から38年前に建てた我が家は、再三リフォーホムしてきた。それは家が古くなったのと、住まいの近代化で改築してきたからである。
まず最初はトイレに風呂場、台所に居間、そして私の小さな書斎の増築であった。当時のトイレはポットン便所で、浄化槽を有していた。それが下水道が完備され、洋式の水洗便所とする。
そして風呂場はタイルで固め、風呂桶はスレンレス製だった。暖房がなく、冬は寒くて生きた心地がしなかった。時代は進み総てがユニット式で暖房付きの風呂となる。
そのお湯は最初はガスだったが、電気温水器から効率の良いエコキュートとする。電力会社へ勤めていた私は、総てが電化で、ガスを使用したのは最初の数年間だけであった。
家を1軒持つと経年劣化で各所が傷む。その最初の劣化が外壁であった。新築時の建設費を安くするため、玄関の壁を除いてトタン葺きとしたので、塗り替えが必要である。20数年経ってさびが見えて塗り替えることにした。
ちょうど近くの家が塗り替え工事をしていて、その業者が私の家を見て格安で塗り替えるという。相場の1/3程度の金額を提示したので私は飛びつく。
だがここに落とし穴があった。身も知らぬ業者だったので、その工事の内容が異常だった。まず足場を作らずハシゴで猿のように塗りまくる。その塗り方がまた大雑把で、1回塗りで残したところもあった。
作業員は3人。いずれも20代の若い男で、一日で塗装を終えた。後で塗り残しを気づき文句を言うが、すべて後の祭りで去っていった。この件でつくずく自分の愚かさを知る。
あれから12年後の今年の4月。いつもリフォームでお世話になっている工務店にお願いし、経験豊富な業者を紹介していただく。家を囲んだ足場の組み立ても完全だった。この足場を利用し作業員は一人で、下塗りに中塗りと仕上げの3回塗りで完璧に仕上がった。
塗装は簡単に手を抜ける仕事である。だから契約するときに詳しく取り決めなければならない。前の塗装業者のように契約もなく、1回塗りで済ますことなく、塗料も最上質を指定して塗ってもらった。
これで20年は大丈夫であろう。時々、赤くさびたトタンの外壁を持つ家を見ることがあるが、壁全体をモルタル壁にすれば永久物になったかも知れない。
私は20年後にはこの世にいないと思うが、どんな社会で、どんな町並みになっているか、団地は老人の巣で恐らく空き家だらけになっていることであろう。
2019/12/24(火)
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■今年の重大ニュース@
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1.五箇山流刑者の供養
昔、江戸時代の越中五箇山は加賀藩の流刑地だった。周囲を1500mの山々で囲まれた庄川の渓谷を利用し、川には橋を作らせず、右岸の集落のみに受刑者を収容する小屋を建てた。
重犯罪人はおしまり小屋と呼ぶわずか1坪にも満たない独房に閉じ込め、軽犯罪人は多人数が入る10坪ほどの平小屋を作り、牢番はいたけれども出入りは自由で、ここで悲劇が起きる。
元禄3年、金沢の悪徳商人であった「いずみや長右衛門」が加賀藩士と結託し、か弱い遊女を使ってあくどい稼ぎをしていたのがバレて、藩士4人と19人の遊女は流罪となる。
このうち遊女たちは能登へ流されたが、お小夜(おさよ)だけは、輪島の出身だったので改めて五箇山へ流罪となった。
おさよはベッピンさんで、芸や歌がうまく、私の故郷に近い小原部落の平小屋へ入る。ここで”おさよ”は村人に歌を教え、今は「おさよ節」として名が残っている。
♪輪島出てから今年で4年 もとの輪島へ帰りたい帰りたい
♪名をつけようならおさよにつけやれ おさよ器量よし声も良し
おさよは稀にみる美貌の持ち主だったようで、すぐに牢番の吉間と恋仲になる。毎晩、逢瀬を繰り返し、ついにおさよは吉間の子を身ごもる。
結果は知れたこと。禁を犯したおさよは、ついに近くの庄川の崖から身を投げ返らぬ人となった。悲観した吉間も、供養の全国行脚の旅に出て、その消息はわからない。
今は投身した地には標識が立ち、小屋があった近くには碑が建って村人が供養をしている。何でも”おさよ”を供養したある人が事業で成功し、その財で立派な塚を建てたという。
元禄年代から明治に至るまでに流された罪人は約200人。その中の重罪人は独房で病死したり、明かり窓を破り脱牢したが、捕らえられて打ち首になった。また舌を噛み切り自殺した罪人もいた。
さて、私はこの現実を真摯に受け止め、おさよや非業の死を遂げた罪人の供養をしようと思う。十数年前から供養しているが、わが師の成仏法を修したお塔婆で毎月供養していた。
そして3年が過ぎたある日、富山市のあるスーパーで偶然A子さんに会う。彼女は私が小学6年生だったときに横浜から転校し、おさよが住んでいた小原部落の親戚の家へ預けられたかわいい子で、私はすぐに好きになる。
中学を卒業してお互いに高校へ進むために分かれたが、私の近くに住んでいることは知っていた。しかし会ったことはない。あまりにも偶然の出会いで困惑したが、この出会いで”おさよ”がお礼を言いに遣わしたものであると実感する。
そして今年の10月。今度は”おさよ”が身投げした現地の塚で、おさよや200人の流刑者を悼み、仲間と供に仏陀の成仏法を持つ法力護摩を焚いて供養することになった。
多数の村人も参加され、わが師が念の力で護摩木に火をつけられた聖火で供養を行う。私は記録写真を撮る役で、その護摩木が燃える写真を撮る。
幾枚もの写真の中から、驚くような写真が撮れた。それは”おさよ”が炎の中で優雅な踊りを舞っている姿が映っていたのである。写真をお見せできないのは残念だが、これで”おさよ”は完全解脱したと感じた。
自殺者は死んでなお幽界の下層で苦しむ。それは現世で残したカルマにより転生どころか、死んだことさえ理解できないからである。そして長い年月を経てやっと我に還るが、激しい苦しみは現世を上回るとわが師は話される。
このようにして私は、330年前から故郷の村へ流罪になった人々を、仏陀の成仏法で供養することができた。こんな経験は今回が初めてである。
解脱して霊界へ達した”おさよ”は、また新しい輪廻の道に旅立つことであろう。
2019/12/23(月)
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■地球を覆う大火災
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昨夜の8時、BS1で放映していた地球規模の大火災をご覧になったであろうか。今、地球温暖化ガスを放出するのは人間だけではない。 それは世界規模で頻発する自然火災である。アフリカを除く世界の国々がジャングルを焼かれ、その膨大な面積は日本を覆うほどである。
番組では主だった国の火災を取り上げ、その結果発生する二酸化炭素の放出によって、地球の温暖化に加速度をつける。ブラジルでは広大なジャングルが火の海となり、アメリカやカナダ、オーストラリが森林火災のオンパレードとなる。
またインドネシアでは、パームオイルを生産するためジャングルを切り開き、畑は泥炭が燃えて作物を枯らす。そして極北のツンドラ地帯ではメタンが噴出し、CO2の24倍ものガスになるという。
先日も書いたが、COP25の温暖化対策の会議が中途半端に終わり、今後の削減には道筋が通らなくなった。それは各国のエゴであり、恐らく望みとおりの削減は不可能であろう。
結果は知れたこと。地球の大気温度は益々上昇し、ついには制御できない段階に達することであろう。私は先日、ブラジルの予言者ジュセリーノについて書いた。
ジュセリーノは夢予言で、地球の終末が23年後の2043年だと霊界の高位の存在から教わった。このままゆけばその夢予言は現実のものとなろう。世界各地で豪雨や旱魃に酷暑、巨大台風や竜巻、乾燥した大地には作物が不作で人類は飢えて餓死が加速しよう。
BS1の警告は人類の行き先を端的に示してくれる。残された時間は少ない。それは地球の危機が目前に迫っていることを教えてくれるのである。
2019/12/21(土)
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■散歩道
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今日は快晴、家内といつものコースを散歩する。家から300mのところに運河があり、富山港と富山駅の北口をつなぐ、延長6kmの運河である。
大正の末期から昭和の始めに掘られた運河は、幅50m、深さ2〜3mで、昔は木材の流し場だった。明治のころ、富山市を縦断する神通川の流れがたびたび洪水を起こし、曲がりをまっすぐにするため、その穴埋めの土砂を得るために掘られた。
当時の掘削技術は幼稚で、蒸気機関を使い大規模な掘削機で掘った土砂は、ベルトコンベアーで市内まで運んだという。
運河は観光船が走り、花見のときなど連日満員で年間250万人もの人が訪れるという名所となったが、冬季は休業している。この運河の中ほどにパナマ式運河(閘門)が設置され、高低差2.5mの水位を調節する。
この運河の両岸には遊歩道が設置され、散歩をする人が絶えない。私も家内もよくこの運河沿いの歩道を歩き、老後の体力を維持する運動をしているのである。
晴れた日は立山連峰がくっきりと浮かび、運河とのコントラストは抜群である。この地に住居を構えた運を喜んでいるが、国道のすぐ脇に団地が造成され、いくつかの新築が始まった。
運河の景観は良いが、すぐ裏の国道は車の往来が激しく、夜中でも騒音に悩まされよう。騒音は身体によくない。どんなに家を気密化しても音は聞こえるであろう。
私の団地は全く騒音はしない。その静かな町が心身を癒してくれる。暮れも迫り、私は80歳の傘寿を迎える。今は健康だが、その秘訣は散歩で心身を癒すことであろう。
あと何年生きられるかわからないが、余生を静かに過ごしたいものである。
2019/12/19(木)
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■占いカード
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次男が経営するホノカ社へウモプラスと入浴剤の「天使の塩湯」を注文したのが届いた。ウモプラスは珪素の溶液で人の脳を活性化し、次元を超えた働きをする元素である。
その詳細は「高次元シリウスが伝える水晶(珪素)化する地球人の秘密」松久正著(ヒカルランド刊)に詳しい。その水晶を加えた入浴剤も人気で、身体がスベスベになり、残り湯を入れて洗濯するときれいに落ちるのが特徴である。
ホノカ社は占いカードを主力に販売しているが、今回娘の縁で新たなカードを発売することになった。それはブラール・タレイと称するカードで、当たる確立は格段に増すという。
ホノカ社では予約を受け付け、月末から発売になるというが、百十数枚のカードで占うには初めてだ。私はあまり興味はないが、世の若者はこのカードに大きな関心を寄せている。
スピリチュアルな次男と嫁は、このカードで多くの友を集め、交流に余念がない。私も占いには若いころからわが師に師事し、密教占星術を学んできた。興味深々だったが、今はもう占いはやらない。
この不確実な世で、いろんな運命を占うことは生きるヒントになろう。わが師は自著「密教占星術T」(平河出版)で、このように話される。
「人の運命は確定していないけれども、確定させようとする一つの「力」があるのである。まだ不確定な未来を、ある一定の方向に持ってゆこうとするある力が存在するのである。」と。
占いはその未来を占うものである。自分の運命がどんな運命か、その運命を先取りし、少しでも運の良い方向へ導くのが占星術である。
ブラール・タレイとはどんな占いか、それはホノカ社のサイトを見ていただこう。
2019/12/18(水)
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■空き家
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腕時計の電池が切れたので家内と二人、家から500mほど離れためがね屋へ行く。家内の腕時計も金属のバンドが切れて取り替えるのである。
普通は車で行くのだが、今回は歩いてゆくことにした。家内は毎日ジョギングを欠かさず、歩くことで健康を保つのに世念がない。私もつられてできるだけ歩くことにした。
今回は違う町並みを歩いてみることにする。それは町を構成する家がどんな姿かを、以前と比べてみようとの思いから発する。裏通りを歩き、連なる家々を見る。
すると以前と違う風景を見ることになった。それは空き家の増加である。壁のペンキがはがれ、庭には草がはびこり、すぐに空き家と気づく。
わずか100mほどの町内で10軒あまりの家が空き家となっていた。反対に解体した跡地に新しい家が建てられ、近代的な建築のにおいを感ずる。
昔、世話になった小さなスーパーマーケットが廃墟となり放置されている。個人経営の八百屋も同じだ。しかし世話になった床屋はまだ明かりがついて客が散髪していた。
この床屋にはよく通ったものである。約1時間をかけて仕上げてくれ、4800円を払った記憶が蘇る。しかしもう20年前からこの店には行かなくなった。
それは近くに格安の床屋ができたからである。散髪と髭剃りでシニアは1400円だ。その仕上げの早いこと早いこと! 15分ほどあれば終了となる。
町の様子は矢のように変革する。空き家の増加は全国至るところで見られ、その数850万戸だとか。少子高齢化で跡継ぎがいなくなり、空き家となる。
私も田舎に築90坪の空き家を持っていた。父が昭和29年に建てたものだが、空き家になって20年。300万円を超える解体費がかかったが、今は更地となり安堵するも、固定資産税が6倍になり苦慮している。
町に活気がなく店もない風景は、人々との交流も少なく田舎のさびれた様を思い出させてくれるのである。
2019/12/17(火)
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■地球の異変
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今日は地球先史文明研究家の浅川嘉富氏のサイトを見る。浅川氏は大手損保の次期社長の重責を振り切り、世界各地の遺跡を探索され、また世界のスピリチュアルな人と対談し、この地球が抱える問題点をホームページで世に出された。
それは地球の先史文明から紐解く未来への軌跡であり、この三次元の地球の未来を予測するものであった。氏のサイトはすでに3200万アクセスを数える膨大な情報で埋まり、毎日1万を超えるアクセスがあるという。
私も毎日アクセスし、未来の地球人類がどんな運命を辿るかを予測してきた。今日の記事は私の記事と同じように、地球温暖化についてのものであった。
氏の情報によると、今、世界各地で起きている異常気象による災害はそろそろ終盤となり、これから地球の地軸が動く段階に突入するという。
地軸が動けば大地が動き、海も大陸も今までのものと大きく変わる大変動に達するという。過去何度もこの大異変により、地球の地図が変わってきた。
その経緯は日本が誇る超古代の書物である「竹内文書」が示している。竹内文書には地球の誕生からの歴史が書かれており、超古代の大陸は今と大きく違う。
そして地球人類は宇宙から飛来した異星人であり、その長たるものが天皇として日本に君臨し、世界を統率していたとある。
私の手元には「長図解・竹内文書T・U」高坂和銅著(徳間書店)がある。これを読むと地球人類の歴史が一目瞭然であり、過去地球は幾度も地軸が動いて大陸が浮き沈みしてきたという。
浅川氏はこれから始まる地球の大異変は地軸の移動、すなわちポールシフトであると話される。 それはいつのことか分からないが、私の思いではそう遠い未来ではないであろう。すなわちアセンションと呼ばれる地球次元の大変革である。
これから何が起きるか。私は目を皿のようにして注目している。
2019/12/16(月)
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■地球温暖化対策 COP25
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COP25とは地球温暖化対策の略称で、今スペインのマドリードで会議が行われている。温暖化ガスの排出を制限する会議で、議長声明がまとまらずその成果が問われている。
この地球は産業革命以来、炭酸ガスやフロンなど温暖化ガスを排出し続け、その結果が気温の上昇となり豪雨や竜巻、巨大台風に旱魃や熱波、そして諸外国では山火事のオンパレードとなっている。
地球の大気温度は産業革命以来、1.5℃上昇したという。これ以上上昇すれば海水面が上昇し、高潮の被害や太平洋の小さな島国が水没することになろう。
この緊急課題に妙案はない。それはまずエネルギーの変換が急務であろう。特に炭酸ガスを多く排出する石炭火力発電所が槍玉にあがる。
COP25の会議には小泉環境大臣が出席されたが、対策の方法に踏み込んだ発言はなかった。いやその道筋がまだ決まっていないからである。
各国は利害が優先し、削減は容易ではない。だから地球の未来を読める霊的な能力を持つ人や宇宙の同胞たちが、間接的にその運命を知らせるのである。
先日も書いたが、その一つがブラジルのジュセリーノの夢予言である。ジュセリーノは夢で高位の存在から地球の運命を見せられ、2043年には人口の80%以上が死に絶えると伝えられた。
それに日本の岡本天明が神界から授かった「日月神示」には子年の前後あわせて10年が、天地まぜこぜになる終末を伝えている。来年がその子年であり、いつの子年か分からないが、いずれにしても終末は避けられないであろう。
すなわちこれは地球の終末予言である。ここで私は一つの方法を提案しよう。この無害で無尽蔵なエネルギーを如何にして手に入れるか。それがニコラ・テスラのフリーエネルギーである。
ニコラ・テスラはこの宇宙に無尽蔵に存在する電磁波エネルギーを発見しその取得法を開発したが、その実用化は闇の勢力に阻止された。それはこのエネルギーがただ同然で大量に生産された場合、自分たちの商いが無になるからである。
宇宙の同胞たちはこのフリーエネルギーでUFOを飛ばし、この広大な銀河を自由に航行している。
哀れなるかな人類! あと23年の年月を如何に過ごすか。NHKでは今後10年の出来事を予想した番組を放映するというが、その結果を見てみよう。
今、世界各地で起きているデモや争いと軍拡の気配は、今後の運命を迎える序章といえよう。
2019/12/15(日)
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■年賀状
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年賀状はいつから始まったものか知らないが、今日やっとパソコンでプリントし、発送する。文面や住所はパソコンに納めてあるので便利だが、今年も喪中で新年の挨拶を遠慮するとの通知が3通来た。
年に一度の挨拶は、加齢によりパソコンを操作するのも面倒になる。だから80才を越えた老人には負担となり、次の年から挨拶を遠慮すると書き添える人もいるとか。
年々、賀状は少なくなり、家内と合わせても50枚程度だが、最近の賀状は紙面がカラフルだ。干支はもちろん、絵を描き長い挨拶文を書き入れる人もいる。
私は近況を短文で書くだけだが、遠く離れた親戚などはこの機会しかないので、文も長くなるのであろう。喪中の家は当然送らないが、どの親戚まで送るかがわからない。
従兄弟の親が死んだら当然その家には出さないが、その従兄弟と親戚関係にある家は出さなくてもよいのであろうか。今回は親戚にあたる家には出すことにした。
年賀状の風習は日本だけのものであろう。新年を向かえ、新たな挨拶として昔、職場で働いた部下にも出している。
そろそろ、年賀状を出す相手を選別をする時が来た。
2019/12/14(土)
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■人は自分の人生を計画して生まれる
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人は魂の存在であるから、その魂の存在を知らしめ、自分の人生をあらかじめ計画して生まれてくるのである。極まれなケースだが、その実例を挙げて見よう。 まず一つの例はわが師の著書「君は誰の輪廻転生か」(平河出版)だが、「勝五郎の転生」として江戸末期の文化12年(1815)に武蔵国多摩郡に生まれた勝五郎が、自分の前世を親に語り、その死を予言し若干16歳で疱瘡で死んだ例であり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が蒐集した「勝五郎の転生」として、小泉八雲全集に納められている。
次に示すのが五次元世界の金星から転生してきた、オムネク・オネクの著書「金星人オムネク地球を救う愛のメッセージ」(徳間書店)である。
オムネクはフランス革命時のカルマを清算するためにアメリカのいち市民として、肉体を持って転生した女性(ウォークイン)で、その著書にはカリフォルニアのある家庭に生まれた女性「アンジェラ」で、自分の人生が18歳で交通事故で死ぬことを家族に伝えていた。
家族には日記で、「ここで過ごす時間が終わって去ってゆくの。」と、両親に書き残し、その通り18歳で死を迎えた。
これらのケースは極稀なものである。それは魂が進化し、次なる次元へ向かう時期を知って生まれるケースで、魂としての意義を余すところなく知らせてくれる。
人はこの世に生まれるとき、前世の記憶を消されて生を受ける。それは記憶していると、生きる上で思わぬ困難を極める場合があるからである。しかし、最近は子供たちの中に前世や生まれた目的を話すケースがよく知られるようになった。
これらの例より、人は魂の存在であり、その魂を清め高める目的で限りない転生を繰り返し、次元をあげて創造主の身元へ向かうのである。
私が信仰するわが師の教えも同じである。人はこの世で学び尽くし、二度とこの苦しみと悲しみの世に転生しない次元を目指すのがわが師の教えであった。
わが師が亡くなられて3年、釈迦の説法を記した聖典である「アーガマ」すなわち「阿含経」により成仏し、次元をあげて輪廻の輪を脱することを目的に私は修行に励む。
人生を生きる目的や輪廻転生の理論が分かれば、死は決して怖いものではなくなるであろう。釈迦は自分の死を喜びとされた。
2019/12/12(木)
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■庭木の剪定終わる
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冬の到来となり、庭木の剪定をする。今日はムクゲの木を選定し、総ての剪定が終わった。私は山育ちだから庭には多くの木々を植えてきた。
しかし、老体となり剪定が厳しくなってきたため、大きくなりすぎた木を伐採して省力化する。庭師に頼めばよいのだが、そこは自分で選定し楽しんでいるのである。
隣の主人が一人暮らしとなり、省力化のため庭の空き地をコンクリートで埋めて、木や花を植えない方法を採用された。
家を新築して約40年、まだ自家用車が今ほど普及していない時代だった。家内は車を運転しないし、子供たちも都会に出て広い庭を植樹したものだが、時代は変わり今はこんな庭木を植える人はいない。
新築の家は庭を自家用車の車庫とする。1軒の家に車が2台、3台の家が普通で、木を植える家はない。それだけ管理費が不要で、しかも合理的に庭を利用できる。
私はもうすぐ80歳となり、免許の返上を考えている。すると車庫は息子の車で済むことになり、車庫を増設することもなくなった。
剪定は私の楽しみであった。だが私が死ねば庭木は厄介ものになるだろう。恐らくみんな切ってしまったほうが楽かもしれない。
門かぶりの松も幹が40cmほどになった。この松もいずれは切らねばならないようになるだろう。すぐ近くの家が庭木の剪定をしないため、ジャングルとなっている。
長く楽しいできた庭木も私の代で終わり。息子の代ではジャングルにだけはしてほしくない。
2019/12/11(水)
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■貧乏暮らし
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A子さんが私に石油ストーブを買ってほしいという。親しいA子さんだから何でも私にねだるが、そんな高価なものは買えない。無言で相手にしなかったが、A子さんの現実は良く知っている。
一人暮らしの70代後半で、夫は30代で亡くなり、簿給で二人の子供を育ててきたその苦労はよく理解できる。年金はいくらもらっているか聞いたことはないが、大よその予想はできる。
一人で生きてゆくのには限界になるほどの金額であろうか。子供は大きくなり、二人は東京に住む。長男は新宿の区議会議員で何不自由ないと思うが、援助を頼んでいない。
暖房器具がなく、コタツに潜りこんで暮らす毎日だから大変だが、それでもA子さんは力強く生きる。強い信念を持ち、どんな境遇でもその思いは変わらない。
この現実を子供たちはどんな気持ちで見ているのであろうか。私はよく子供に頼んだらと言ってみるが、その気はないようだ。貧しくても子供に頼らず生き抜く。
そんなA子さんを見ながら思う。安易に人に頼らず、限界まで生き抜く。これがA子さんの生き方である。
年末となり、日本赤十字社やNHKでは貧しい人々に援助の募金を募集しているが、私はまだ出していない。それほど裕福ではなく、ほんの一握りのお金しか提供できないが、少しは世のためになりたいものである。
この世は貨幣経済であり、金銭がなければ生活できない。その世界でどう生きるか。それは持てるものと持たざるものの相互扶助で成り立つ。
この地球人類は強いもの勝ちで、金銭・権力・名誉などでよく争いをしてきた。この現実を如何に克服するか。それが世界の重要な課題であろう。
2019/12/09(月)
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■巨大地震
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昨夜のNHKスペシャルで、南海トラフの巨大地震について放映していた。M9.1の大地震が起きれば、東日本大震災をはるかに上回る地震となり。巨大な津波が襲う。
その確率は30年で70%だというから、確実に襲う地震であろう。それは過去の地震が示している。その巨大な津波から逃れる方法を模索している自治体も多く、特に高齢者が逃げるのは至難の技となる。
世界の有識者が集まるCOP25は、今年の災害被害は、日本が一番だったと結論ずけた。それは台風15号や19号の被害が甚大で、未だに避難所暮らしの人が多数いるからであろう。
わが富山県は案外災害の少ない県であるが、地震については市を南北に横切る呉羽山断層が動けばM7クラスの地震となり、その被害は想像だにできない。
100年に一度の豪雨が常態となった今、水害についても市を分ける神通川や常願寺川が氾濫すれば、市内は水浸しとなって今年の関東と同じような被害になるだろう。
地球温暖化の原因であるCO2はその増加率は少し減ったが、まだ前年より多く、この世界の災害をみれば緊急の課題である。温暖化の原因であるCO2やメタンガスが増えれば、寒冷化も同時に発生し、旱魃による被害は生存を困難にする災害となる。
アフガニスタンの復興に命を捧げられた中村哲さんのように偉大な人がいる反面、この世は復興どころかテロや内戦の温床となり、人心が乱れて世界が混乱の極みにある。
この地球は人心を磨き、魂を清め高めて次なる次元へ向かうための学校である。その魂をおろそかにする人類の末路は哀れな運命を辿ると断言しよう。
2019/12/07(土)
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■言葉の世界が危ない
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今日の読売新聞に「この公園には滑り台をする」と書き、言葉の言いたいことを正確に伝えられないことが問題だと、「国語力」を問題にする関係者がいると報じている。
3日に発表された経済協力開発機構(OECD)による国際的な学力調査で、日本の若者の読解力低下が浮き彫りになったという。
その原因はSNSの普及で、いちいち正確な言葉を使わなくても、単語やイラストのやり取りで簡単にコミュニケーションが取れるようになったからだと言う。
私の子供時代は国語が基本で、正しい読み書きが必須だった。だが今は便利なSNSでの会話で、長い文を書く必要もなく、会話もない。 こんなことでは歴代の作家たちが書いた文学は無用に等しい。なぜなら彼らには理解できないからである。だから今の若者は、文学作品を読むことは少ないのではないだろうか。
私の時代の憧れは作家になることであった。それは本が売れれば金持ちになり、有名になるからである。私の次男も作家を目指し、中学生時代から出始めのパソコンを使いこなしてきた。
そして世界を旅し、ルポライターとして生きて行くことを夢見てきた。そのためインドへ何度も一人旅をして作品を投稿した。その結果は、マフィアの組織を暴いた少女誘拐事件を題材にした「エレナ、目を閉じるとき」が、第8回舟橋聖一顕彰青年文学賞の最優秀賞に選ばれた。
インドではある民家に1ヶ月も居候し、お金が尽きて大使館宛に緊急の援助金を申し込んだこともあった。またベトナムを旅行し、ジャングルをさ迷い警察に逮捕される。どんな記事を書きたかったか知らないが、運よく釈放され成田の空港ではオーム真理教の信者と間違えられたこともある。
そんな次男も今は落ち着き、大阪の門真市で学生時代に知り合った彼女と二人で「ホノカ社」を立ち上げて、書籍の出版やスピリチュアルな占いカードを販売する店を展開している。もし興味のある方は、私のHPトップから「ホノカ社」をクリックし、ご覧になってほしい。
私はこの「よもやま話」を毎日書いて早十数年が過ぎた。文章は完全ではないと思うが、私の思いは伝わっていると思う。
便利な通信ができる反面、活字の世界が消える社会が恐ろしいのである。
2019/12/05(木)
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■イルミネーション
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今月のテーマを更新した。今月はイルミネーションで、近くの公園に作られた練習船「海王丸」と富山県名産の「ホタルイカ」の夜景を載せた。
富山県射水市の富山新港には、かっての練習船海王丸が係留され、多くの人が訪れる観光地となっている。またホタルイカは富山湾の深部で育ち、春になると産卵のため岸に押し寄せる。
その姿を丸太を組んで表し、夜は照明をして闇夜に浮かび上がらせるのである。いずれも雪き吊り職人の名作で、どんな姿か私のHPで今月のテーマを見ていただこう。
毎年この時期はイルミネーションが盛んに行われる。私は市内のあちこちで、LED電球で飾ったモニュメントを写してきた。人々が行き交う駅前や公園、そして市の繁華街でよく見られる光る飾りである。
この1年は矢のように過ぎた。齢を取れば月日の過ぎるのが早すぎる。世にはいろんな事件や災害が多発したが、我が家は安泰だった。
最近は人々の意識が高揚し、考えられない事件が多発する。年が明けて3月には80歳の節目を迎えるが、私の人生もいよいよ最終章に入る。
来る年が平穏で安定した日々が来ることを祈り、今月のテーマを更新して一年のけじめとしよう。
2019/12/04(水)
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■地球温暖化
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スペインのマドリードで地球温暖化対策のCOP25が始まった。近年の災害は顕著で、寒暖の差が大きく風水害や山火事、乾燥が激しくなり世界が困窮している。
すべては地球の温暖化が影響した結果であるが、原因の炭酸ガスを削減するのは容易ではない。すぐにパリ協定が発動する時期となるが、アメリカのトランプ大統領はこの協定から脱退した。
地球の温度は産業革命以来1.5℃上昇した。2050年までにゼロを目指すが、排出量2位のアメリカが加わなければ意味がない。ここで思いだすのがブラジルの夢予言者ジュセリーノである。
ジュセリーノは夢によりあらゆる出来事を見てきた。その夢による出来事を場所や人物、どんな事件が起きるかを日時まで書いて、当事者や国家、団体に郵送してきた。
ここにその地球最終予言がある。それは地球が2043年で最後を迎えるというものである。環境が激変し、人が住めなくなり殆んどの人が死に絶えるとある。
それは有名な「ファティマ第三の予言」で、最初の二つは公表されたが、三つ目は歴代の法王が見て卒倒しそうになる内容と言われ、未だに公表されていない。
予言の第一は「第一次世界大戦」で第二が「第二次世界大戦」であったが、すべて的中した。この第三の予言が地球最後を物語るものであろう。
恐らく「地球はマヤ暦の終わりから31年以上は生き残れない」が第三の予言であろう。ジュセリーノはこの終末を2043年と夢に見た。
マヤ暦の終わりは2012年であるから、終末は今から23年後である。ジュセリーノの予知文書には2043年には人類の80%が消えるという意味の言葉がよく出てくるという。
その危機とは気候変動と地震、ウイルスの感染、火山の噴火など複合的な転変地異によるものであろうが、このまま進めば日本の風水害の恐怖は格段に増すことであろう。
ジュセリーノは2043年には80%の人が消えると言っているが、地球が消滅するわけではない。それは地軸が変動し、新たな地球が再生される端緒になることであろう。
人類の末路はすでに決められている。それはこの物質主義を脱し、霊的に進化する魂の次元上昇の何者でもない。
2019/12/03(火)
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■輪廻転生
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昨日書いたスピリチュアルな日記を再読している最中に玄関のチャイムが鳴った。出てみると40代と思われる中年の男性が立っている。
聞くと「エホバの証人」の者だという。玄関に入ってもらい少し話をした。エホバの証人と名のる人は過去何度も訪問してきた。だが私はその都度、別の宗教をやっているからと断ってきた。
今回も同じで丁寧に断ったが、試しにエホバの証人では「輪廻転生」を信じるかどうかを尋ねてみた。案の定、そんな考えはないとの答えであった。
エホバの証人もキリスト教系の宗教であろうが、詳細な教義は知らない。いや知る必要がないからである。訪問者は神の世界を語るのだと述べた。 キリスト教系であれば輪廻転生の教義がないことは私も知っている。それはイギリスのジョージ5世がキリストの聖典をヘブライ語から英語に翻訳するとき、自分の考えと違う部分を改ざんしたためであると聞いた。
私は仏教の信者だというと、相手は神の教えを信ずると話される。私も負けずと、私の教団では神も同じように信仰の対象で、神仏混合のお力を頂くのですと答えた。
お礼を言ってお帰りなさったが、私も同じように敬意を評してお送りした。人はどんな信仰を持とうがそれは自由である。私は決してどんな宗教も否定はしない。
真実は一つであろうが長い歴史で改ざんされ、多くの宗派に分かれた。いろんな考えがあるのがこの人間社会であるが、祈りはどんなことでも非難の対象にはならない。その聖なる心が尊いのである。
人はそれぞれの信仰を持って結構。だがそれが争いの対象になり、戦争の原因にもなれば話は別で、人間の業の深さを痛感するのである。
私はわが師の教えを忠実に守りながら、世のスピリチュアルな本も多数読み、釈迦が何を考え、何を説いたかの真実を学ぶ。
私は釈迦の悟りを記したアーガマ(阿含経)しか知らないのである。
2019/12/02(月)
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■複雑な人間社会を生きる
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息子がインターネットで、あるスピリチュアルな人の講和を聞いている。それは人間社会で生きる悩みを霊的な面で解説するもので、その話を聞いて私が仏道修行やスピリチュアルな本を読んで知ったことと同じである。
この世は苦しみと悲しみの世で、たまに楽しいことや嬉しいことはあるが、概して苦しみが多い。それは人の本体が魂であり、その魂を進化向上させるために、苦を味わい成長の助けにするためである。
そして数限りない輪廻を繰り返して、あらゆる学びを行う。それは人類が霊的に進化する学校であり、この三次元を卒業するまで続く。
話は人の代表的な悩みについての解説であり、その体験を交えた的確な判断が私を納得させる。その中に一つの注目する件があった。
それはお金持ちになりたいと思う場合、トイレをきれいに掃除するのだそうだ。人の排泄物を流す便器は普通掃除しないであろう。それは私も同じで、今まで便器をきれいにしたことはなかった。
そこで今日は、初めて便器を掃除する。石鹸をつけた布でふたや便座、そして本体をくまなくきれいにふき取った。汚れて変色したところもあり、前から気になっていたが、小さな個室で常に見るものでないため、掃除と言う感覚がなかったものである。
別にお金持ちになろうとの意図はないが、それでもお金が手に入ればそれに越したことはない。ただ汚物にまみれた品だけは放置できないという気持ちが強くなってきた。
息子はどんなサイトでこの人を知ったかしらないが、人生訓としては最高のものであろう。私が何度もこの日記で書くように、人は魂を進化させるためにこの世に生を受ける。
だが進化とは反対に退化を招くこともある。今日の読売新聞によれば、世界の軍拡競争が激しくなり、地球の終末時計があと2分だという。
地球に生を得たわけは物やお金、権力や名誉だけの獲得ではない。それは魂の進化向上を目指すための学校だと理解すれば、生き方も変わるであろう。
2019/12/01(日)
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